事件篇

七人目の犠牲者

 その司法解剖は、永崎大学附属病院で行われた。

 皮肉にもそこは、六人目の犠牲者花木辰巳の職場であった。

 連続裂断魔事件の犠牲者、その遺体の解剖がすべてこの場所で行われたと知ったとき、私は数奇なめぐり合わせを感じずにはいられなかった。

 皮膚の下を暴かれ、手際よく腑分けされていく遺体──劉さんの部下だったその女性は──いや、かつて女性だったは、ひとの死に慣れてしまったはずの私ですら直視が難しいほど、凄惨な有様だった。

 祈念公園で発見されたときには……もはや、そうであったのだという。

 手足は、無残に引きちぎられている。

 これまでの裂断魔事件では、すべての損壊箇所は持ち去られていた。乱雑に引きちぎられた部分も、整然と切断された部分も、すべてその場から無くなっていたのだ。

 だが、今回のこれは違う。

 この遺体は──ただされていた。

 破壊。

 破壊だ。

 それは、それ以外の言い表しようがないほどの、暴力の席巻だった。

 圧し折られた指先、はがされた爪、引き千切られた手首に、果物でもそうするように剥かれた皮膚。

 筋肉は咀嚼されたようにずたずたで、骨は微塵と化している。

 それは人間業ではなかった。決して人の理に収まるものではなかった。

 重機か、でなければ大型の獣が蹂躙した結果としか思えない暴力の席巻──どちらにしろそれは、人外の所業だ。

 ……ただ、右手が。

 その異様な破壊の跡にありながら、右手の傷口だけが恐ろしいほどに綺麗な切断面を見せていた。

 それであるからこそ異常性に余計な拍車がかかり、吐き気を催すほどだった。

 破壊と秩序、狂気と暴力。

 そんな矛盾するものが、同居しているのだった。

 ゆえに、もはや彼女に尊厳と呼べるものはなく。

 ゆえに、もはや彼女は人としての当たり前の死に方さえ奪われてしまっていた。

 ぐるりと一回転、千切れかけて皮一枚。

 それまで、憎悪の刺し傷こそが致命傷だった遺体と異なる、それは明確な差異だった。

 砕けた骨、断裂した筋肉、螺旋を描き、ちからなく明後日の方角を向く濁った眼差し。

 その首は、し千切られていたのだ。

 ああ、これは人の死に方ではない。

 あまりに逸脱したこれは──


「こんなの、本当に獣に襲われたみたいじゃ、ないですか……」 


 思わず口を衝いて出たそんな言葉は、居合わせたすべての者を凍りつかせるには十分だった。

 李美鈴。

 劉小虎の右腕とまで呼ばれた女傑は、いまや生前の面影もなく死んで──殺されて──そのいのちすべてを蹂躙されてしまっていた。

 ……私は、劉さんの店が今日、新顔ばかりだった理由を理解した。

 きっと、この女性のために色々と奔走していたのだろう。

 私は、生前の彼女のことを少しだけ知っている。

 笑顔の怖い女性で、健全な肉体にこそ不退転ふたいてんの魂は宿ると豪語する武人で、弱者に厳しく、だけれど、どこか憎めない所があるひとだった。

 そのひとは、もはやいない。


「────」


 解剖がほとんど終わって、私はそのまま廊下へと出た。

 蜜夜は鑑識として、いろいろ調べてくれている。

 すこし、頭を冷やしたい気分だったけれど、どうやらそれは許されないことのようだった。


「壬澄警部」


 同僚のひとりが、険しい表情でそこに立っていた。

 倉科くらしな昂樹たかき

 刑事課のなかでも年が近い男性のひとりだ。

 呼びかたに納得がいかず、私は幾らか不機嫌に応じた。


「壬澄でいいですよ。いったいどうしましたか、倉科くん」

「どうもこーもねーよ、ちくしょう……なあ、壬澄警部、ちょっと顔を貸してくれよ。煙草が、吸いたいんだ」

「……病院は、基本的に禁煙ですよ」

「ふん。あるだろさ、患者どもが吸ってるようなとこがよ」


 階級的には上である私に対して、かりそめでも敬意を払う様子もなく、苛立たし気に彼は吐き捨てる。

 私はただ、肩をすくめて見せた。

 鼻を鳴らし歩き出す彼の背中を、私は無言で追いかける。

 それほど歩くこともなく、病院の裏手にある駐車場が喫煙スペースになっていることを発見した。

 どうやら、医者の方々が設けたものらしかったが、様子を伺うに普通の患者さんたちも(内緒で)利用しているようだった。

 数人の、病衣を身にまとった患者さんたちから距離を取って、私たちは話しを始める。

 さきに口火を切ったのは、倉科くんだった。


「どう思った」

「どう、とは?」

「……おかしいとは、思わなかったのかよ」


 煙草を咥えながら問いかけてくる彼の言葉に、私はふむと考える。

 確かに、奇妙な点は非常に多い。

 劉さんの部下──というよりも手下だろうチンピラたちからの事情聴取は、私が呼びだされた時点でほとんど終わっていた。

 調書によれば、彼らはとある人物の立ち退きを求め、美鈴さんに同行したらしい。手数でしかなかった彼らと美鈴さんの6人は、その人物を訪ねようとして──闇のなか、突如襲撃されたのだという。

 犯行は一瞬だったとある。

 あっと声を上げる間もなく、美鈴さんはその四肢を折られ、引き千切られ、最終的に首をねじ切られて事切れた──

 この時点で思うことはあるのだが、取り巻きたる彼ら5人はその犯人──闇の中に溶け込むような黒ずくめの人物であり、美鈴さんを引き裂いた魔手はと記録されている──に対し、報復行為を行ったというのだ。

 しかし、ほぼ鎧袖一触がいしゅういっしょく

 全員が簡単にいなされ、そのまま逃亡をゆるしてしまったらしい。


「これ、どう考えても嘘っぱちですよね。美鈴さんを殺せるような殺人者が、彼らを見逃す道理がない。人を一瞬で殺し解体できる常軌を逸する存在が、なぜ弱者を潰す手間を惜しみますか。なにより気になるのは、彼女についてはこれまでとすべてが逆で──」

「そういうことを、言ってんじゃねぇっ!」


 激発するように、彼はそう叫んだ。

 ちょうど煙草を吸いに来たらしかった患者の一団が、吃驚びっくりしたようにこちらを見る。

 ふと、その患者たちに私は目を奪われた。

 全員が全員、のだ。

 手袋か、靴下なのか、短めの病衣から覗く手足が黒いのである。

 右手や、左足、あるいは両方が──


「ふっざけんなよ!」


 だが、そんな風に観察していられたのは一瞬だった。

 すぐに倉科くんの怒気を伴う声が、私を事件へと引き戻したからだ。


「くそったれが……ありゃ、ひとの死に方じゃねぇだろ! 人間があんなふうに殺されちゃダメだろ! あの女の素性を調べたら、同情なんてできねぇけどよ……それでも、あれじゃあ、あれじゃあ、あんまりじゃねぇかっ……!」

「倉科くん」

「どちくしょうが!」

「倉科くん!」

「……っ」


 私が強く、その名を呼ぶと、彼は途端に、悄然しょうぜんと肩を落として、こう言った。


「俺は、俺らは、あんたの言葉に、もっと耳を傾けておくべきだったんだ……」


 彼の瞳は、後悔に揺らいでいるようだった。

 その口元から、火のついていない煙草がぽとりと、地面に落ちる。


「あんたは警告してた、これは連続殺人だって。でも、俺らは違うと思ってたんだ。あんたのことを、鼻持ちならない高慢ちきな女だと思っていたからだ。そんなで、御手洗部長や上層部に媚びを売って、汚い手を使って、〝英雄〟気取りになっているくそったれだと、そう思っていたんだ……」

「…………」


 別に、間違ってはいない。

 私は平気で汚い手を使うし、高慢ちきだし、英雄気取りだ。

 それは、間違ってなんかいない。


「……違う。俺たちは、ただ嫉妬していただけだ。女のくせにと、あんたをなめていただけだ。その結果がこれだ。このざまだ。あんたの言うことを、もっと真剣に聴いていればよかった。上層部へ一緒に願い出ていればよかった。そすれば、いまごろ捜査本部が設置されていて、事件はとっくに解決していたかもしれねぇのに。誰も、死ななかったかもしれねーのに!」


 固く、爪がめり込み、血がにじむほど強く、彼は拳を握りしめる。

 そこにはたしかな、後悔があった。


「……でも、でもですよ、倉科くん」


 それは、たらればの話に過ぎない。

 できたかもしれないという、仮定の話に過ぎないのだ。

 そんなものに、意味なんてものはない。


「実際、御手洗部長の計らいで、ようやく捜査本部が経ち上がるそうじゃないですか。これで次の事件は、防げるかもしれません。だから──」

「だから、なんだっていうんだよ。ひとがひとり、死んでるんだぞ」

「ええ、


 だから、これ以上死なせないために行動すべきなのだ。

 行動しなければならないのだ。

 私は、こんな過ちを繰り返すのだけは、ゴメンだから。


「ねぇ倉科くん。もし怒りを覚えているなら、それは犯人に、犯罪にこそ向けるべきですよ。よく怒りは目を曇らせるといいますが、原動力としては悪くありません。少なくとも、憎悪や自己嫌悪よりはよほど建設的でしょう。ですから、まずは情報を整理しましょう。必要なことを、出来るようにしましょう」

「壬澄警部……」

「呼び捨てで構いませんと言っています。知っているでしょう? 私が名前に敬称を付けられることを嫌う理由」

「…………」

「名前なら、まだ許せるひとはいます。ですが、名字に敬称、或いは役職だけは勘弁してください。。なので、壬澄でいいです。そう呼んでください。それよりも倉科くん、先ほどの遺体、気になることがあったんです」

「……いったい、なにが気になったんだ」


 ばつが悪そうにしていた彼は、しかしそこでは純然たる疑問にぶつかったのか首を傾げて見せる。

 私はひとつ頷くと、メモ帳をバックから引きずりだし、検死の途中でわかった情報を彼と共有した。


「美鈴さんの手足、どうやら切断と損壊の段階が、これまでの殺人と逆のようなんです」

「……? どういう意味だ?」

「そのままの意味ですよ。証言の通りなら、彼女は殺される前に手足を引きちぎられたことになります。事実、あの惨たらしい傷には、生活反応が見られたそうです」

「生きながら、か……地獄だな」


 ええ、私もそう思いますと。

 そう応じながら、反証の言葉を継ぐ。


「ですが、その右手は死後に切断されているんです」

「……なに?」

「ですから、逆なんですよ」


 私は、困惑を隠せないでいる彼へと言った。


「これまでは万全の準備、計画のもと、生きている間に手足が切断され、死後に損壊されていた。しかし今回は損壊され、惨殺されてから、右手が切り取られているんです。これ、引っかかるものがありませんか?」


 ないわけがない。

 事実、倉科くんは眉根を寄せている。

 解剖の結果待ちではあるが、予測できる事柄がある。それは、今回の被害者からは睡眠薬が検出されないだろうということだ。

 そう、李美鈴殺害事件は、これまでの不可思議で計画的な代物とは明らかに異なる点がある。

 これは──

 そして、そうでありながら裂断ではなく切断も行われているということは──


「……おっと」


 私がさらなる推理を脳内で展開しようとしたところで、スマホが着信を告げた。

 倉科くんに断わって取り出し、ディスプレイを見ると、御手洗部長からの呼び出しだった。

 私は、いちにもなく応じる。


「はい、壬澄です。なんでしょうか、部長」

『……ふたつ、いい知らせがある』

「お聞かせください」

『ひとつ、捜査本部の設置が認められた』

「はい、それは確かにいい知らせですね──」

『ふたつ』


 彼は。

 親愛なる上司は、私の言葉を遮り、言葉少なに語った。


。容疑者が浮上したぞ、壬澄くん』


 そうして、事件は急展開を迎える。

 私は、まなじりを険しくし、部長からその容疑者の名を、聴いたのだった。


『瀬田コーポレーションの医療部営業、黄地おうじ玄男くろお──それが、容疑者の名前だ』

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