黄地玄男と黒詩嗣躯

「玄男さんとの縁起えんぎは、じつは義手を作らせていただいたことから始まるんです。あ、お紅茶でよかったですか? 自家製のハーブティーもあるのですけど?」

「あ、お構いなく」


 軍手を外し、私を応接室に通してくれた彼女は、手ずからにお茶を入れ、黄地玄男とのなれそめを語ってくれていた。


「そうですねー、まだ出会って一年経っていないぐらいですかねぇー、わたしたちは。一年前のわたしはというと……工房の名前を見てわかりますよね? ここは、本来わたしのお師さまのお店で、それを引き継いだばかりでした」


 ジャック。

 そんな名前の、義肢職人がいたらしい。

 らしいというのは、戸籍上の記録が存在しないからだ。あるいは、この街ではありきたりな、法的には正しくない入国者だったのかもしれない。

 とかく、いま彼女が浮かべるさみしげな笑みから推察するのなら、少なくとも黒詩嗣躯にとって、掛け替えのない人物だったのだろう。


「当時のわたしは、まだまだ未熟で、お師さまから託されたたくさんのものに悩んで、困惑して。だけれど、尽きない夢があったんです……そんな折、彼と出会いました。それからは、なんだかわたしの方が、お世話になってしまって」

「あなたが義手を作ったのに、彼の世話になったのですか?」


 私がそう問えば、彼女は薄く微笑み、こう返す。


「誰かに同情することで、自分のさみしさを紛らわせることもできますから」


 ……そのころの、黄地玄男がどんな状態だったのか、警察としても、ある程度調べはついている。

 家族を失い、みずからも右手を失った彼は、行き場のない憎悪に燃えていたらしい。

 彼の、複数の人間が乗った高級車だったという証言すら捜査に活かすことができず、事件は暗礁あんしょうに乗り上げていた。

 当時の資料を読んでも首を傾げるしかないのだが、不可思議なほど効率的な捜査はされていない。

 まるで見えない圧力に押されたかのように、警察は物語に出て来るそれ自身のように、じつに無能に、ついぞき逃げ犯を検挙することができなかったのである。

 私はそれを、彼の取り調べで挑発的に用いたが──それは私がその事件の担当者ではなかったがゆえの無責任だが──本心を言えば、申し訳ないと思っている。

 少なくとも、そのとき警察がもう少しばかり有能であったのなら、彼がいま、事件の容疑者として名前を連ねることはなかっただろう。

 黄地玄男。

 彼は憎悪のはけ口をアルコールに求め、まるで休日の私のように──いや、それ以上の最悪さをもって、日々を送っていたのだという。

 そんな彼と、いま目の前にいる小鳥のような優雅さがある女性が、どんな接点で結ばれるのか。

 すこしだけ思案していると、黒詩さんはくすくすと、やはり鳥がさえずるような声で笑い始めた。


「〝材料〟を、探していたんです」

「……材料、ですか?」


 ええ、と彼女は頷き、また笑う。

 ぞっとするほどあどけない笑いかただった。

 それは、昆虫の足をもぎ取る、子どもの無邪気さのような──


「わたしの手──両足もですが、見ての通り義肢です。お師さまが託してくれた完成品……わたしが、はじめて仕上げた最初の義肢4つ……でも、これって作るのに、とっても面倒な材料が必要なんです。とても入手するのが大変な材料で、それを探しているとき、あー……調達の方法を迷っていたとき、彼と巡り合ったんですよ。彼ったら、すごく驚いた顔をしたんですよ?」


 当時を懐かしんでか、彼女は一転し、幸せそうな表情を浮かべる。

 それはさきほどまでと対照的な、慈母が子供に見せる顔つきだった。


「彼は、こう言いました。『なにをするんだって?』って。ですから私も正直に、『義肢を作るんですよー』って、答えたんです。この世の終わりみたいな顔をしていた彼が、そしたら急に笑って、『手伝いたい。いい材料を知っている』って。だったら、片手では大変でしょうから、あなたの義手も作ってあげましょうかって、わたしは言ったんです。そうしたら彼ったら、すごく、すっごく喜んで……それで、お付き合いが始まりました」


 夢見るように語る彼女の言葉に、私はすこしだけ引っ掛かりを覚えた。

 お付き合い。

 それは、恋愛関係を意味する言葉だろうか?


「あはははは!」


 真正直にそう尋ねると、彼女はひどくおかしなものを見たような顔で、私の問いかけを一笑してみせた。


「もう、もう刑事さんったら、冗談がお上手なんだから! あはははは、おっかしい、男女って、そんなに簡単なもんじゃないですよ!」

「……そういうものですか」

「そういうものです。玄男さんはただのビジネスパートナー。そしてわたしは、数多くいる彼のクライアントのひとりに過ぎません。わたしが恋人だなんて言ったら、きっと玄男さん、迷惑します。あの人の心は、ずっと亡くなられた奥さんと娘さんに、いまでもずっと注がれているんですから」

「…………」

「あ、でも、よくしてくれたのは、本当なんですよ? 親身になってくれたんです」


 彼女は言う。

 そこが大事だというかのように。


「わたしには夢があります。たくさんのひとに、わたしが作った義肢を使ってもらう! その夢をかなえるために、彼は尽力してくれました。賛同してくれたんです。会社に掛け合って、転属までして、大学病院との提携に、瀬田コーポレーションさんからの金銭的援助まで! おかげで、6人! 玄男さんを入れて6人の欠損者に、義肢をお渡しすることができました。……そうそう! いまは7人目の方のために、義手を作っているとことなんですよ!」


 その女性は軽やかに歌った。

 彼女は歌った。

 朗らかに、華やかに、可憐に、絢爛けんらんに。

 黒詩嗣躯は、黄地玄男へと、そうして眩い、感謝の言葉を紡ぐ。


「玄男さんはとてもい方! とっても優秀なパートナー! これまでも、これからも、末永くお手伝いをしてほしい大切なひと。だからわたし、も出来うる限り、その期待に応えていきたいと思っているんです!」


 弾けるような笑顔で、彼女はそう言った。

 たのしそうに、幸せそうに、そう歌った。

 それは、なんら嘘偽りのない、表裏すらない笑顔のように、私には思えてならなかった。


「あ! もういい頃合いですね! 知り合いのつかいの方が持参してくれたお紅茶なんですが、これがなかなかの高級品で。いま、注ぎますから!」

「本当にお構いなく」


 最近は紅茶にうるさい犯罪王のせいで、若干お茶に対して悪印象がある。

 その所為か、私はどうにも気乗りがしないでいる。

 手を振って、丁重に辞するのだが、ここまでではっきりわかるとおりマイペースな彼女はこちらの意図を察してくれることもなく、アンティークらしいカップに、芳醇な香りがあふれる液体を注いでいく。


「どうぞ!」

「……いただきます」


 そんな風に、笑顔と善意で差し出されてしまえば、断ることなどできはしない。

 観念した私はカップを受け取り、そっと、ほのかな熱を持つカップに口をつけた。


「あ……おいしい」


 思わず零れる率直な感想。

 これは美味しい、本当においしい。非常に品のいい、庶民で貧乏舌の私にはうまく表現できない、繊細な香りがする紅茶だった。

 一級品というのは、こういうものを言うのだろうか?

 ならば。

 ああ、だとすれば。

 こんな紅茶なら、或いは──


「あるいは、森屋帝司郎も」









「Yes.それはマスターからの贈り物です、斑目サマ」








 聴こえた声は、純白。

 恐ろしいほどの、感情すらも漂白された真っ白な言葉。


「なん、で……」


 知らず、私の口から言葉が零れ落ちた。

 滴るのは驚愕、絶句にも近い言の葉。

 黒詩嗣躯が、手を打ち鳴らして顔をほころばせる。


「あら! ひょっとしておふたりは知己で? でしたら、もっと早く仰ってくださればよかったのに!」


 刑事さんも、お人が悪い。

 彼女のその言葉は、私の耳には届かない。

 店の最奥──そここそが、工房と呼ばれるはずの場所から現れた人物──否、に、私の意識のすべては釘づけにされてしまっていたからだ。

 それは。

 その純白の羊は。

 私に向かって、こう言った。


「マスターより伝言です──『因果応報──悪意のむくいは己に還る。因果は廻り、報復も巡る。人間は、必ず嘘を吐くものだ。。それを、ゆめゆめ忘れるなよ、大馬鹿者』──この通り、ゆめゆめお忘れなく、斑目サマ」


 若き犯罪王。

 森屋帝司郎の唯一にして最大のご都合主義。

 ナーサリークライム!


 メリー=メアリー・スーが、無表情に、そう言った。



◎◎



 翌日、黄地玄男が警察の監視網をかいくぐり失踪。

 さらに翌日、新たに8人目の被害者が──黄地玄男を追跡していた私の同僚、倉科昂樹の、四肢が余すことなく引き千切られた惨殺死体が発見された。

 状況証拠から、即日警察は黄地玄男をジャック・ザリ・パー事件の真犯人ホンボシと断定。

 その指名手配が、決定した。

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