◇5.少年達は逢うべくして出逢った



「や~、今日もありがとうね、ゆうくん」

「いやいや、こちらこそっす! 綺麗になってなによりっす! またお願いします!」


 すっかり辺りも暗くなったころ、オレンジ色のキャップを取り、本日最後のお客様に深々とお辞儀をする少年がいた。


「周り暗いんで、ほんとに気をつけて帰ってくださいね」

「は~いありがとう、またね」

「はい、また! ありがとうございました!」


 洗車によりピカピカになった車を見えなくなるまで見送ると、少年はぐ~っと思い切り伸びをした。


「くぁ~、今日もやり切った~!」


 少年がキャップを外すと、所々に黒のメッシュが入った金髪が汗を含んでペタンとへなっているのが分かる。今日一日の頑張りの象徴だ。


 少年の名は、五十嵐優いがらしゆう。海の望めるガソリンスタンドに勤務する正社員だ。高校生のアルバイト時代から含めると、この春で六年目の勤務になる。明るく元気でガッツのある性格は、地元の常連にこよなく愛されている。


 優は慣れた様子でスタンド内の銀色のチェーンをひとつひとつかけて周り始める。


 店内の時計の針が二十一時五分を指した。


「お! わたるー!」


 少し離れたところに見えた人影に向かい、優は大きな声でその名を呼び、笑顔で手を振った。それに呼応するように、名を呼ばれた少年、小宮航こみやわたるも、同じように笑顔で大きく手を振り返してきた。


「って、フライングしてんじゃねぇーかっ!」


 優は航の手に握られている缶ビールを思い切り指した。


「人は指しちゃいけないって習わなかったー!?」

「俺が指してんの、缶ビールだわ! 残念!」

「ああ! それはそれは失礼致しましたぁ!」


 こんなしょうもないことを大声でやり取りしているのがバカらしくなってきたのか、二人は笑い合う。


 そうこうしているうちに、航は優がかけたチェーンをひょいっと跨いできた。


 優にとって、航は同じ病院で生まれ、この地で共に育った生粋の幼馴染と言える存在だ。


 優とは全く逆と言って良いほど、航は温厚かつ穏やかな性格の持ち主であり、幼い頃から一度も染めたことのない艶やかな黒髪は、彼の純粋さを語っている。


 現在は大学に通う都合上、航はこの地を離れてひとり暮らしをしているが、さほど遠いわけではないため、頻繁に帰省してくるのだ。


「やあ、ごめんねぇ。着いたらもう風が気持ちよくてさ。飲みたくなっちゃった」

「はいはい、言いわけですね小宮くん」

「ですね~。でも本当なの。もう一年くらい実家を出てから経つけどさ、未だに慣れないんだよね。アスファルトに囲まれる毎日はさ」

「そうは言っても、ここより結果全然楽しいだろ? 店やらなんやら、キラキラしたもんがいっぱい詰まってる宝石箱みてぇなイメージしか俺にはねぇけど」

「宝石箱って……そんな綺麗なものじゃないけどねぇ」

「あー、羨ましいぜっ、大学生! 俺もキャンパスライフってやつやりたかったぜ。ま、妄想の中では毎日してんだけどさ、可愛い女の子と合コン」

「ぶはっ、笑かせないでよ」

「おいっ、笑うとこじゃねぇわ」

「ねえ、帰り、コンビニ寄ってから俺ん家いこうよ。お酒とおつまみもっと買わないと足りないでしょ?」

「あったりめぇだろ。ま、積もる話は飲みながら、だなっ。ちゃっちゃと締めちまうからちょっと、ブースの椅子にでも座って待っててくれ」

「うんっ、了解~」


 そう言うと優はバタバタと締め作業の続きを始める。


 航は椅子に腰かけると、ゆらゆらと月の光を反射し煌めく海の波を眺め、笑みを浮かべた。


 それから三十分ほど経ったのち、優は店内ブースの扉をガラッと開けた。


「航、わりぃ、お待たせ! 終わったぜ! 意外に時間かかっちまった」

「ううん! お疲れ様! てか、よく考えたらひとり珍しいね、店長さんは?」

「あ~、今日早番だったんだけどさ、寝坊しちまって、そんで店長と代わって通し。バイトの子体調悪そうだったから先に上げてやった」

「……ほんと、会うたびしっかりしていくね、優くん」

「聞いてた? 俺の話。寝坊してますけど今日」

「寝坊は置いといてさ、どんどん遠くにいってしまう気がしちゃうよ」

「何言ってんだ、あと二年後に社会でりゃ、俺がどんだけちっぽけなもんか分かるぜ。それに何にも遠くなんかなってねーよ」


 優は右手をグーにして、軽く航の肩をパンチした。



「何があっても変わらねぇ、約束したろ?」

「……うん、そうだね」



「約束は守るためにあるからな」




 ごそごそとロッカーから大きなリュックを取り出す優の背中を、心憂気に航は見つめていた。


「あ、俺さ、制服洗いてぇからこのまま帰っていいか?」

「うん。俺の部屋着でよければ貸すよ」

「サンキュー! じゃぁいくか」


 ブースの扉に優が鍵をかけると、電灯が消え、しんと静まり返ったスタンド内を、二人は歩き始めた。


 少し強めの潮風が、二人の身体を掠める。


「やっぱ好き。この風、癒されるなぁ~」

「だろ~。ここで働くメリットはそれ。海が見えて、いい風が浴びれる」

「最高だね。俺も早く戻ってきたいなぁ」

「そっか。航、就職さっ、うおっ!」


 チェーンを越えて、ゴツゴツしたアスファルトの上を進んでいた二人の前に、暗がりから突然現れた



 ズシャッ、ガシャンッ!



 避け切れず、大きな痛みを持った音と共に、優は尻から手をつき、倒れこんだ。


 予期せぬ事態に航の口は丸く開き、そのまま固まった。


「いっでぇ!」


 悲痛な優の声が響く。左腕と左足を擦ってしまったらしく、薄っすらと血が滲んでいる。


「優くん! 大丈夫!? って、きゃああああ~!」

「悲鳴女子か!」


 優の肩に手を添えた航は、目の先を見て悲鳴を上げた。優の的確すぎるツッコミは彼の耳に届いていないらしい。


 航が悲鳴を上げたのも無理はない。優と同じような態勢で、アスファルトの上に転がっている少年がいたのだ。


 少年の目と鼻の先には濃い青色をしたバイクが倒れ、その周りにはコンビニの袋から飛び出てしまったスルメやビーフジャーキーが散らばっている。


 航は瞬時に優から離れ、その少年に駆け寄った。


「す、すみません。だっ、だっ、大丈夫ですかぁ!?」

「おい、俺の心配どこいっちゃった航!」


「……ぅ」


 僅かに少年から呻きのような声が上がった。


 少年が生きていることが分かり、航の強張った表情が少し和らぐ。


 少年はゆっくりと顔を上げ、航のほうを見やった。サラサラと揺れる綺麗な茶色の髪の毛と同じ色をしている洗練された大きなひとみ。スッと透き通った鼻筋に、かたちの整った薄めの唇。クールな風貌はハッと息を呑むほどに美しい。


「……すみ、ません」


 ぼそ、ぼそ、と小さな声がその唇から漏れる。優と同じく少年は右腕と右足を擦ってしまったようだ。


「いや、こちらこそすみません! これから晩酌のご予定だったんですよねぇ!」

「おい航、何か心配するとこ間違ってねぇか?」

「血出ちゃってますよ、痛いですか? 立てます?」

「あの! 俺も血出ちゃってますし、痛いんっすけど!?」

「……大丈夫です、立てま……!」


 少年の瞳の全ては一瞬にしてで埋め尽くされ支配された。見られている、と気がついた優は驚き、肩を揺らす。


「な、なんだよ」

「……スタンド?」

「は?」

「……ガソリンスタンドですか?」

「や、人間ですけど」



「……お願いが、あります!」





 ◇◇◇






「……おかしくね?」

「何がぁ?」

「や、何がって、全体的に?」

「……おかしくはない」

「おめぇが言うんじゃねぇよ!」


 優と航は少年と共に、再びガソリンスタンドへ引き返した。


 濃い青色をしたバイクに給油機を差し込む優の姿を、店内ブースの扉を開けたままにし、航と少年が談笑しながら見つめている。


 幸いにもバイクに乗った少年ではなく、バイクを押して歩く少年と接触しただけであったため、互いに擦り傷程度で済んだ。優と少年、それぞれの腕には航が応急処置で貼りつけた絆創膏が同じ数だけついている。


「もぉ~、いいじゃん優くん~ケチケチしないの~! 制服着てたし、給油してあげる運命だったんだよ~きっと!」


 航の適当な発言に、優はバッと勢いよく二人を振り返った。


「これのどこがケチなんだよ! ケチどころかむしろ親切だわ! っつかまじ忘れ去られてる様子だからもっかい言うけどな、俺も血出てんだよ! ケガ人なんだわ! なのに何で知りもしねぇ、ちょっとぶつかったヤツのために閉めた店開けて給油してやんなきゃなんねーんだ! 意味が分かんねぇよ!」


 懇親の叫びに全く動じない少年の様子が、優の苛立ちをさらに掻き立てる。


「っつーか、よく考えたらお前、リザーブがあんじゃねぇか」

「……リザーブはない」

「は? あるわ! バイクはみんなあんだわそれ!」

「……使い切った」

「何でだ!」

「ねえ、リザーブって何?」

「……バイクの予備タンクのことだ」

「普通はエンプティになったらリザーブに切り替えてその間にスタンド探して給油すんだよ!」

「へぇ~、そうなんだぁ」

「……見つからなかった。ガソリンスタンド……こっちにツーリングにくるのは今日が初めてだったから」

「は? お前、スマートフォンは?地図で調べりゃ一発だろ?」

「……ガラパゴス・携帯なので」


 少年はポケットからドヤ顔でそれを取り出すと、見せつけてきた。


「そうなんだぁ。優くんと一緒だね。じゃぁしょうがないよね。ちょっと調べるのには不便だもんねぇ」

「……あぁ。それに歩き疲れた」

「そりゃそうだよねぇ。この辺なかなか一休み出来るところもないしねぇ」


 航の言葉にうんうんと頷く少年を見て、自身も同じタイプの携帯を未だに使用していると言うことを認めたくないと切に思いながら、優はバイクのほうへと向き直った。


「おい、終わったぞ」


 しばしののち、バタンッとバイクの給油口を閉じ、優は二人の傍へ足を運んだ。


「……あの」

「あ?」

「……ついでに、ボディも拭いてくれないか?」

「てめぇどんだけだよ!」

「……さっき倒れて、汚れてしまった」

「いやいや、ぜんっぜん綺麗だったけどぉ!?」

「いいじゃん。優くん時間もあるし、拭いてあげたら?」

「俺は航と違って世話好きじゃねぇけど! っつか、今日初対面じゃねぇか! こんなにしてやる義理ねぇぞ!」

「……初見ですが、何「言わせねぇよ!?」


 かけ合いがツボに入ったらしい。航が思い切り噴き出し爆笑し始めた。


「あっはははは、も~ダメッ、おかしいのなんのって」

「航ざけんなまじ」

「ってかさ、俺、どこかで会ったことある気がする。この彼と」

「は? まじ? 嘘ついてる?」

「ついてないよぉ、お名前は?」


 航が身体を後ろに向けると、少年は知らぬ間にブース内にある自販機の前へ移動していた。



「……新堂翼しんどうつばさ



 ガコンッと音が響き、無表情の翼の手に握られた小さな冷たい缶は、サッと直ぐに優の手の中へと移動する。


「へえっ。顔もだけどさ、名前も格好いいんだねぇ。や~凄いなぁ」

「って、ちょっと待て。何このコーヒー、頼んでねぇけど」

「……礼の気持ちだ。綺麗な仕上がりのバイクを期待している」

「まじてめぇ、ふざけんなっ!」

「てか、翼くんやっぱどっかで絶対会ってる。こんな美少年忘れるわけない」

「……初見ですが」

「忘れるわけないって、ほぼ忘れてんじゃねぇか航。絶対知り合いじゃねぇよ、勘違い!」

「え~、そうかなぁ。何か、心に引っかかるんだよなぁ」

「気のせい気のせい! さ、給油も出来たし、帰れんだろ、じゃぁな」


 促してみるが席を全く立とうとしない翼に、優は呆れ混じりにその場にしゃがみ込んでしまった。


「あ、じゃぁさ、翼くんも一緒に今日飲もうよ!」

「は? 航何言ってんの?」

「ほら、さっき、おつまみ買ってたじゃない。今日飲むつもりだったんでしょ?」

「……あぁ、まぁ」

「俺と優くんもこのあと宅飲みする予定だったの! 俺ん家でするから、翼くんもおいでよ!」

「や、航、このご時世だぜ? 見ず知らずの人家に上げるとか絶対やめたほうがいいから!」

「見ず知らずじゃないよ! 多分っ」

「……ぜひ」

「お前も何でノリノリなんだよ! どうせもう歩き疲れたし、帰るのだりぃな、じゃぁいっかみてぇな心情だろ!」

「……貴様、すごいな。人の心が読めるんだな」

「バレバレだわ!」

「そうとなれば、バイクは俺ん家で拭いてあげればいいよね! 優くん、お店閉め直して俺ん家いこう~」


 楽しそうに立ち上がる航を、優が咄嗟に制止する。


「ちょ、待て。こいつ呼ぶとかぜってぇやだ! だったらここでバイク拭いて帰ってもらうわ!」

「……ひどい」

「どっちがだ!」

「いいじゃん優くん。そう難くならないでさ~、俺ん家なんだから、ねっ」

「おい航どうした、まじで目ぇ覚ませって!」


 カラランッ


 三人の会話を遮るように、チェーンの落ちる音が響いた。


 バッと音のした方を振り返ると、二つの人影がゆらりと動いているのが分かる。


「バッカ! てめぇのせいだからなまじ!」


 翼に捨てるようにセリフを吐くと、優はその人影に足早に駆け寄った。


「あの、すみません! 今日もう閉店してるんっすよ! 申し訳ないっす!」


「あ、優だ。よかった」


 向けられた優しい眼差しと目が合った瞬間、優は驚きを隠せなかった。


「せ、先輩!? えっ、めっちゃ久しぶりっすね!」


 優の大きな声につられ、航も目を輝かせながらパタパタと駆け寄ってくる。


「あれ、まさかの航もいる?」

西条さいじょう先輩! お久しぶりです! やば、相変わらずかっこいいっ!」


 姿を現したのは優と航の中学時代の先輩である輝紀てるきだったのだ。


 輝紀が地元からそこそこ離れた高校に進学して以来、優と航は彼と顔を合わせることがなくなっていた。


 久しぶりの再会に三人の顔には花が咲く。


 そして……、


「あの、お隣にいる、こちらのかたは?」


 輝紀の隣にいるのは見知らぬ少年。黒髪で背が低く、幼い顔つきをしている。


 その少年と目を合わせた途端、



 ズキンッ



 一瞬、優の左の目の奥には、驚くほど、激しい痛みが走った。


 パッと左目に手を添え、思わず声を上げかけたが、優は必死で唾を呑み込み、堪え切る。



(なん……だ……?)



 ちょっとした悪戯であったかのように、溶けて消えいく痛み。


 ほっと胸を撫で下ろすと同時に、首を軽く傾げながら左目を覆っていた手をスライドさせると、ぺこりと恥ずかしそうに頭を下げる小柄な少年の姿が見えた。


「彼は、椿誠也つばきせいやくん。俺の高校からの後輩で、今、大学も同じなんだ。あ、人見知りする子だから、少し緊張しているのは許してあげてほしい」

「あっ……そうなんっすね。初めまして、五十嵐優です」


 動揺を隠すため、いつも以上に口角を上げて優が挨拶をすると、


「小宮航です」


 航もその次に会釈した。


 誠也にじっと見つめられると輝紀は軽く頷き、優と航のほうへと向き直った。


「や~、まだここで働いていたんだね」

「そうっすね。変わらないです」

「航は?」

「俺は今大学で、地元出てます」

「ああ、そうなんだね。今日はたまたま?」

「そうです。たまたまと言っても、結構帰ってきてますけどねぇ」

「そうか。あ、実はさ、今日……!」


 優と航の背後に見えた姿に、誠也と輝紀は再び顔を合わせた。


 振り返ると無機質な表情で、翼が迫ってきている。


「てめぇ何のこのこきてんだよ」

「……暇だ」

「は!?」


「凄いね……知り合い?」


 輝紀の言葉に、優の眉間に皺が寄り、航が首を傾げた。


「いや、知り合いではないっす」

「でもぉ、知り合いかもしれないんです」

「何それ、どういう意味だい?」

「……初見ですが」

「てめぇはいちいちややこしいから黙ってろ!」


 すると、小さな口を誠也が開いた。



「……本当に凄い、今日」



 その言葉に優、翼、航の視線はワッと誠也に集まる。


「そう、さっきから、何が凄いの?」


 戸惑う航の横で、輝紀の視線は翼に向いていた。


「君のことは知っている、新堂翼くんだよね?」

「……初見ですが」

「てめぇそのフレーズ地味に気に入ってんだろ」

「……バレたか」

「バレるわ! うおっ!」


 ビュウゥゥゥと、強い潮風が吹き荒れた。


 その風が過ぎ去っていくと同時に、再度、誠也の小さな口は開いていた。




「今日は、会いたくてきたんです。あなた達に」

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