真犯人は歌う
CLOSED。
一切の立ち入りを禁ずるというその看板を無視して、私は店の扉へと手をかけた。
予想外に……あるいは予想のとおりに、鍵のかかっていないドアは、私を容易く店内へ迎え入れた。
室内は暗い。
入り口付近だけが、光のなかにある。
「…………」
私は無言で、奥へと進んでいく。
周囲を子細に観察すると、あの日は気が付かなかった様々なものが見て取れた。
工具、器具、義肢の見本。
それらが所狭しと吊るされている、密林のような展示スペース。
ジャックの義肢工房──
そこが、私の辿り着いた場所だった。
無言を貫いて、店内を奥まで進むと、そこには鎖された扉があった。
終点だ……だが、私はその先に進む。
扉の先は、暗闇だった。
見通せないほどの、暗黒。
その闇黒の渦中に、私は一歩、踏み入って──
「ようこそお客様! めくるめく──
歌うような、小鳥のさえずりのような声と同時に、強い光が点灯し網膜を
一瞬、私は視界を奪われて──
「がっ!? ガフッ……!」
鳩尾を貫通した、とてもつもない衝撃に、肺腑のすべての酸素を吐きだして、私はその場に崩れ落ちてしまった。
い、痛い。
熱い、苦しい。
気持ち、悪い──
えっぐ、えっぐと、何度もえづき、呼吸不全に陥る私を見下ろす影があった。
涙と苦痛に滲む視界で、悶えながら、それでも必死に見遣れば、そこに愉悦の表情を浮かべた小柄な女性が──長袖長ズボンにエプロン、作業着姿の女性が立っていた。
「まあ! まあ! やっぱり丈夫! そんな体で、なのに鍛え上げているなんて、強くて美しいです!」
「
唾棄するようにその名を呼べば、彼女──義肢職人黒詩嗣躯は、満面の笑みで「はい!」と答えた。
「ええ、ええ、そうですとも! わたしがあなたをお呼び立てしたのです! ……ですが」
彼女は、残念そうに首を傾げて見せる。
「意外なことです。驚きに、なられないのですね?」
相変わらずの歌うような声で、彼女はしょんぼりと私に問いかける。
「それに、思っていたよりずっと早くご到着されてしまいましたぁ。どうしてです?」
どうして、とは。
「どうしてわたしが、あの手紙を書いたって、斑目さん、解かっちゃったんですか……?」
解りたかったわけではない。
出来ることなら、理解などしたくはなかった。
それでも。
それでもあんな、致命的なミスを犯されては──見逃すことなど、できないのだから。
私は、苦しい息の下から右手を伸ばし、親指と人差し指、それに中指を立てて見せた。
「あな……あなたが、犯したミスは、みっつ……です」
ひとつ。
中指を折る。
「黄地、黄地玄男はあまりに、け、献身的過ぎました。すべての罪を認め、あれ、あれだけのことをして、て、いまだ復讐の焔が、消えていな、いないのに、わざわざ私を呼び出し捕まってみせた。それは、それ、は……共犯者として、彼があなたを──」
「違うわ」
きっぱりと、彼女は言う。
無下に、切り捨てる。
歌うように、辛辣に。
「言ったでしょう、斑目さん? あのひとはただのビジネスパートナー。義手を作ってあげただけの関係よ。なのに、自分の売り上げばかり考えて、復讐ばかり考えて、自分勝手で哀しい人です。でも、おかげでたくさんの〝材料〟を手に入れることができて、義手を困っている人に配ることができて、わたしはとっても、とぉぉっても、気分がよかったですけれど」
「……ふたつ」
私は、親指を折る。
「わ、私を、ここへ呼び出す手口、が……あまりにも、
あんな手紙まで使って呼び出すなんて、さすがに度が過ぎている。
まるで秘密の暴露のようなあの手紙は、あまりに露骨すぎたのだ。
そう告げれば、彼女は、黒詩嗣躯は、楽しそうに首を振ってみせた。
「いいのです、それで! だって、だってわたし、この国を離れるまえに、どーしても斑目さんとお会いしたかったんですもの! あなたには、大切な、大切な用事があるんですものー!」
「みっつ」
くだらない。
こんなくだらない茶番に、いつまで付き合えというのか。
いまにもきれそうな堪忍袋の緒を、それでもいさめながら、私は最後の指を、人差し指を、折った。
「森屋帝司郎は──私の苗字に敬称を付けない」
「……ふぇ?」
こぼれ落ちたのは間の抜けた声。
眼はきょとんと見開かれ、首はゆっくりと傾げられている。
意外なのか。
ああ、そうだ。もし、それがなかったのなら、私はこんな醜悪な真実には、到達しなかったに違いないのに……!
故に、私は告げる。
決然と、告げる。
「あの少年は、あの愛すべかざる黄金は、私をいま、壬澄と呼ぶのです。私が正気を失えば、ミス・ミスミと揶揄することはありますが、そんな無意味なことを何度も繰り返すほど、彼は愚かではない」
なにより。
「彼はかつて一度も──私をミス・斑目などと呼んだことはないっ!!」
そう、そんな侮辱を、彼は良しとしない。
斑目壬澄のことを、少しでも知る人間ならば、私が名前や苗字に敬称を付けられることを病的なまでに嫌う事実を知らないわけがないのだ。
唯一例外たる御手洗部長ですら、許しているのは名前まで。
名字に敬称など、あるいは特定の役職で呼ばれることなど、私は絶対にたえられないのだから!
マーダ―サーカス事件。
あの到底許容しえない地獄において、あの惨劇の白昼夢を経験した私にとって。
それは絶対に容認できないことなのだ。
そんな私の過去を知っている人間が……そんなバカな呼びかたをするものか!
「もし。もしそれをやってしまうとしたら、勘違いしている者だけです。勘違い、誤解……倒錯。そう、あなたのまえで──メリー=メアリー・スーが、私を斑目サマと呼んだから!」
「──ああ!」
黒詩嗣躯は、感極まった表情で手を打ち鳴らした。
まるで歌劇でも鑑賞しているかのような楽しげな顔だった。
そうだ。あの純白の少女は、この義肢職人の前で私を斑目サマと呼んだのだ。まるで、帝司郎少年がいつもそう呼んでいると言わんばかりに。
だから、この女性は勘違いしたのだ。
「……さあ。私が此処に辿り着けた理由はきちんと話しました。だから……だから今度は、あなたの番です、黒詩嗣躯さん」
どうして、偽の手紙まで使って私を呼びだしたのか。
どうして、いま逃げ出そうとしているのか。
どうして──
「どうして罪人たちの手足を切り落とし、どうして倉科昂樹を──そして自分の師匠すら、殺めてしまったのですか!!」
「────」
その糾弾に。
私の怒りにも似た問いかけに。
弾劾に。
「えへ」
彼女は、狂笑を以て、答えた。
「えへへ──へへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ!!!!」
嗤う。
狂ったように、狂った顔で、彼女は、嗤う。
答える。
「簡単! とっても簡単な理由なの! そんな、そんなに怒るようなものじゃないわ!」
殺人鬼ではない殺人鬼。
永崎連続殺人事件──ジャック・ザ・リッパー事件の真犯人。
連続傷害事件の犯人が、いま語る。
「欲しかったのよー! 手足が、生きた手足が欲しかったの! 私の愛しい〝それ〟を、産みだすために──!」
──義肢の材料が、欲しかったのよ!!
彼女は、叫んだ。
歌うように、叫んでいた。
「だって、こんなにも精巧な義肢、こんなにも特別な代物、普通の材料で作れるわけないじゃない! 普通じゃないものを作るには、普通じゃないことをしなくっちゃ! 義手、義足、義肢! 私の謹製──ジャック師匠直伝の、黒詩嗣躯の傑作義肢の材料は──人の骨に、血肉、神経なのよー!」
────。
……そうだろう。
そうに決まっていた。
だって、そうでもなければ──特許なんか、とっくにとっているはずなのだから。
人体を素材にしているからこそ、それが禁忌だからこそ、特許を出願することはできなかったのだ。
ああ、こんなのはひどいイタチごっこだ。
手足を失った人に与えるために、罪人から手足を奪うなんて──こんな、こんな堂々巡り、まるで醜悪なスパイラル──
「……でも、何故ですか?」
材料としての手足が必要ならば、黄地玄男が拉致した犯罪者たちの手足を切除するだけでよかったはずなのに。
それこそ傷害犯のままでよかったはずなのに。
殺すのは、復讐者は彼だけのはずだったのに。
なのに、なぜ、あなたは──
「あなたは何故──倉科昂樹を殺したのですか?」
そう、彼を死に至らしめたのは超暴力だけではない。
その心臓に突き立てられた、一本の手術用メス。
彼女が切断に使ってきた仕事道具こそが、凶器だったのだ。
必要だったのが、生きた人間の手足だったというのなら、手足など失っていた彼を、どうして殺す必要が──
「殺したかったからよ?」
彼女は、黒詩嗣躯は。
透き通るほど純粋な表情で、ただそう言った。
「殺したかったから。わたしたちに邪魔だったから。わたしたちを捕まえようとしたから。殺人は、楽しいから!」
嗚呼──
「試したかったの、そう本当はいつも、試したかったの。 わたしの作った義肢の性能を、この究極の義肢の力を、どこまでできるかを追求したかった! だから、あの憐れな男を利用したの。わたしが唆して、ひとを殺すように仕向けたの。そう──事件の主犯、事件の黒幕、事件の真犯人! それがわたし! ……でも足りなかった。わたし自身の手で体験したかった。黄地玄男なんてダメな使い手ではなくて、わたし自身のこの手で……だから、あの刑事さんを、殺したの。鍛え上げられたあの刑事さんを、素材にするまでもなく、生きたまま
それはとっても。
「とぉぉぉっても、たのしかったわぁ!!」
「────」
「あは! 驚いてくれた! 今度は驚いてくれわね! じゃあこれもとびっきりねー、教えてあげる。わたしがどうしてあなたを、逃げ出すまえにここへ呼び出したか──」
彼女はすっと、私へと顔を近づける。
そのちいさな顔の、整ったパーツのすべて、醜悪な皺の塊に変えて。
彼女はニタァっと、嘲笑してみせた。
「今度はわたし──あなたの手足が、欲しくなっちゃったのよ?」
──ああ、と。
これはどうしようもないと、胸中でため息が漏れる。
この女性は、この殺人者は、もはや引き返せない所まで来てしまっているのだと。そう、痛切に理解するしかなかった。
こんな真似をするなんて、ここまでするなんて予想外も
たったひとりのその為に。
だから私は。
私には、この犯罪者を捕まえることはできず。
なにより。
〝彼〟から救ってやることも、出来そうにないのだった。
「では──
美しき黄金が、遍くすべてを照らし出す。
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