笑う営業マン

 その人物の、率直な第一印象を上げるとするならば、冴えないサラリーマンにしか見えなかった。

 撫でつけられた髪、黒縁の眼鏡、黒のスーツに、臙脂色のネクタイ。

 その平凡な、ありふれている、どこにでも溢れている格好に、さらに営業スマイルが張り付いているとなれば、いかにひとを見分けることを専門とする刑事であっても、たとえば雑踏などに紛れ込まれれば見つけ出すことが出来ないに違いない。

 それほどまでに黄地おうじ玄男くろおは没個性な男性で、もはや彼の右手にはまっている手袋ぐらいしか、特徴的な部分を見いだせないほどだった。


「ははぁ……これが、取調室ってやつなんですね? すごい、ドラマとかで見る通りだぁ」


 感嘆しているようなことを言う彼だったが、本心からの言葉か判断がつかない。


「それで、わたくしがここに連れてこられたのって、あの〝ジャック・ザ・リッパー事件〟の事なんですよね……?」


 ひとしきり感心した(していたように見えた)彼は、私たちに対し、そう水を向けてきた。

 つい先日、ようやく捜査本部が設置され、以来せきを切ったように情報の流通が始まった件の事件を、各種メディアはそう呼称した。

 正式は名称は変らずに連続裂断魔事件である。

 だが、劇場型犯罪、そして不可能犯罪を娯楽として受け取る大衆の視聴者たちは、よりセンセーショナルなネーミングを求めた。

 結果、そのやり口から現代の切り裂きジャック事件などという阿呆のような名称が、世間一般に広がってしまったのである。

 そうして彼、黄地玄男は、その重要参考人としてここにいるのだった。


「今朝出社しましたら、とつぜん皆様がおいでになりまして、大変ビックリしましたよ」


 ニコニコとした愛想笑いで語る黄地玄男。

 瀬田コーポレーション医療部営業課を、永崎県警が尋ねたのは事実だ。しかし、それはまだ、令状がない状況でのことであり、任意以外のなにもでもなかった。

 だというのに、この男性はさしたる抵抗も、嫌なかをすることもなく、出頭してきたのである。

 重要参考人と入っているが、私たちのスタンスは容疑者を前にしているも同然だ。

 それでも、彼の顔に嫌悪や忌避、怒りや憎悪といった悪感情が浮かぶことはない。

 まるで、劉小虎のように、その顔は愛想笑いの仮面で完璧に覆われているのだ。


「────」

「────」


 これは難儀しそうだと。

 私は、書記係の隣に控えている倉科くんへとアイコンタクトをして、それから、黄地さんの聴取を本格的に開始した。


「では、さっそくですがお尋ねします。黄地さん、あなたは瀬田コーポレーションで、どのようなお仕事をされているのですか?」

「は? えっと、はい。しがない営業をやっております」

「営業……取り扱うものはどのようなものでしょうか? そうですね、たとえば──」


 たとえば、千切れた人間の手足とか。


「……?」


 かなり直接的な私の物言いに、彼は面食らったように──というよりも呆れたのだろう、一瞬だけ笑み以外の表情を浮かべて見せた。

 当然の反応だ。

 切り裂きジャック事件について、世間一般に出回っている情報はということだけなのである。

 裂断されているとか、綺麗に切断されている差異は止血まで施されているとか、

 だから、その時点ではたしの問いかけなど、彼にしてみれば意味不明のものに違いなかったのだ。

 誘導尋問にしても、ジョークだとしても、粗すぎるしブラックすぎる。

 案の定、彼は眉をハの字に寄せ、頬を左手で掻いてみせ、まるで教科書に載っていそうな困り顔を浮かべた。

 彼は、視線を左上に向けながら、戸惑いを隠すこともなく答える。


「その、えっと──。ですが、刑事さんはやはりなんでもお調べになられるのですね。ある意味で、それは正鵠を射た表現です。


 そのどこかおちょくるような発言に、倉科くんが激発しそうになるのを感じ取って、私は慌てて視線で制した。

 ギリギリ理性が残っていたのか、倉科くんは唇を強く噛み締めると、いかにも渋々といった様子で足を引く。

 黄地玄男は驚いたように一度目を見開き、そうしてまた、件の愛想笑いに戻った。


「どういう意味ですか?」


 私は、いくらか強い調子で彼に尋ねた。

 しかし、黄地さんは寧ろそれを楽しそうに受け取り、「やっぱり! わざわざ知ってることを恍けるなんて、テレビの通りなんですね、御苦労様です!」と、手を打ち鳴らしそうに喜んでみせる。

 ほんの一瞬、私の胸中がざわついたとき、彼は言葉を継いだ。


「ええ。わたくしが弊社で担当しておりますのは、特殊な最新式義肢の、レンタルユースでございます」


 義肢。

 それは、失われた手足を補う、機械の──


「はい! まさに手足と呼ぶにふさわしい、とても高性能なものでして! 職人が一品一品、お客様に合わせてハンドメイドでおつくりしているのです! 筋電位差を利用した、思考と反射のラグがゼロに近しい、とてもストレスフリーな稼働を実現しておりまして! なんと20気圧にも耐える頑強性に耐水防塵加工も完備! 従来ネックでした力の加減も解決されておりましてまったく素晴らしいものなのです! そう、そうれに製法と素材が特殊でして、まるで人体と同じ装着感を示現していまして──あ、よろしかったら、パンフレットをご覧になりますか? こちらに詳細が──」

「──あなたの」


 まくしたてるように長広舌を重ねた彼に、私は、その言葉を突き付けた。



「あなたの右手も──その義肢とやらですか?」



「────」


 黄地玄男の笑みが凍りつく。

 その仮面に、ひびが入る。

 ……劉小虎よりは楽ができそうだな、と。私は、思った。


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