一章:四ガツ一タチ

◇1.赤の少年は夢を見る


 “背の低い黒髪の少年は、大きく伸びをした。


 オレンジ色をした夕暮れの太陽の光が降り注ぐ。

 

 ふぅ、と少年は小さく息を吐き、鎖が少し錆ついているブランコに腰かけると、切な気な表情を浮かべてゆらゆらと揺れ始めた。


 ブランコは面白可笑しく歌を奏でる。少年がくすっと微笑んだ瞬間、



 ――にゃあ


 

 鈴の音と共に、愛らしい鳴き声。

 

 少年はブランコを漕ぐのをやめ、声の主の方を向いた。


『わ、可愛い猫ちゃん!』


 どこからやってきたのだろう。


 そこにはコロンと丸みを帯びているグレーの毛並みをした子猫がお尻を向けて、ちょこんと座っていた。


『よしよし、抱っこしてあげるね……!』


 その猫を抱きあげた途端、少年の目は見開いた。


 驚いたのも無理はない。


 一見普通だと思っていたその猫は、白うさぎのように真っ赤でつやつやと光る両目をしていたのだ。


 ゴロゴロと唸る喉元には黒いダイヤモンドの模様。頭頂部周辺の毛には、青、黄、緑、紫の四色がメッシュのように塗り込まれている。


『え、うさぎ……? や、猫だよね……』


 少年がブツブツと自問自答をしていると、ジャングルジムで遊んでいた子供たちがバタバタとこちらに向かって走ってきた。


『わ~! お兄ちゃん猫ちゃん抱っこしてる~!』

『いいなあ! 僕にも抱っこさせて!』


 そう言い手を伸ばしてきた男の子に、少年は子猫を抱かせてやった。


『珍しいよね、この猫。目が赤いなんて、うさぎさんみたいだよね』


 子供達と目線を合わせようとしゃがんだ少年だったが、あんなに騒ぎ立てていた彼らが一瞬にして閉口したのを理解すると共に、いくつもの純粋無垢なひとみの中に浮かび上がっている不信感を察知した。


 少年の眉間にも、彼らと同じように皺が寄っていく。


『えっと、どうしたの? もしかして、僕、何か……』

『お兄ちゃん変なの!』

『え?』

『だってこの猫さん、お目目の色、黒だもん!』

『……え?』


 少年は高速で瞬きを繰り返してから、もう一度子猫を見つめた。

 

 子猫は大きな赤いひとみで少年を見つめ返してくる。


『みんな、嘘つかないでっ。どう見ても赤だよ! 毛はグレーでほらっ、ここここっ! ここに黒い宝石みたいな模様もあるじゃない』


 男の子からひょいっと子猫を奪い上げ、その喉の辺りを指した。


 しかし子供達は全力で首を横に振ると、青ざめた顔をして少年の前から全力で逃げ出した。


『おに~ちゃん怖いよお~!』

『毛の色茶色なのに~!』

『お母さーん!』


 公園に響き渡る叫び声と共に遠くなっていく足音。

 

 少年は子猫を抱えたまま、茫然とその様子を見送ることしか出来なかった。



 バサッ



 瞬間、少年の視界の中を、何かが勢いよく駆け抜けていった。



『……へっ?!』



 足元に堕ちてきたのは、訝しげな一冊の本。


『あっ、これ、落としましたよ』


 目の先をよぼよぼと歩く老人の落としものであると分秒で判断し、少年はその本を差し出した。


『あ? なんじゃあ?』

『え、いや、あの、この本落とされませんでしたか?』


 老人が差し出された少年の手をじぃっと見つめ、微笑んだ。


『わしと握手したいんかあ。ほぉれ』

『や、そうじゃなくて……あ、ちょっと待ってくださ……』


 少年の手を両手で包みこんだ老人は、相当な満足感を得たようだ。ほわわんと謎に幸せそうな空気を醸し出しながら、よぼよぼと歩き去っていってしまった。


 もしや老眼であるが故に、本と判別することが出来なかったのではなかろうか――少年は別の人に声をかけるべく、辺りをキョロキョロと見渡すが、人影は見当たらない。


 嫌な感覚は膨れ上がり、額から流れ落ちる冷や汗が止まらなくなっていく。



『……誰か他に……あれ、そういや子猫はっ?』


 

 いつの間にか、あの子猫は跡形もなく姿を消していた。


 少年がその場に跪くと、ポタポタと汗は土に模様を描いていく。


 自分にしか見えない恐怖に、ガタガタと震えだした身体を両手で抱えたその時だった。





 カアアアアアァァァァァァァァッ






 突然、目の前に転がした本から、途轍もなく強い光が溢れ出した。






 少年の叫び声が響く、そして……”





 


 



 





 











 ――ニO◇◇年・現在・四月一日――





 

 ジリリリリリリリリリ



「んあ……」


 目を覚ますと、見慣れた年季の入った天井が“おはよう”と挨拶をしてくれた。

 


 どのくらい鳴り続けていたのか分からない目覚まし時計をバンッと叩きつけるようにして止めた赤の少年・・・・


 滅多に見ることのない夢。いつもと同じように身体を起こしたのに、その影響か、どこか不思議な感覚がする。


 あの黒髪の小さな少年は誰だろう。


 首を傾げてはみたが分かるはずもなく。すぐにどうでもよくなり、少年は再び布団に包まった。


「おにーちゃん! 起きてる~!? 今日お仕事じゃないの~!?」


 部屋の空いた隙間から響いてきた幼き弟の声が、ボーッとしている脳内をぐるぐると駆け巡る。


 バッと目覚まし時計を手に取り、少年は目を引ん剥いた。


「やあああぁっっべええええええぇ!」


 先程までとは別人と化し、ベッドから飛び起きる。まるで魔法でも使ったかのように洋服をハイスピードで身に纏うと、階段をどたばたと駆け下りた。


「おに~ちゃん!」

「何!?」


 スニーカーの靴紐を慌てて結んでいると、幼き弟が巾着袋を手に、トテトテと近寄ってきた。


「はいっ、おにぎりさん。持っていきなさいって!」


 少年はふっと笑みを浮かべ、小さな愛情を受け取ると、幼き弟の頭をくしゃくしゃと撫でてやった。


「サンキューなっ。じゃあ兄ちゃん頑張ってくるな!」

「うん、頑張ってね!」

「おうっ」


 大きく手を振り合う。少年は玄関をあとにし、何年も使い続けているママチャリに跨った。


「お、兄貴……」

「お、おっす!」


 緩い黒のスウェット姿の弟が、コンビニの袋を片手に下げながら、気だるそうに歩いてきた。


「お前今日晩飯よろしくな!」

「何で?」

「寝坊、遅刻、最悪、今日通し! そういう感じで!」

「どういう感じだよ」

「まじ頼んだぜ! 頑張ってくっからよ!もういくぜ!」

「ちょ」


 全力で小さくなっていくその姿に、弟は肩を竦めながらも呟いた。


「頑張って」


 少年は力強くママチャリを漕ぎ、ぐんぐんと前に進んでいく。


「あっ、はい! もしもし! おはようございます!」


 ふいにポケットで音を立てた携帯電話のバイブ音。


 行き交う車の騒音にも負けないくらい大きな声で、少年は受話部を耳に強く押し当て返事をした。


「やぁ~、ほんっとすみません! 今日珍しく夢見たんすよ。だから脳もその夢を出来るだけ長く見て、ぐっすり寝てねって感じだったのかもしれないっす! え、や、ちょっと! 悪いと思ってますよ、ほんとですって! あと三分くらいです! すみませんっ……あ! 店長!」


 少年は太陽を仰いでから、見慣れた真っ青な美しい海を見つめ、笑顔を浮かべた。



「今日も、潮風、気持ちいっすね」

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