真相篇
弔いと、一通の手紙
──その日は、よく晴れた月曜日だった。
故人の気質がそのまま表れたような、気持ちのいい青空が、どこまでも広がっていた。
参列者は、平日であるにもかかわらず100人を超えていた。
署内からも多くの者が、彼との最後の時間を過ごすため、弔問に訪れていたのだ。
倉科昂樹巡査──いや、殉職によって二階級特進し、警部補となった彼は、遺影のなかでのみ、からりとした笑みを浮かべている。
棺のなかを覗き込む者はいない。
可能な限り、私や蜜夜、御手洗部長にさらにその上司まで。方々が手を尽くし、医局に働きかけ、遺体の修復に尽力してもらったものの、それは、いまだ二目と見れたものではない。哀しい彼の姿を、わざわざ目に焼き付けようとする変わり者などいはなしなかった。
……そう、私以外には、いない。
彼の家族でさえ目を覆うような、その凄惨な遺体を私は目に焼き付け、そうして心のなかでのみ、告げる。
倉科くん、あなたのおかげで、報われない殺人者の凶行を止めることができました。
あなたは。
「偉大な、刑事です」
胸裏からこぼれ落ちた言葉は、遺族の耳に届いてしまった。
泣き崩れる彼の母親を見ることが忍びなくて、それでも目をそらすこともできず、私は哀悼の祈りを続けるしかなかった。
◎◎
倉科くんの葬儀を終えた私は、署へ直帰した。
彼の死は悼ましいことだとはいえ、やるべきことはまだまだいくつもあったし、なにより立ち止まることこそが彼にとって最大の不敬に当たることは、なによりも明らかだったからだ。
「あ、帰ってきたのね、壬澄。頼まれていた事件の資料、机の上に置いておいたから、あとで確認してちょうだい」
廊下で出くわした友人──鑑識課の西堂蜜夜が声をかけてくる。
「ありがとう、ミッちゃん。助かります」
「……あんまり根を詰めないようにね。というか、担当の刑事がぼやいてたわよ、一年も前の事件をひっくり返してどうするつもりだーって」
「たった一年ですよ、でも、どうしても裏がとりたかったんです。この街は普通の失踪者も多いですからね、じつは劉さんにも──以前ミッちゃんを連れていった中華屋さんの」
「あの壬澄に色目を使ってた優男ね……はいはい。好きなだけ調べなさいよ」
呆れたように肩をすくめる同期の桜に、私も苦笑を返す。
「……笑えるんだもの、やっぱりあんたは強いわ」
「はい?」
「なんでもない。それより、資料と一緒にミセドのフレンチクルーラー、差し入れしておいたから。あんた好きでしょ、あの甘ったるいの?」
「本当ですか!」
「こんなことで嘘つかないわよ。きちんと糖分、頭に回しておきなさい」
あんたはまだ、やるべきことがあるんだろうから。
そんな風に言葉を残して、ひらひらと手を振り去っていく彼女。
ああ、持つべきものはやはり親友なのだと、私は胸の裡がすこしだけ軽くなるのを感じていた。
デスクへと戻る間に、常時つけっぱなしになっているテレビが目に入った。
メディアではいまだに、件の事件をセンセーショナルに扱っている。
現代のジャック・ザ・リッパー事件と評される一連の猟奇殺人事件について、ディスプレイの向う側では、専門家を名乗る男性が「これは自己顕示欲の発露と異性に対するねじれた情欲が──」などと、それらしいことをのたまっていた。
黄地玄男に対する取り調べは、今日にいたるまで続いている。
彼の動機は復讐。
共犯者は根岸和利。そして被害者の周辺人物すべて。
犯行の方法は、被害者の周囲のものを恫喝し、食事などに睡眠薬を盛る。前後不覚に陥ったところで拉致し、復讐に必要な情報を拷問──手足の切除などだ──のすえに聞きだし、その後は殺害。死体を損壊し、口裏を合わせた者たちの渦中に放置した……ということになっている。
倉科くんを殺害した理由を彼は、復讐を止められたくなかったからだと説明し、私を殺そうとした理由を、専門家を殺せば自分は捕まらないと思ったと証言している。
同時に、事件に感づいた私を、根岸医師が排除するように命じたからだとも。
……問題は、彼が私を専門家として扱ったということである。
彼は自分を、
確かに、彼が実行しやり遂げた復讐劇は、おおよそ常人が真似できるものではない。
不可能性の方がよほど高い事件だっただろう。
だが、本当に
そもそも、私は誰にも認識されない事件という点をマーダ―サーカス事件と重ね合わせ追っていたのだ。
その部分こそが、超常現象──ナーサリークライムだと思っていた。
しかし、彼はあの日嘲笑した通り、その部分を否定している。
では、いったいなにが、それを犯罪詩たらしめているのか、私にはまだ解らない。
事件現場で必ず聞こえたという歌声についても、いまだ謎のままだ。本当にあの腕が生んだ音色がそれだったのだろうか。少なくとも私は納得できていない。
或いは……曲解、しているのかもしれない。
いま私が抱えている疑惑は、おそらくその類だ。
ジレンマとでもいえばいいのか……黄地玄男は自らを殺人犯であると、復讐者であると認めている。事実、彼は間違いなく犯罪者だ。
だが、それがなにか、私には意図的に曲解させられた事実あるように思えてならないのだ。
まるで真実から──
だから、その不信を払拭するために、私は捜査を継続しているのだけれども──
「ん?」
考えごとをしているうちに自分のデスクへと辿り着いてしまっていた私は、そこで机の上に見覚えのないものがいくつか置かれていることに気が付いた。
ひとつは紙製の箱。
これはミセスドーナツと書いてあることからもわかる通り、蜜夜が置いていってくれた差し入れだろう。
もうひとつは書類の束で、これも彼女に頼んでいた調べものに違いない。
問題は、朝にはなかったはずの封筒が一通、そこにおかれているということだった。
表面にはただ
『斑目壬澄 さま』
と、書かれている。
近くの同僚に尋ねてみるものの、それを置いていったものに覚えはないという。
庶務にも確認をとるが、私宛に送られてきた郵便のリストには乗っていないとのことだった。
「…………」
とりあえず脱いだ上着を、椅子の背もたれに掛けつつ、しばし思案に暮れる。
記憶に新しいのは、
私のような恨みを買いやすい立場になれば、カッターの刃や使用済みのゴムスキンが送付されてくることなど珍しくもない。
だから、明らかに怪しげなその封筒を、不用心にあけることは躊躇われた。
それでも私が開封する決心をしたのは、封筒の裏側に書かれた名義によるところが大きかった。
森屋帝司郎。
そう、そこにはたしかに、その名が記されていたのだ。
ペイパーカッターを取りだし、封を切る。
──彼ならば古風な封蝋ぐらい使うだろうにとは思いもしたが、おさめられた便箋を一読した瞬間には、もはやそんな疑問はどこかへ行ってしまっていた。
そこには達筆な文字で、次のようことが書かれていた。
『拝啓 斑目壬澄 様』
『大馬鹿者め。君はいよいよ僕の意図を汲まなかった。元より期待していたわけではないが、はっきり言って失望した。残念だ。この事件は、どうやら君には荷が勝ち過ぎていたらしい』
『正確には〝君たち〟に失望したというのが正しいだろう。この犯罪温床都市永崎の住人であり、その秩序を守るべく番人たる君たち警察の無能さに、僕は悲嘆に暮れざるをえないのだ。この事件の解決に際し、君たちは消極的な戦術しか取れなかった。いまだ、真実に到達したとは言えない。これについて、はっきりと嘆きと軽蔑を告げることにする』
『どうしようもない、本当に君たちはどうしようもない。僕は言ったはずだ。人間は必ず嘘を吐くものだと、ありえない事なんてありえないと。なんのためにひとが偽りを抱くか──そんなもの、有史よりたったひとつの理由しかあるまいに』
『斑目壬澄。これは僕からの最後通牒だ。いますぐに、事件の真相へと到達したまえ。そうだ、この事件、この一件に限っては、僕こそが真犯人だ。僕がすべてを見逃してきたからこそ起きた、見るに堪えない醜態だ。故に、罪は僕にある』
『よって、ひとつだけ。たったひとつ〝
『僕は君に、いったいなにを解決しろと言ったかね? この連続殺人事件は、死体損壊事件は、《連続傷害事件》はなぜ起きた? なんのために、誰のために? なぜ被害者たちの手足は切り落とされたのか──』
『シンプルに、そして最速で回答を提出したまえ。猶予はない。ジェスロ・タルが歌った街並みから、歌鳥はその偽りの翼で夜半に飛び立つだろう。その前に、君が至らなければ、僕がすべてを砕くつもりだ』
『……どうか、そんな虚しい真似を僕にさせてくれるな。それは紳士の振る舞いではないのだから。そう、紳士的とはとても呼べない代物だ。どうか、どうか解って欲しいのだよ、ミス・斑目』
『さいごにひとつ、これだけは明言しておくことにする』
『僕は、美しいものの味方だ。犯罪は芸術でなくてはならない、殺人ならば、なおさらに。願わくは、僕の到着よりも早く、この異形の芸術、醜悪に零落した欠陥品に、終止符という名の慈悲が打たれることを、切実に祈る。』
『君の気高き精神を信奉して』
『犯罪王にして、切り裂きジャック事件の真犯人──森屋帝司郎 より 敬具』
「……ッ」
手紙を読み終えた瞬間、私は叫びだしたい衝動に駆られた。
それでも必死に奥歯を噛み締め、眩暈がするような怒り──そう怒りだ──に震えながら、脱いだばかりの上着を引っ掴んだ。
「──どこに行くつもりだ、壬澄くん」
異常に気が付いたのか、誰かが──世界でただ一人、その呼びかたを許す彼が──私へと問い質すような声を投げる。
「ジャックの片羽根を探しに。行きたくもない場所へ」
それだけを口にするのが精いっぱいだった。
胸中では幾つもの悪態が吹き荒れていたからだ。
嗚呼。
何故、なぜ私は、いつも──
「気をつけろよ」
「──はい」
この身を案じてくれる御手洗部長の言葉に背を押され、私は止めていた足を動かし、走り出す。
署内から飛びだし、すぐさまタクシーを拾った。
ああ、そうだ。
まだなにも終わっちゃいない。
歪んだ愛の物語は、終結してなどいなかったのだと──私はいまごろになって理解していた。
私は、運よく捕まったタクシーの運転手に、目的地を告げた。
「
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