黄金舞踏~バリツ~
「そ──そんな……嘘よ! どうしてあなたが!?」
取り乱し、ありえないぐらいに狼狽し、黒詩嗣躯はよろよろとその場から後退する。
まるでいまにも逃げ出してしまいそうなくらい、彼女は及び腰になっていた。
私は、いまだにいうことを聞かない、しびれが残る体で、それでもなんとか視線を巡らせる。
戸口に立つ、ふたつの人影を、私は見たのだ。
ひとつは純白の乙女。
潔白にして漂白にして無垢なる白色。
犯罪詩メリー=メアリー・スー。
そして、それを従える黄金こそは──
「犯罪王──森屋帝司郎!」
「御招き頂き恐悦至極。紹介いただき面映ゆく、犯罪王森屋帝司郎。すべてを投げ打ち、乙女たちの夜会、その秘め事へと参上した次第だ──淑女たちよ、どうか僕のことも、仲間に入れてくれたまえ」
杖を突き、帽子を胸元に抱いてお辞儀をする少年。
ゆっくりとあげられるその顔の──その笑みはあまりに眩しく、人の眼を、魂すらも焦がしかねない。
極上を超える至上、
「ぐ……ま、招いてなんていないですよー? どうぞお帰りはあちら様ですよー?」
「まったくつれない女性だ、君は。君を愛し続けた愚かなジャックも、新たに君を愛した偽りのジャックも、さぞや報われないことだろう。違うかね
少年は柔らかな笑みをたたえ、ゆるゆると首を左右に振り。
そうして──彼女を一喝した。
「この
ヒッ!? と黒鳥と呼ばれた女性が引き攣った悲鳴を上げる。
……本来なら、犯罪者を思いやる感情など、私は持ち合わせない。
だが、この瞬間、この一瞬に限っては、私は殺人者である彼女に、同情を覚えてしまっていた。
犯罪王を前にして無作法をさらす。
その恐怖を、私もまた、我を失ったとき、等しく味わっていたからだ。
彼は怒っていた。
憤慨していた。
森屋帝司郎の表情は、憤怒に燃えるそれであったのだ。
いつもの微笑みなどはどこにもない。
あるのは苛烈な、なにもかもを焼き尽くしてしまいかねない、黄金の極光のみで──
「かつて、君の犯罪は芸術だった。そこに至る過程、その過程に宿った遺志は、間違いなく崇高で、美しいものだったのだ。穢れ無きモノだった、無垢なるモノであった。だからこそ、僕はあの夜、君を見逃したのだ。ああ、忘れもしないあの夜だ。あの瞬間、あの暗闇の中で見た黒い光は、確かに美しかったから──だから僕は、君が生を、謳歌することを望んだのだ」
「そ、そう!」
少年の惜しむような言葉に、一縷の希望を見出したのか、殺人者は縋りつく。
その言葉を、必死で肯定する。
「そうよ、わたしが──わたしがお師さまを殺した日、あの夜に、あなたはわたしを許してくれたわ! だから、だから今回も──」
「赦さない」
「────」
殺人者は絶句した。
その歌うような声音が、その懇願が、犯罪王のたった一言によって、微塵のように粉砕される。
苛烈なりし黄金は、誰よりも容赦なく、斬首の大鉈を、執行の刃を、断罪の言葉を振り上げる。
「僕は君を赦さない。許したことはあったけれど、そのあと見守り続けてはいたけれど、もはや赦すことはまったく不可能だ。君は
ゆえに、僕は破壊しよう。
僕こそが破壊しようと──
少年は冷徹に、犯罪王は冷厳に、致命的な宣告した。
「君の
「ふざけるなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
黒詩嗣躯は絶叫する。
怨嗟を吐きだし、喉を割れんばかりに震わせて、血走った眼を見開いて。
彼女は叫び、黄金へと飛び掛かった。
「殺す! あなたも殺す! 殺して──世界一美しい義肢にしてあげる!!」
私の目ですらとらえきれない超高速──
その両手、両足が漲るように膨張し、作業着が内側からはじけ飛ぶ。
剥き出しになったのは、おぞましいほど闇黒の──昏く光る幾つもの鳥の羽が刻印された義肢──彼女のすべての四肢が、義肢であったのだ。
義肢は黄地玄男の時と同じように、それ以上にけたたましく美しく、歌声のような風切り音を奏でる。
その魔手が、魔足が、回避不能の速度で少年へと伸びて──
「──え?」
気が付いたとき、黒詩嗣躯は宙を舞っていた。
ドスンと音を立てて、壁へと叩きつけられた彼女は、ずり落ち、呆気にとられた表情になって、私たちを見ていた。
「な、なにが──惑わせて、くそっ、なにが犯罪王よ! こんなところで断念できない、わたしには、わたしはあのひとを──死ね──死んでよ、死ねよ森屋帝司郎!」
ふらふらと立ち上がり、ぶつぶつとなにかを呟いた彼女は、次の瞬間黒い疾風となって少年へと突撃する。
その速度は、私が対峙した黄地玄男の比ではない。
あの右腕に振り回されていただけの彼とは根本的に異なる体捌き──四肢たるすべての義肢が、桁外れなのだ!
そこにはあまりに、あまりに決定的な性能差がある。
ある、はずなのに──
「遅い」
短く呟くと同時に、帝司郎少年の手が、迅雷の速度で跳ねる。
彼の手にあった杖が、殺人者の左足へと延び、踏込の瞬間巻き上げるようにして掬い上げる。
体勢を崩された彼女は、歯噛みしながら飛退こうとするが、
「っ!」
その一瞬の動作が致命傷となり、翻った杖の石突きが、彼女の鳩尾を貫く。
「ガフッ!?」
無理矢理に押し出される呼気。怯む彼女。
そして殺人鬼がそれを知覚した時には、すでに彼が──黄金は、その小さな身体を、間合いの内側へと滑り込ませ終えていた。
少年の繊手が、淑女の手をリードするように引けば、容易く黒詩嗣躯の肉体は前方へと傾ぐ。
一度傾いでしまえば、体勢が崩れてしまえば、あとはどれほど足掻こうとも、もはやすべては犯罪王の掌の裡だった。
少年が背を丸め、
彼女の腹に突き立つ少年の右足。
「──嗚呼」
鮮やかに、どこまでも鮮やかに。
黒詩嗣躯の肉体は、空へと投げ出されていた。
まるで、小鳥が大空へと飛び立つ、その瞬間のように──
──真捨身技。
いわゆる──〝巴投げ〟だった。
「ぎゃん!?」
あらゆる力の繊細な制御による、凄まじい威力の投げ技を見舞われた彼女は、その肉体を強打し、ついに崩れ落ちる。
魔少年は優雅に立ち上がると、紳士服についた埃を、軽く払いのけてみせた。
「超実践杖柔術〝バリツ〟──かつて僕の曽祖父が遅れをとった技だ。当然、同じ轍を踏まないために、当代の犯罪王たる僕は身に着けているさ」
バリツ。
それは犯罪王モリアーティ教授と、名探偵ホームズがライヘンバッハの滝で果し合いを演じたとき、ホームズ側の切り札となった武術の名だった。
日本の柔術にも杖術にも近いとされるそれは、まさしく神業となって、いま黄金の少年の身体に宿っていたのである。
「……やれやれ」
幻の武術を間近で披露されたことに圧倒され、呆けている私をよそに、森屋少年は疲れたように溜め息をつく。
「ミス・ツグミ。君の始めて犯した犯罪は、あんなにも美しかった。不可能に満ち満ちていて、そこに宿った精神に、僕は感服したのだ。だが、それがどれほど気高いものだったのか忘れてしまったというのなら、これからも同じ愚かしさを選び続けるというのなら、たかが恋に惑ってしまう憐れな君には、もはや打つ手はこれしかない。ああ、メリー。メリー=メアリー・スー。僕の唯一にして最大のご都合主義よ──どうか一息に──〝食い散らかしてしまえ〟」
『 それは罪だというの?
愛すること、愛されること。
それは罪だというの?
より高く空を飛びたいと願った鳥の夢は。
それは罪だというの?
──歌の上手な鳥が、もっと上手に唄いたいと願ったことを。親鳥がその為に、自ら火の中に飛び込んだことが。
小鳥はなんのために歌を歌うの?
なんのために? なんのために?
もしそれを、罪だというのなら。
私は憐れで、だから食べてあげるの。
哀しいことを、おしまいにするために──』
降された犯罪王の勅命を受け、メリー=メアリー・スーの拳が、罪の具現を撃ち砕く。
粉砕され、破壊されたのは、歌うように罪を暴露した、義肢職人のその四肢だった。
彼女の義肢こそが──ナーサリークライムだったのだ。
「……証明終了。講義をこれにて、閉講する」
森屋帝司郎。
彼のその呟きは、どこかもの悲しげな響きを孕んでいた。
こうして永崎連続傷害事件の幕は、今度こそ降ろされたのだった。
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