◇3.黄の少年は溜息を漏らす
黄色のラインの入った電車は、ガタンゴトンと線路の上を進む。
その中にいるのは黄の少年。朝のラッシュとまではいかないが、まずまず車内は混み合っている。左手で吊革に掴まりながら、少年は右手でスマートフォンを操りメールを打ち始めた。
“今日は二十一時過ぎに着くように向かうね!”
送信ボタンを押すと、少年はポケットにスマートフォンを仕舞い込んだ。
人口密度は春先と言う気候を覆す。車内はまるでサウナ風呂だ。少年の額からじんわりと滲んだ汗が自然と流れていく。
周囲に気を遣いつつハンカチを取り出そうと、ごそごそ鞄の中を漁り始めたその時だった。
「きっしょ!」
響き渡った少し低め且つ大きな罵声に、少年はビクッと肩を揺らした。
自身がいる降車ドアのひとつ先辺りだろうか。周囲がざわつき始める。
「おいおっさん! ふざけんじゃねーよ! どこ触ってんだ!」
人々の隙間から目を凝らすと、明るいオレンジブラウンのサラっとしたロングストレートヘアを揺らしている黒無地のトップスにスキニーデニムスタイルの少女の後ろ姿が覗いた。
「わわわわわしは、さっ、触っとらんぞお~」
「は? 何しらばっくれてんだこら。さっきからずっとあたしの尻触ってただろうが!」
「触っとらん、触っとらんぞぃ」
少しばかり白髪の混じった髪の毛にしわしわの顔をした初老の親父が、気持ちの悪い表情でにやつきながら両手をぶんぶんとはためかせて容疑を否定している。
少女はかなり強い。いや、表現として恐いが適切か。少年と同じ気持ちであるのか定かではないが、助けは必要ないだろうと周囲は判断しているようだ。少女に手を差し伸べる者は誰ひとりとして現れない。
周囲の様子を悟った少年の心には、チクっとした痛みが生じた。決めつけるのはよくない。ああ見えて、少女の心は震えているかもしれない。気を奮い立たせた世話好きな少年は、少女を助けようと、小さく謝りながら人々の間を掻き分け始めた。
「すみません、すみません……」
徐々に少女の姿が大きくなってくる。
「降りろよ!」
少女の手は有りっ丈の力で親父の腕を掴んでいた。親父の顔は激しく青ざめ、全身の穴と言う穴から汗が大量に吹き出しているように見える。
「っつーか絶対降ろす!」
「ゆっ、許してくださいっ! ひいいぃ!」
「許すわけねぇだろ! 大人しくしろ!」
親父を捕らえている少女の手の力はさらに強さを増した。
あと少し。少年の眼前に、少女の姿が迫る。
「あ、あの、すみませっ……!?」
急に大きくぐらっと揺れた視界に、少年は思わず声を呑み込んだ。
プシューッ、ガラッ
我先にと言わんばかりに、人々が一斉に波のように動き出す。
少女に向かって必死に進んでいたからか、少年は車内の駅到着のアナウンスに全く気がつかなかったようだ。
「降りろおらっ!」
目の前に近づいた少女は離れていく。人々の波に乗りホームに降り立つと、抵抗する親父を引きずりながら少女はズンズンと大股で歩き始めた。
その時、少年は見逃さなかった。
少女の大きなトートバックから飛び出した、黄色の水玉模様のポーチを。
足早に歩く人々の間に重みを持ちながら落下したそれを、少年はホームに降りると同時に素早く拾い上げていた。
「あ、ちょっと! すみませ~ん!」
少年の呼び声を余所に、少女の姿はどんどん小さくなっていく。追いかけようと前に進もうとしたが、
『電車発車しまーす! 駆け込み乗車はご遠慮くださーい!』
「え!」
駅員の叫ぶようなアナウンスに、少年は我知らず再度電車に乗り込んでいた。
ぷしゅーっと扉が閉まっていく。ガタン、ガタンとスローで動き出し、電車は速度を
ほっと一息ついたのも束の間。少年は、自身の手に握られているポーチを見て、しまった! と扉のガラスに頬をギュゥッと押しつけた。電車の進行方向と逆のほうをじぃっと見てみるが、その行動は全く持って何の意味もなしてはくれない。
仕方ない。少女がどこの誰であるか分からないのだから、もうどうすることも出来ない。少年は自分に対する呆れた溜息を漏らしながら、ポーチをそっと鞄の中に押し込めたのだった。
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