クロい義手

 私の一言に彼の笑みが、その営業スマイルが、音を立てて凍りつく。

 痙攣するように、口元を笑みの形で引き攣らせた彼を観察しつつ、私は手元の資料を読み上げた。


「黄地玄男、26歳。黄地家の長男として生を享ける。小中高一貫教育の野岩学園に入学し、永崎大学商業科へと進学。卒業後は瀬田コーポレーション福祉事業部に就職し、顕著な業績への貢献により表彰もされる。しかし、1年前。不慮の事故に遭い──」


 無意識にだろうか、彼の左手がのびた。

 掴んだのは、手袋に覆われた右手。

 その掴まれた部分が、ギシリと鳴ったような錯覚を、私は覚えた。


「──右腕を、切断されていますね? 不幸な交通事故……という記録になっていますが、実際には轢き逃げ。そのときにご家族を──娘さんと奥さんも亡くされてしまったとか。まったくもって、いまだその犯人を検挙できていない無能な私たちとしては、こう言うしかありません──ご愁傷様さまと」

「…………」

「生死の境をさまよったあなたの手術オペを担当されたのが、永崎大学附属病院の根岸ねぎし和郎かずろう医師。一命を取り留めたあなたはそれを恩義に感じ、以来、彼とは親密な関係を維持しておられるとか。それはあなたが、医療部に自主的な転属をした後も続いているそうで……実際、恩を感じておいでですか?」

「……は、はぁ」


 幾つもの悪意ある言葉に曝されて、黄地玄男の表情には焦燥らしきものが浮かび始めていた。

 焦燥。

 或いは──

 やがて彼は、言葉を探すように、その瞳を右上へ向けた。


「い……命の恩人でありますから。その、救っていただきましたし、当然、感謝というものはしておりまして……ですから、根岸先生には」

「斡旋を頼んだわけですね──四肢の切断が余儀なくされるような患者が出たとき、あなたの扱う義肢を紹介するようにと。マージンを払う、契約をしたのですね?」

「…………」


 そこで、とうとう黄地玄男は完全に沈黙した。

 私を見る彼の瞳、その平凡な色合いの瞳では、確かになんらかの感情が揺れていた。

 その背景からして、彼が警察に悪印象を持っていたとしても不思議ではない。無能だと思っていても、憎んでいたとしてもだ。

 だから、もし彼がこの事件の犯人であるならば、同機はその辺りに存在する可能性が高い。

  殺人自体に理由はなく、無能な警察を嘲笑い、無力感を突き付けるための犯罪であると、そう考えることができるのだ。

 だからこそ、私は意図して悪意のこもった言葉を投げ、矢継ぎ早に彼の過去を開示した。

 こちらに敵意があるのならそれをむき出しにさせ、その平凡さの下に隠した犯罪者としての素顔を見出すために。

 計画があるのなら、それを破綻させるために。


「……」

「……」


 私はちらりと、倉科くんを見た。

 彼は、かすかな頷きを返してくれる。

 あの日、彼が李美鈴の死に憤った日、もしあの場で、喫煙していた患者たちに出会っていなければ、おそらくこのような尋問は成立しなかっただろう。

 少なくとも、これだけの短い期間で、この事実にまでは行きつけなかったはずだ。

 そう、あの黒い──

 あそこで見逃していたのなら、根岸和郎医師には、きっと辿りつけなかったのだ。

 永崎大学付属病院は、この街きっての大病院だ。

 手足の切断を余儀なくされるような大怪我を負ったなら、間違いなくそこに搬送される。

 彼らの過去に繋がりがあり、いまも同じ医療に携わる人間であるならば、なんらかのバイパスがあってもおかしくないと、そう考えることは容易かった。

 切っ掛けとして義肢を実際に眼にしていれば、なおさらだ。

 ゆえに、これまで私が突き付けたのは事実だ。

 だから黄地玄男は、いま口を開けないでいる。

 焦燥を隠せないでいる。

 しかし、なにかが足りていない。

 ピースは、きっと揃っていないのだ。

 駄目押しが必要かと、私が口を開きかけた、そのときだった。


「え、えっと……はい、そうです」


 彼が、言った。


「根岸先生には、患者さまとの間に入って戴くかたちで、はい、紹介費用と言いますか、仲介料をお支払いしておりました。条件に合う患者さまに、施術の段階で生計をして頂いて、当社自慢の義肢を紹介していただくという、そういうかたちで……なにせ、黒詩くろうた先生がおつくりになる義肢は特別性ですから、手術の段階で成形をして頂かないと二度手間になってしまい、患者さまの負担が増えまして──」

「──待ってください」


 いま、なんといったこの男?

 だと?


「その、黒詩先生とは、どなたですか?」

「────」


 ──ゾッと。

 背中が、粟立った。

 それまで、あれだけ過去を掘り起こされ、おそらく軽蔑しているであろう警察の人間から挑発を繰り返されてなお、感情の形を悟らせなかった彼が。

 平凡の具現だったような彼が、その眼球の中に、途轍もないおぞましいなにかを渦巻かせた瞬間を、私は見てしまったからだ。

 激情や、憎悪。そんな言葉ですら生温く、あてはまることすらない、複雑怪奇な情動。

 それがなんであるか、確かめるために手を伸ばそうとしたとき、そのときにはもう、彼は元の、黄地玄男に戻ってしまっていた。


「……黄地さん」

「はい。黒詩先生は、弊社お抱えの専属義肢です。新進気鋭、まだ名前こそ売れてはいませんが、その技術はピカイチでして。我々が売り出しておりますこの特別性の義肢も、彼女一人の手によるものなのです。本当に素晴らしい義肢で、特許を出願中……といいたいところなのですが、本人の希望で、それは断念しております」

「特許を、出願していない」

「はい。あ、いえ。特許といいましても、それだけの費用がかかりますし、一度通ってしまえば世界中に製法が露見してしまいます。他社が再現できないのなら、わざわざ特許など不要だと、我々は判断したのです」

「再現できないって……」


 今度はこちらが困惑を隠せないまま、問いをかけることになる。

 そんなもの、どうとでもなるんじゃないのか? よほど特殊、よほど複雑でもなければ、分解して、解析すれば、簡単に再現できてしまうのが現代の代物ではないのだろうか?

 そんな私の疑問を先回りしてか、彼は自信に満ちた笑みを浮かべてみせた。

 まずい、ペースを奪われつつある。


「不可能ですよ」


 黄地玄男は断言した。


「弊社の製品を解体することは、誰にもできません。同時に、どんな方法でも解析など不可能です。。これを、売りにしていますので。そして、それを扱えるのは、この世界で一人きり──黒詩先生だけなのです!」


 高らかに彼は、そう言った。

 まるで讃美を唱えるように。

 まるで福音を告げられたかのように。

 彼は我がことを語るようにうきうきと、陶酔と自慢が混じる声音で、黒詩という人物について語り続けたのだ。

 完全に失策だった。

 もはや先程、彼の瞳に宿っていた感情を確かめる手段はない。

 私は、苦し紛れのように、彼へとひとつの確認を行った。


「その」


 私は問うた。


「その義手も──あなたの右手も……その黒詩先生が、おつくりになられたのですか……?」


 彼は。

 黄地玄男は。

 この事件の重要参考人は、喜悦に満ちた表情で、笑ったのだ。


「はい、これは先生がおつくりになられた──世界で5番目の完成品なのです!」


 彼は袖をまくり、手袋外す。

 そこで見たのは、あの日病院で見た黒い義手によく似た、しかし似て非なるもの。



 ──その全面が漆黒の色に染まる、これ以上なく禍々しい義手だった。

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