キョウキの証明

「おれは、黄地玄男の行方など知らん! あの男が、いま永崎のどこにいるかなど、知るわけも無かろうが! おれは忙しいのだ、永崎で最も有能な医師であるおれは! 忙しい!」


 傲慢の塊のような顔を、狒々ヒヒのように怒りで真っ赤に染めて、根岸和郎医師はそう喚きたてた。

 病院ではお静かに。

 そんな大原則すら守れない彼を、しかし、その場に居合わせた病院の職員スタッフたちは、全員が一様に畏怖をもって見詰めていた。


「だいたい、なんだ貴様らは。聖域である医局へと土足で踏み入り、次におれを犯罪者扱いか! 癒着、犯罪への加担、殺人補助? なにを言いたいのかはっきりしたらどうだ!」


 彼は叫び、怒鳴る。

 怒り心頭といった面持ちで吠え続ける。

 証拠は、すでに掴んでいた。

 倉科くんの執念が、ひとつの事件を浮き彫りにしていたのだ。

 根岸医師は、黄地玄男と結託していた。彼の殺人を看過し、あまつさえその手伝いをした。

 被害者たちの意識を奪った睡眠薬は、彼が用意したものだった。無くなるたびに手渡していたのは彼であり、ほとんどは事前に、脚が付かないよう海外のサイトで仕入れ、無くなってからは自らの権限で処方箋を偽っていた。

 被害者たちの四肢を切断した道具は、彼が提供したものだった。あの綺麗すぎる切断面は、この男の教えた技術と、そして与えた医療用器具によるものだったのだ。

 なにより根岸和郎は──自らの政敵である花木辰巳の殺人を、黄地玄男に依頼していた。


「だから──だからどうした? それがなんだという? おれになんの過失があるという?」


 老人は、どこまでも頑迷に俺の正義を主張する。


「おれは誰も殺してはいない。医者だからだ。おれは花木が死ぬことを願った。あの男が汚職に塗れていたからだ。そして玄男は殺した。そのなにが悪い? 悪いのはおれか?」


 彼の言うことは事実だった。

 確かに花木医師は、汚職事件に手を出していた。

 永崎の顔役と呼ばれる、多くの権力者と内通し、常識的には考えられないほどの融通を図っていたことも、今や判明している。

 死亡診断書を偽装し、の隠蔽すら謀った。

 それ以前に、花木辰巳は──


「おれは医者だ。医者が患者を第一に考えてなにが悪い。黄地玄男。、それがなんの悪だというのか!」


 ──そう。

 黄地玄男。

 彼もまた、被害者だったのだ。

 柳忠利。有田清。扶桑小太郎。徳井泰治。野杖満智。花木辰巳。

 彼らの子息は一年前、ひとつの事故を起こした。

 免許を持たない彼らは、悪乗りと、飲酒運転の末に、ある一家を轢き殺し、そのまま逃亡してしまったのだ。

 逃亡し、親に泣きつき、事件の隠蔽を図り。

 結果、ひとりの犠牲者が、どこまでも苦悩に塗れることになった。

 黄地玄男。

 そんな彼を助けたのが、ほかならぬ根岸和郎であり。


「あなたが」


 私は。

 私は、同僚が残した捜査資料を握り締めながら、奥歯が割れるほど強く噛んで、そうして告げた。


「あなたがしたことは、それでも罪です。結果として誰かを殺したのなら、それは罪なんです」


 だから。


「根岸和郎。11時45分08秒。あなたを、逮捕します」


 同僚たちが、捜査令状を見せ、読み上げ、彼の両手に手錠をかける。

 根岸医師は、しかしまったく衰えることなく、ジッと私を見詰め続け──やがて、こう言った。


「おれは、医者としてすべきことをした。後悔はしていない。きさまは」


 後悔せず、おのれの職務を全うできるのか?


 老医師の言葉は私のなかで、いやに強く残響した。



◎◎



「──だから、あなたがなぜ凶行に及んだのか、それはわかっているんです黄地さん。ですが」


 その動機が、復讐だったというのなら、もうそれは、済んでしまったはずなのだ。

 六人目の被害者である花木辰巳を殺したとき、もっといえばその前、野杖満智を殺した時点で、彼の家族と腕を奪った犯罪者たちの親には、報復が果たされている。


「警察も、今度は動いています。皮肉にもあなたが殺し、取り除いたことで、以前のような圧力もない。あなたの家族を奪った本来の犯罪者、被害者たちの子どもたちを、すぐに検挙できるはずです。私たちは全力で、その行方を追っています」


 そう、真犯人たちには、すぐに法の裁きが降るだろう。時効などという生温い制度は、すでにこの世にはないのだから。犯した罪は、必ず償わなければならないのだから。

 幸い──これを幸いというのは、あまりに皮肉が利きすぎているが──倉科くんの尽力によって、証拠は出揃っていた。

 だから、もはや彼が殺人を犯す理由などなかったのだ。

 なのに。


「なぜ、殺人を続けたのですか。なぜ、そこで立ち止まれなかったのですか。あなたは、殺すべきではなかったのです。李美鈴以降の殺人を、私は、警察機構は、看過することなど、できないのだから」

「リィー・メイリン? あ、ああ……あの、中華の女ですか。あれは、あれは殺さねばならなかったので。邪魔だったので」

「権力者たちに貸しを作るために、武陣海が動いたからですか? 目こぼしを貰うために彼らが動いたから。ですが、殺す必要は──?」


 そこまで言って、私は酷い違和感を覚えた。

 おかしい。

 彼女が殺されたのは、すべてにかたがついてからだ。

 何故そのタイミングで、劉さんが動く?

 ……いや、だとすれば。

 それは。


「私は、大きな勘違いを、しているのですか……?」

「…………」

「倉科昂樹を殺したのは、?」

「──ヒヒッ」


 

 そこで、彼は、黄地玄男は嗤った。

 黄地玄男は、他の七人に関しては殺したと言った。

 しかし、倉科くんだけは、解体したと言った。

 その差異はなんだ?

 そして、そしてこの場に満ちる臭気の正体は──


「言ったでしょう、刑事さん……? なにがあろうとも殺さなくてはいけないと思ったと。だって、愛していたんです、家族を、妻を、娘を、こんなにも──だから──わたくしは──俺は──」




 ──あのケダモノたちを──




「皆殺しに、したんですよ」


 カッと光が奔る。

 稲光。

 イナヅマ。

 連続するそれが、その場を照らし出す。

 その凄惨な──目を背けたくなるような地獄を。


「ネットニュースで言っていましたよ、この事件、現代のジャック・ザ・リッパー事件と呼ばれているらしいじゃないですか! 鮮やかな切除技術、残虐性、なによりも衆人環視の不可能犯罪! 議員たちに囲まれて、議会の会議室で殺されて、医局の診察室で殺されて、周りは同僚ばかりで──視線の密室、っていうんですか? ミステリー小説で読んだことがあります。でも、そんなの信じちゃうなんて」


 ──バカ、ですよね?


 黄地玄男が、嗤う。

 死体の山の上で笑う。

 彼が立っているのは山頂だ。

 千切られた手足、その標本。

 そして、それを口の中に詰め込まれた、、ありえないほどの暴力によって蹂躙され惨殺された──

 そこで、犯罪者は高らかに嘲笑するのだった。


「そんなのミステリーだけの世界です! そんなご都合主義が、あるわけがない! 決まっているでしょう、あいつらは俺を恐れて、自分可愛さに共謀したんですよ! 全員で!!」


 そう、それが不可能犯罪を解き明かすマスターキー。

 非認識性犯罪などマヤカシ。

 ゆえに、目撃者はそれまでゼロで。

 だから、誰も自ら率先して事件を語ろうとはしなかった。

 だからこそ──倉科昂樹が殺されたときだけは、

 まるで彼を、守るかのように。


「あいつらはケダモノだ、理性などない醜悪な怪物たちだ、だから殺した、殺さなくてはいけなかった! それを阻むものさえも、俺には邪魔だったから!」


 つまり、これはそう言うこと。

 この事件は、それだけのこと。

 李美鈴がなんのために動いたのか、それはいまだわからない。しかし、彼女の坑道によって武陣海は黄地玄男の障害として認識された。

 このままでは自らにまで累が及ぶと判断した劉小虎は、美鈴さんの仇を討つわけでもなく、保身のために黄地玄男にこの場所を提供した。

 ゆえに、私はこの場所に辿り着くことができた。

 或いは彼も、この殺人者が私に逮捕されることを望んで、そう謀をしたのかもしれない。

 そうだ、彼らはマフィアだ。

 つねに利益を優先し、すべてをたばかる。私さえも。

 ──ひとは、必ず嘘を吐く。

 いつか犯罪王がそう言ったように、ありえない事なんて──


「ちょっと──待ってください」


 ……この事件は、あるいはマーダ―サーカス事件とは関係がなかったのかもしれない。

 私が追い求めた不可能犯罪とは、違ったのかもしれない。

 だが、それでも。

 一点だけ、不明瞭なことがある。

 事件を解決するためには、まるで今回の事件が、ミステリー小説のようにばかげていたというのなら、なおのこと謎解きはしっかりしなくてはならない。

 それゆえに、私は尋ねた。

 永崎連続裂断魔事件の、その核心を。


「あなた──どうやって被害者たちの手足を引きちぎったのですか?」

「────」


 凶器。

 それだけは、確固たるものであらねばならない。不明なままでは、立件できても、裁判で処理できない。それでは

 鋭利な切断面は、医療用のメス──倉科くんに致命傷を与えたものと同じだと、現在は判明している。

 だが、あの獣に襲われたような傷口は、ありえないほど粗暴な超暴力の跡は、なにが作用したものなのか、明らかになっていない。

 黄地玄男の周囲、自宅からも、それらの道具は見つからなかった。

 ならば──


「それは、ですね」


 稲光が途絶える。

 倉庫のなかが、ふたたび暗闇にとらわれる。

 張りつめる緊張感。

 視界の利かない闇のなか、犯罪者を見据えていたはずの私の、



 その耳元で、黄地玄男は呟いた。



「この右手で、引き裂いたんです、よぉおおオオオ!!!」

「──ッ!?」


 脳内で、全力の危険信号アラートが鳴り響いた。

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