終わる事件

 雄叫びとともに、なにか途方もない危機が──脳内で危険を告げるアラートが全力で鳴り響く──私の頭上から降り注ぐ!

 反射的に、いや、ほとんど本能的に。私は前方へ倒れ込むようにしてその場から逃れていた。

 響き渡る、なにかを砕き散らす音。

 同時に鼓膜を震わす、得意な音色メロディ

 雷光が走った。

 見えたのは、床に拳を突き立て、狂気の笑みをたたえた乱れ髪の男。

 ピッシリと着込んだスーツの右そでは無く、そこからは暗黒色の義手が覗き、モルタルうちの床を、放射線状に砕いている。

 そうだ、凶器ははじめから目の前にあったのだ。

 その義手こそが──人体を裂断足らしめた凶器だったのである!


「よけないで、ください、よッ!!」


 黄地玄男が振りかぶる。

 私は右に跳ぶ。

 振り抜かれた拳が、盛大な音を立てて倉庫内に積まれていた物品を破壊する。木箱が崩壊し、その破片がいくつも私の頬に当たった。そしてまた、あの音が聞こえる。

 

 

 ゴロゴロと転がり、距離を取って立ち上がりながら、近場の物陰に身を隠す。

 歌──犯罪現場で必ず聞こえるという歌声の正体は、これなのだろうか? あの……剛腕が空を裂く、凄音が……?

 荒い息が耳朶を打つ。

 誰の呼気だ、私か、彼か。

 考えがまとまらない。

 私は隠れたつもりだった。

 しかし、意図して作られた物陰は、すべて彼に把握されていたのだ。

 犯罪者が、、稲光のなか、私の姿を認め、嗤った。

 見開かれた眼球に、もはや正気の色はなかった。

 ──地を蹴った、私と彼が、ほぼ同時に。


「邪魔者は、シねえええっ!!!」


 尋常ならざるその奇声は、常人が相対すれば正常な判断力を失い、全身を硬直させるにたる魔哮だった。

 恐怖に縛られ、委縮した身体では、保護色のように闇に溶け込むその拳を交わすことは不可能だっただろう。

 それでも。


「──ふっ!」


 裂帛の呼気を吐きだすとともに、私は愚直に突き出されたその右手きょうきに、おのれの両手を絡ませる。

 正気を失った男が侮蔑をもって吠える。


「その小さな体でなにが!」


 彼の口元は、慢心と愉悦によって半月のように歪んでいた。

 だが、僅かな時間の後、そこにあったのは驚愕の表情だった。

 私を薙ぎ払い押しつぶそうとする彼。

 その足を、私は一息に払ったのだ。


「なっ!?」

「侮るなよ──犯罪者。私がこれまでに──どれだけの不可能犯罪者を相手取ってきたと思っているのですか?」


 相手の驚きが伝わるほどの距離で、さらに私は肉薄。

 左手は相手の腕を掴んだまま、右手を襟首へと伸ばし、小柄な体躯を最大源に活かして、腰を落として捻り、身体の上に相手を乗せ、跳ね上げる。

 そうして──投げる!

 警察学校で、まずはじめに教わる戦闘のための体術。

 柔道が基礎にして奥技──一本背負いだった。


「──ギャッ!?」


 驚愕に制御を失ったのか、受け身も取れずに荷物の山へと突っ込んむ、黄地玄男。

 その姿をしっかりととらえながら、私は残身を解き、ゆっくりと構え直す。


「……動きが、ですよ」


 呻きながら立ち上がろうとする犯罪者に、全身がしびれ、起き上がれない彼に、私は冷たく、ひたすら冷静に告げる。


「動きが、素人なんですよ。卓越された人殺しの、それじゃないんです」


 義手の性能を、私は既に見ていた。

 永崎大学付属病院で、数段劣るとはいえ、あれが売り払ってきた義手の性能を見てきた。

 ……彼がどんな想いで、みずからと同じように手足を失ってきた人間に義肢を与えてきたのかは、わからない。

 正義か、悪か、義務感か。

 それはいまだ、私の知る所ではない。

 だが、同時に彼は奪いもしたのだ。四肢を、命を奪った。

 そのアンバランス。

 その不均衡。

 犯罪者でありながら、救済者でもあろうとしたその姿は。


「あなたは心身ともに、まったくと言っていいほど──鍛錬が足りない!」


 私は叫び、走りだした。

 そう、その背反を赦してはならないと思った。

 化け物なのは、異常なのはその右腕でだけで。

 

 そんなもの、怖れる理由なんてなくて。

 なによりも──



「こっちはねぇっ! 倉科くんの無念を──背負ってるんですよッッッ!!!」



 最後まで事件を解決しようと努めた偉大な警察官の。

 この救いようがない犯罪者を、それでも救おうとした優しすぎる男の遺志を、私は背負って立っているのだから!


「ガアア!」


 黄地玄男が咆哮し、跳ね起きる。

 再び振りかぶられる右手。

 だが、私はそれを待つことをしない。

 右足を鋭く伸ばし、彼の左肩を打つ。

 体勢を崩された犯罪者は、おのれの勢いのままつんのめる。

 私は止まらない。もはや止まることはない。

 ちょうどいい位置まで下りてきた顔面を膝で蹴り上げ、呼吸のかなめたる鼻を潰す。

 鼻血を噴き出しのけぞる彼を逃がさず、許さず、その腹部に──人体急所の壱〝水月〟に、さらなる追撃を叩きこむ。

 回し蹴り。

 痛みに腹を抱えたことで再び下がった頭部を、両手を組んで殴りつける。

 それでなお、彼は止まらない。彼も止まらない。

 まるで譲れぬ信念があるかのように、矢鱈滅法やたらめっぽう、滅茶苦茶に右手を振り回し、私を殺そうと殺意と憎悪をぶつけてくる。

 その殺意ねがいは本物だった。

 なにかを成し遂げようとする者だけが持つ、本物の情熱だった。

 だから、私は。

 私は、一切の躊躇なく。一切の怯懦なく。一切の仮借なく。一切の妥協も加減も容赦もなく──私は、私の職務を忠実に遂行したっ!


「い、いい加減、死んでくださいよオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 破れかぶれになって特攻をかける犯罪者を──最後まで愚直にその破壊的な右腕一本で挑み続けた彼を、その信念を、斑目壬澄は。

 私は。

 全霊の暴力を以て、否定したのだ。


 突き出された右拳を左手で掴みとり引き寄せ、交叉法でその心臓に、真っ直ぐにのばした右の拳を叩き込む。


 心臓砕きの一撃ハートブレイク・ワンショット


「────カッ!? ヒュ──」


 強制的に排出させられる呼気とともに、彼の意識もまた吐き出されていく。狂気に支配されていた男の眼が、ぐるりと白目を剥いた。

 かっぴらいたその口からは、無意味な音と涎を垂れ流して……そうして犯罪者は、その場に崩れ落ちた。

 腐肉と血の池のなかに、終幕を告げる重たい音が響き渡った。


「……ふぅ」


 私は息をつき、痺れた右手をスナップする。

 懐から手錠を取り出して、男の両手に、しっかりとかけた。


「16時39分22秒、被疑者──確保」


 遠くでは、おそらく親友が手配してくれたであろう応援の、心強いサイレンが鳴っている。

 もうひとりの助力者──劉小虎も、言いたいことはいくつもあるが、いろいろとうまくやってくれるだろう。

 眼球に飛び込む光、その眩しさに眼を細める。

 外からは、陽光が差し込んでいた。

 いつの間にか雨雲は去り、太陽が姿を見せていたのだ。

 私は大きく息を吐き、ゆっくりと伸びをしてみせた。


「ん~っ! ひと仕事、おしまいですっ!」


 かくして、永崎を震撼させた連続殺人事件の犯人は、一介の刑事の手によって逮捕された。

 現代のジャック・ザ・リッパー事件。

 センセーショナルに今後、そう取り沙汰されることになる事件は、犯人の悲しい過去とともに、これでようやく、解決したのだった。

















──その、はずだった。

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