密談

「マーダ―サーカス事件の新情報なら、なんにもありませんよ」


 通された地下室は、無意味なほど煌びやかだった。

 部屋の広さは中規模な会議室ほどもあり、あちらこちらに明代の壺や、磁器、青磁の茶碗などが展示されていて、博物館のようでさえあった。

 どこの金持ちの仕業だと言いたくなるような円卓の上には、贅の限りが尽くされた中華料理が、湯気を立てながら所狭しと並んでいる。

 北京ダックに麻婆豆腐、棒棒鶏バンバンジーに酢豚にフカヒレのスープ、水餃子、肉まん、焼売……あと、角煮饅頭とか。

 壁には等間隔で蝋燭が並べられており、眩惑的な陰影をゆらゆらと形作っていた。

 また、室内にはお香が焚かれているらしく、浮遊感を覚えるような馥郁ふくいくとした香りが充ちている。


「……これ、危ない奴だったりしませんよね?」


 劉さんの言葉を無視して、室内に充満する匂いのことを尋ねると、彼は声もなく笑ってみせ、


「たとえそうだとしても、あなたには無意味でしょう」


 そう言った。

 ……たしかに私に限っては無意味だろうけど、今日は連れがいるのだ、危ないものだと困る。

 私は申し訳ない顔になると、いまの会話を聞いていたからか隣でしかめっ面を浮かべている友人に頭を下げた。


「ミっちゃん、すみません。できるだけ、その……呼吸の頻度を減らしてください」

「……あんたの無茶にはそろそろ慣れないといけないわね。というか、あれだけ私に順法精神を説いておいて、自分はこういうところに繋がりを持っているってのは、あんた的にありなの?」


 ああ、それは確かに痛いところだ。

 だけれど、痛いだけに過ぎない。


に肉薄する為だったら、私は手段を選びません。私は犯罪と対決するためにいるのであって、法を守るためにいるわけではないですから。……でも、ミッちゃんが悪いことをするのは悲しいです。だから、ここでのことは秘密にしておいてください」

「……随分都合の良いことを言う娘だわ」


 困ったように微笑した彼女は、私の右手をそっと握ってくれた。

 その友情と、信頼と、思いやりに感謝しながら、私もその手を握り返す。

 ミっちゃん……


「こほん……百合百合しいは実に眼福なのですが──ええっと」


 仕切り直すように咳払いをした劉さんが、私たちに腰掛けるよう促す。

 心なし、その頬が赤い。


「えー、それで」


 自分も席につきながら、彼は言う。


「マーダ―サーカスの情報が欲しいというのでなければ、ミスミン、あなたはなぜ、ここを訪ねてきたのですか?」

「ミスミンはやめてください。壬澄です」

「だけれどミスミン」

「ミスミンやめろ、ブタバコに送監ブチこむぞ」

「おっと」


 すごんで見せる私に、おどけたように両手を上げる劉さん。

 ある程度睨みつけては見るものの、効果は期待できない。

 ため息をつき、建設的な会話に移行する。


「劉さん」

「ええ、冗談はここまでに。それで、いったいなんの御用ですか。まさか、我々を一斉検挙しようという腹積もりで?」

「まさか。それこそ冗談でしょう。他の幹部方はともかく、劉さんには都合はある。違いますか?」

「はっはっは! その通りです、ミスミン。こちらには思惑がある。その為にあなたを利用していますし、我々も利用されているのですから!」


 彼はからからと笑うと、部下から盃とお酒の入った壺を受け取った。

 そうしてそのまま、私たち以外の全員を部屋から退去させる。

 ほとんどマンツーマン。

 つまりはここからが、本当の密談の時間だった。


「年代物の老酒ラオチュゥです。円滑な会話のためにも、いかがですか? 特にそちらの女性──西堂蜜夜さん」

「なんで、私の名前を」


 蜜夜が驚く。

 でも、やっぱりそれは想定内で。


「思ったより短時間で調べましたね。やっぱり有能ですね、劉さんは」

「おほめに預かり恐悦至極。ですがそう言ってくださるのなら、いちど盃を交わしちゃくれませんか? あなたと杯を重ねるのは、じつはこの優男のひそやかな夢でして」

「私のどこがいいのか疑問に思いますが……なら、取っておいてください。いずれ、祝杯を上げましょう。私は幾ら飲んでも酔えませんが」

「おや、つれない」


 おどけた様子で肩をすくめ、老酒を口にする劉さん。

 私も緩やかに話を遷移せんいさせる。

 

「では、あなたたち武陣海なら知っていると見込んでの質問です。探しているものがあります」

「見つけるのはやぶさかではありませんが……対価は?」

「……壬澄、賄賂はさすがに看過できないわよ?」


 友人の諫言を受け、ゆっくりと私は頷く。

 大丈夫だ、ちゃんと切るべき札は用意してある。


「では──私とデートできる権利を差し上げましょう」

「ブフォッ!?」


 私がそう言った瞬間、劉さんが口に含んでいた老酒を噴き出した。

 目を白黒させながら、私を正気かどうか疑うような目つきで見つめてくる。


「壬澄……いくらなんでも悪趣味よ……相手が可哀想だわ……」

「どういう意味ですかねぇ、それはどういう意味ですかねぇ!?」


 激しく抗議しますよ、なんで罰ゲームみたいな扱いになっているんですか!


「あの! 私これでも、女なのですが!!」

「……え、ええ。無異議ウー・イィーイィー。願ってもないことがいきなり口にされましたもので、戸惑ってしまいましたが」

「どういう意味で、願ってもないと?」

「肯定的な意味ですよ! ああ、その眼はやめてください、この街でそんな目付きにたえられる犯罪者はいない……とかく、ではそれを条件に情報を受け渡しましょう。思うところはありますが、楽しみにとっておきます。それで、なにを聴きたいのですか、警察のエリート殿? これ以上じらされるのは、駆け引きにしてもいい加減面倒ですが」


 貼り付けている笑みを、若干引き攣らせ、劉さんは言う。

 私もすみやかに情報が手に入るのならそれに越したことはないので、あっさりと挑発を止める。

 牛歩戦術、相手に苛立たせての失策を招く策略。

 あまり私としては得意ではないからめ手で、その結果はというと、実際ほとんど効果はなかったようだ。

 なので、それこそいつも通りに、私は単刀直入に尋ねた。


「劉さん。いま永崎で、連続殺人事件が起きていることは知っていますね?」

「もちろん。顔の利く人物ばかりが殺される、あの」

「それと並行するように起きている事件を。例えば──」


 警察が関与できないように隠蔽されている、傷害事件などを知りませんか?


 私がそう訊ねた瞬間だった。

 すっと、劉さんの糸目が開かれる。

 透き通る碧玉のような瞳が、一瞬だけ私を直視し、やがて、また閉じた。

 場を席巻するのは異常なまでの緊迫感。隣に腰掛ける友人が身を固くし、そのこめかみから冷や汗がひとしずく落ちるのがわかった。

 誰かの咽喉がゴクリと鳴って。

 劉さんが次に口を開いたとき。

 そこに、さきほどまでの軽佻浮薄な彼は存在しなかった。


「知っています」


 彼は。

 劉小虎は、答えた。


「ここひと月、ずっと外圧がかかっていましてね──いや、……結果ね、部下が被害に遭いましたよ。今日の未明、6人が手傷を負わされた。そして──」


 そして──ひとりが殺されました。


 彼は、怜悧な表情で、そう言った。


「……嗚呼」


 私は、息を吐く。


「壬澄」


 神妙な顔つきになった友人が、そっとスマートホンを取り出し確認──そうして私へと手渡してきた。

 件名は『』。

 宛名は上司である御手洗部長から。

 私のなかで、音を立ててすべてが繋がって行った。

 あの記念公園で見たブルーシートは、つまり、そのそれだったのだと。

 絡み合い相克する事件が加速していく、そんな感覚に恐怖する。

 私は──



 四肢裂断事件の、七人目の犠牲者が出たことを、知った。

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