第三節:彼が人間だったころ(怪談の始まり)



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 そもそものは小学四年の春の折。

 あの時の担任が――宿題だった日記の文章、その後の『文章創作の宿題』を褒めさえしなければ、彼は道を踏み外さずに済んだに違いない。

 中学に入った木野は、脇目も振らずに文芸部の門を叩いた。

 かつての賞賛の残り火を頼りに、「おのれにはものを書く才能があるのだ」という幽霊より実体のない自信を両手一杯に抱えて輝かしい未来に飛び込んだ。


 文芸部は顧問の他には二年がひとり三年がふたりに顧問がいるだけの閑散とした場所であったが、そこは彼の望んだ通りの楽園であった。

 文章ひとつで声援ひとつ。

 筆走るままに書き散らした短編すべて、傑作ともてはやされる。 


 楽しかった。

 それは実に楽しい三年間だった。

 夢のような。

 真実、夢でしかないぬるま湯の三年間だったのだと、彼は、中学三年の秋、自身を送る送別会の日に知ってしまった。

 

 その日。

 彼女らがやってくるのを、サプライズの催しで隠れ潜み待っていた、すえた臭いの充満する掃除用具入れの中で。


 木野良孝の人生は、崩壊する。



「あーん? いないじゃん部長」

「でも鍵開いてるんだし一回来てはいるんでしょ?」「だよね。鍵持ってんの槙本先生と部長だけだし。でも部長の荷物も無いなー。どこいってんだろ?」


「どこでもいーって。つかどうでもいいしアイツのことなんて」

「ちょーっ、やめなよみっちゃん、そういうこというの」

「あーあたしみっちゃんに賛成。このままどっか行ってくれたら本当いいよねー。って、明日からは本当にそうなんだねー! 最高ー!」

「ちょーっ、いっちーまでそういうこと言ってー。だめだよー、あのひといつ帰ってくるかわかんないんだからさー」


「かーっ、何よそれクルポンだけ何いいこぶってんの? いっつもアンタが一番愚痴ってたくせに!」

「それ! ホントそう! 『自分たちは本気で将来プロになる覚悟で創作に取り組みたいのに、槙本はものを書くのは楽しむのが第一だとか、人の作品は絶対にバカにしたりけなしたりしてはいけません、ちゃんと良いところを見つけて必ず褒めましょうとかハズれたこと言ってて完全馬鹿、部長もあんな駄文よく人に見せられるわね私だったら書いてしまった瞬間いや思いついただけで自殺するわ、そんなもんに毎度毎度見え見えのお世辞してやってるんだからありがたく思え感謝して金払え、もしくは今すぐ筆とその鼻とチ××折って死ね!』ってあたしらが何度聞かされたと思ってんのよー!」

「いっちーいっちー! 声! 声おっきいって!」


「……でさぁクルポン。本当のところの本音のほどは?」

「…………私、部長にこんなに喜ばせてもらったの、入部してからはじめて! あなたの立派な教育指導は、この胸にこれっぽっちも残っていません! さようなら! 悔いはないので安心して消えてください! いなくなってくれてありがとう、木野良孝さぁぁぁぁん!」



 コケエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!

 轟く奇声と共に突如ロッカーから飛び出してきた鶏の仮装(仕込んでいたネタは立つ鳥後を濁さず)をした変態に文芸部女子三人は本気で全力で悲鳴を上げて偽りのない真実の涙を散らし、一方変態鶏男はそのまま部室を脱出し一刻も早くどこか新しい彼にとっての楽園へと辿り着くべく全力で午後四時の夕日差し込む通い慣れた校舎三階西側廊下をひた走った。


 これが後に伝わる南条狐中学七不思議のひとつ、『逢禍が時の鳥人間』誕生秘話である。



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 失われた名誉は回復されなければならない。

 絶望的精神状態から不屈の反骨精神で持ち直し、辛くも五駅先の高校へ入学を果たした木野が選んだ第二の楽園。

 それが演劇部であった。


 入部早々脚本の担当を名乗り出た木野の要求は丁度脚本担当が盲腸で入院していたことからすんなり通り、しかも彼の書く筋書きは部内ではどういうわけか受けが良かった。

 その演劇部の面子が皆彼と同じような曲者揃いの変わり種であることも無関係では無かったろう。


 彼が部に代々伝わる妙技、専用に作られた服を身に着け特殊なテーピング技術での固定方法を用いることによって可能となる、隻腕の人物を演じる『片腕隠し』のトリックを修得したのもこの時代だ。


 この演劇部、何しろ木野に負けず劣らずの個性の溜まり場――つまりは宿命的に少数精鋭マイノリティ

 人材は常に枯渇の状況、誰もが何かの役割を兼任しており、そこで木野は脚本と役者の草鞋を履いた。


 怪我の功名と言うべきか、転んでもただでは起きないと言うべきか。

 忘れたくても忘れられない十五歳の苦い思い出、輝かしかった歴史が一転暗黒の闇に飲まれた、文芸部時代最後の珍事。夕焼けの陽を浴びる鶏男の遁走。

 あれが、彼の中の眠れる素質を呼び覚ましていたことがここで明らかになる。


 木野良孝には、“なりきり”の才能があった。それまで日常の気晴らし、創作の分野でのみ用いられていた能力は、現実の身体に心の活動を反映させる役者というフィールドに於いても噛み合った。


 高校二年の秋。

 近隣の高校や大学の演劇部を一堂に集め、A市の誇る多目的文化ホールにて三日間の日程で開催される高齢の演劇発表会――通称『演劇祭』と呼ばれるイベント。

 

 そこで木野はB級カルトサイバー舞台劇【星割りシュリケン・メイドインアース】の脚本及び主人公を導く片腕を失ったニンジャマスターの役を見事にこなし、その常識的平衡感覚を狂わせる圧倒的不条理ストーリーとインパクト抜群の怪演で観覧者特別賞を受賞する。

 

 忘れ難きグラウンド・ゼロより二年。

 木野は砕かれたプライドの修復に十全に、どころか十割増で成功した。自意識が肥大に肥大を重ね着した、人生の有頂天に彼はあった。


 だから当然思っていた。

 断られるワケがないと。


 そうしたら。

 入部当時から木野をよく目にかけてくれた、大恩ある先輩、演劇部部長、石動涼子いするぎりょうこは、

 こう言った。


「えー!? あっはっは、いや参ったなー! ……ごめんなぁ木野後輩、無理だわソレ。実はさ、あたしね? 二年前から付き合ってんのよ、顧問のセンセーと。卒業後の結婚を前提にして、今はお互い手も握らずちゅーもせず、清く正しく真剣に。ほら、やっぱりさー、ああいうだらしなくていい加減なだめ男には、あたしみたいな超絶気の利くしっかり者が女房になってやんねーといけないじゃない?」


 翌日の朝。

 件の教師(三十二歳)は、職員室の机の上に【退部届】と書かれた封筒が置かれているのを発見する。

 中には一枚の用紙と、先の演劇祭で使われた小道具である一枚のシュリケンが同封されていた。


 書類にはこうある。

 退部届。

 所属科及び学年とクラス、普通科二年三組。氏名、木野良孝。

 部活動名、演劇部。

 退部理由、


悪鬼悪霊芥あっきあくりょうあくたごとし』。


 それは彼が書いたあの脚本の中で、主人公が大見得を切って言い放つ、どんなに巨大で実体の掴めない悪も必ず滅びるという、あらゆる敵への不屈を示す宣言だった。



      ▲



 以上が、鋼の如き馬鹿の製造過程。

 木野良孝を鍛鉄した、炎と槌の記録である。


 実のところ、を始めたのは彼にとって偶然に過ぎない。

 なればこそ、それは宿命であり、運命であり、天命であり、つまりは神の思し召しであったのだろう。

 

 あの日、あの時。

 演劇部退部以来それまでの日常で消費していたエネルギーを持て余し、くすぶり続けていた高校三年目の春、四月。


 白守自然公園、北方面、条狐池遊歩道――ここ最近魂の避難所として逃げ込んでいた中途に誂えられたベンチのほど近くで、ガラの悪い二人組の男女が、面白半分に破壊した地蔵の頭を蹴り転がしてゲラゲラと笑っている場面に出くわし、というより、人気に怯えて飛び込んだ草むらで。


 木野良孝の中で、明確な言葉にすることが出来ず放置されていた、不条理に対するこの上ない怒り、瞬間的で膨大な熱量によって組み合わさり、急速にかたちになった。


「なんだちくしょうあいつらふざけるな、一体どういう教育を受けたんだ」、と若干の涙目で毒づいた、一拍後――世界を変える閃きが、だらけていたシナプスを駆け巡り、そして、すべてを目覚めさせた。


 瞬間。

 芽生えたもののその名称は、驚くなかれ使命感。狂おしきまでの正義感。

 導いてやらねばならぬ、と彼は思った。


 この勘違いだらけの世界で、最も残酷な事とは何か。

 それは、大人によって与えられた不実にして無責任な嘘。たっぷりの綺麗事で飾りたてられた、お為ごかしの紛らわし。

 

 厳格であるべき、正確であるべき、誠実であるべき上位者の誤った教育が。

 真実を知らないことが、知らされないことこそが、元は純情であったに違いないあの二人のように、人格の破壊された被害者を生み出す。


 信じているから疑いなく教授し。

 別の誰かへ伝播感染した過ちが。

 取り返しのつかない悲劇を招く。


 ……そうだ、そうだ、そうなのだ。

 たとえばたとえば、あのときもあのときもあのときも。

【勘違い】こそが、全ての原因、元凶だった。


 もっと早く知らされていれば。

 まわりの大人が本当のことを言っていれば、あんなことにはならなかったのに。


 中学、文芸部の顧問。 

 何が『楽しんでこそ創作ですよ』だ。

 楽しんだ結果があのザマだ。中三秋のツケの払いだ。

 アリとキリギリスも知らなかったのかアンタは。それとも知った上でそうしてたのか。快楽に依存しきった堕落主義を推進するとはあんた悪魔の王様か。


 高校、演劇部の顧問。

 何が『部員のみんなは僕にとって家族のようなもの』だ。

 ダブルミーニングも大概にしろ。ああそうだともそうだともそういう意味じゃあ確かにおまえは本当のことを言っていたさ。

 だからこそ最もドス黒い卑怯者だ。そうやって言い訳出来る逃げ場を残した。言葉の裏の本当の意味に気付かない馬鹿の愚鈍さは良い酒の肴にでもなったかよ。


 俺がさっきまでああやって一人で空しく家に居場所もなく公園で寂しく本なんか読んでた時にも、おまえ、おまえは、おまえらは、誰も彼もが自分の間違いに気付きもしないで、良いこと言ったふうな勝手な言葉に満足して陶酔して、楽しく楽しく今夜も誰かと過ごして笑って笑って笑って笑って――――――ああああああああああああふっざけんじゃねえぞぉぉおぉおおおおおおおおおおまえららぁあああああああああーーーーーー!!!!


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!! 馬鹿に、しやがってぇえええええぇええええええッッッッ!!!!」



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 ――最初の日。

 木野は、いかにして二人組を撃退したのか、その正確なところを覚えていない。


 心臓が爆発したような激情に身を委ね、遠ざかる悲鳴で己を取り戻したとき、彼は片腕隠しのトリックを使い、今朝実家の押入から発掘し二人組が現れるまで読んでいた、ハードカバー360ページの蓬田連治郎著【菜の花】を鈍器さながらに振り上げている自分を発見した。


 ……偶然というにはあまりにも出来すぎている、この場所に纏わる因縁と状況の符号を木野が知り、これぞまさしく天が自分に授けた大いなる使命であると、文芸部で培ったキャラクター創作のスキル、演劇部で磨いた役者のスキルを用いての『活動』の開始を決意するまで、あと十二時間五十九分二十二秒。


 かくして。

 このような成り行きで、白守自然公園、北方面、条狐池遊歩道に、怪談が誕生した。


『大人が身勝手に創り出した常識などまったくあてにはならず、自分自身で確認したものをこそ真実として認めるべきだということを、大人が否定する世迷い事の象徴たるオカルトの形を借りて啓蒙する』。

『特に、日々悩み無く溌剌と楽しく過ごしているような若者に』。

 

 という冗談のような信念を大真面目に大義名分として掲げる彼が、活動の最初にまず行ったのは、蓬田の例の友人のキャラクター性を正確にかつ深く把握する為に、市立図書館へと赴くことだった。


 木野良孝。

 ディテールに基づく演技の質には、凝り拘る性質である。



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