暗黒街の管理人

 喫茶店を出た私と蜜夜は、街の事情通と接触を図るため行動を開始した。

 さきにも言った通り、永崎における傷害事件の発生件数は、あきらかに警察の掌握限度から逸脱している。

 そのほとんどが些細で、被害者さえ訴え無いようなものであるからこそ、警察としては動きようがなく、また把握できていないというのが実態なのだが、なかには意図的に見て見ぬふりをしているものもある。

 そうしてそんなおこぼれに預かり、すべてを記録し、商売に利用する者たちがいる。

 他人の弱みを握ることにのみ尽力するような、卑劣であこぎな連中。

 ある意味では警察機構にとって敵対者ともいえる彼ら。

 そんな彼らに頼るということは、無論のこと私の立場上褒められたことではなく、リスキー極まりないことではあったけれど、しかし、あの犯罪王が危惧するほどの事件が発生しているとなれば、捨て置けない。

 だから、私は──斑目壬澄は、その場所へと、足を運んだのだった。


 新場ニイバ町中華街──永崎で、もっともひとが賑わう区画。


 日本三大中華街のひとつであり、南北へ十字状に展開される街並みは、250メートルにも及ぶ。

 この石畳と中華門の街は、料理店や雑貨店などがひしめいているのと同時に、それを生業として、搾取する者たちの住処でもあった。

 いわゆる、大陸系マフィアの表の顔である。

 そんな、安全と危険が紙一重で同居する繁華街/暗黒街の、赤い南門をくぐり、私は真っ直ぐに進む。

 数十メートル行って、左に見えた建物が、目的の場所だった。

 〝紅山楼〟。

 一見してよくある高級中華料理店。

 準備中の札がかかるその扉を、私は一切の無視とともに押し開く。

 来客を告げる鈴の音が鳴り響き、店内の清掃にいそしんでいた店員たちが、一斉に胡乱気な視線を向けてきた。

 そのうちのひとりが、愛想笑いを浮かべながらこちらに歩み寄ってくる。


「あー、お客サマ? 当店のカイギョウジカンは、まだデシテ」

「新しい従業員さんですか……困りましたねぇ、また不法に入国させたのですか? それとも別の部署から回されたばかりとか。常連客ぐらいは覚えてもらわないと」

「スミマセン、言っていることが、よくワカリマセン」


 愛想笑いから困惑顔に。

 表情を変えて、片言の日本語で応対する店員。

 どうやら私のことを、ただの客だと勘違いしているらしい。珍しく同伴者がいるのだから仕方がないが、常連どころかお得意様のことぐらいは周知を徹底して欲しかった。


「まあ、文句はあなたたちの上に言いますか……」


 わざとらしく溜息をつきながら、私は短く要件を告げた。


「斑目壬澄が情報を買い付けに来たと。ラウ小虎シアォフーでもリィ美鈴メイリンでもいいですから、そう伝えてください。あまり待たせるとブタ箱にぶち込むと言い添えていただいて構いませんから」

「…………」


 そのふたりの名前を出したからだろうか。

 あるいは、添えた言葉が悪かったのか。

 途端に温厚そうだった店員は、目付きを剣呑なものに変える。

 そうしてじろじろと無遠慮に、私と蜜夜の身体を観察し始めた。


「そういうのは、面倒なのでいいです」


 飽きたように手を振ってやると、彼は訝しげな表情を残し、早足で店の奥へと消えていった。

 同じタイミングで、他の店員たちが私たちの周囲を取り囲む。

 じりじりとした包囲網。

 まったくもって失礼極まる。それが客に対する態度かと。


「え、ちょ、壬澄……これ、冗談ではなくまずいやつじゃないかしら?」

「大丈夫ですよ、ヘタを打ったところで内臓を抜き取られた海外に売り飛ばされる程度です、ミッちゃんぐらいの美人なら、殺されることもないですから」

「あんたはいっつも飄々としているけど、物騒なことを平然と言う人間だとは思ってなかったわ!」


 途端に顔を蒼褪めさせるミっちゃん。

 いや、たぶん大丈夫。

 大丈夫だとは思うのだけれど、しかし、新顔しかいないのは予想外だ。私の名前が知れていないのも想定外。

 みんなにじり寄ってくるし、懐に手を伸ばしてるし……。


「あー、やめてくださいよー。そーゆーことされると……取り締まらなくちゃいけなくなりますから──」


 そっと、私が腰の手錠に手を回したときだった。



「──はっはっはっは、相も変わらずやさしいひとだ」



 妙に軽薄な笑い声が、店の奥から響いてきた。

 店の奥から駆け出してくるのは、いつ夜などよりよほど顔色を青くしたさきほどの店員。

 そして、それがまるで露払いであったかのように、その男は現れる。

 白い武術カンフー服──男性版チャイナドレスとでもいうべき衣装を身にまとった細身の体躯。

 歩いているにもかかわらず、その上半身はほとんどブレることがない。

 頭髪は短く、目は糸のように細い。

 顔には、張りつけたようにニコニコとした笑みが浮かんでいる。


「劉小虎」


 私は、その名を呼んだ。

 中華料理店とは面の姿──実際は社会の暗部に纏わる情報の集積所たる紅山楼。その経営者のひとりにして、大陸系マフィア〝武陣海〟の大物こそ、彼だった。

 その男は、実に軽薄な笑みを私へと向けた。


「やあ、お久しぶりですねミスミン、元気でしたか?」

「ミスミンやめてください。壬澄でいいと言っています」

「ですがミスミン、今日は睡眠不足では? 普段の美貌が台無しですよ、目の下にクマが見えます」

「私は特に美人ではないので。あとミスミンやめろ」

「はっはっは! やはり奇妙なひとですね、あなたは。その童女のような愛らしさ、人形のような美しさ、この国の警察では浮きに浮いていることでしょう。実際やりにくいのでは、その背格好だと? 頭髪など、わざわざ染めているのでしょう?」

「…………」


 おおよそ、私の過去になにがあったか、把握していると言わんばかりの物言いだった。

 要するに、前回訪れたときよりも、私の内情が探られているわけである。

 それは逆にいえば、彼の情報収集能力の確かさを裏付けるものでもあった。

 しかし、童女のように愛らしいときたか。

 


「それで、ミスミン。そちらの美しい女性はどなたです? あなたがこの店を訪ねてくるときは、いつだって独りだったでしょうに」

「やめてくださいませんか、ひとをボッチみたいにいうのは。いつもひとりだったのは、こんな危険な場所に同僚を連れて来られないからです。しかし、今日は事情が違います。彼女は私の友人で、そして同僚です。急ぎの要件として、ある事件を追っています──これで、意味は通じますね?」


 つまりは警察の身内を連れてきていると宣言したわけである。

 表情を変えずに告げる私に対し、彼はその口角を少し上げると、


「……でしたら、奥でお話を伺いましょう」


 そういって、右手の人差し指を、下へと向けた。


「下? 地下?」


 困惑したように首を傾げる蜜夜。

 私は大丈夫だと口にする代わりに彼女の肩に触れて、そうして彼──劉小虎に頷いて見せた。

 笑みを張り付けたまま歩き出す暗黒街の管理人。

 私たちは、その背後を追って、店の奥へと進むのだった。


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