本当の嘘吐き
「事実のみを俯瞰したまえ。君たちは目先の異常さばかりに気をとられていて、真に探求すべき事柄に気づけていない」
紅茶を最後まで飲み干し、帝司郎少年はそう語った。
「いいかね? 非認識性であることなど無意味なのだ。その連続殺人は連鎖的で、そしてこの連続傷害事件は必然的なもの。どちらかが欠けても成立しない。君たちは、気が付かなければならない。これは倒錯なのだよ。そこに至らなければ、どちらの事件を解決することも、きっとできないだろうね。いや、だからこそ三種類存在するというべきなのだが」
スッと、私が先程食塩のパケを取り出した(ように見せかけた)のと逆のポケットから懐中時計を取り出した彼は、その分針と時針が示す時刻を読み解くと、小さく頷いて見せる。
「確かに君たちが追っている犯罪は、ひとの認識内にはないのかもしれない。死角を突いているからだ。もっと根本的にいえば、社会性と本能、その両方を同時に有する人間以外では成立しない犯罪だ。そうしてそれすら、本命を──僕の示す連続傷害事件を
犯罪王は、ひどく奇妙な表情で微笑み、最後にこう告げたのだった。
「……リドルを解くためのヒントは、十全に提示した。あとは君たちが追いつめるか、見逃すかだ……その天秤に、運命とやらを賭けることにしよう」
杖を突き、コートを羽織り、シルクハットを被って。
そして、彼はその場から姿を消した。
いつの間にか私たちの飲食分まで喫茶店に支払いをして、本当の紳士のように、犯罪界のナポレオンは立ち去って行ったのだった。
彼の片目を覆うモノクルの、磨き抜かれた銀の光だけが、いつまでもそこに残留しているのだった。
「……で、どうするのよ?」
煙に巻かれたような面持ちで、親友が私に問いかける。
私は、長い黙考の末に、こう答えた。
「その事件を、追いましょう。連続傷害事件。本当にそんなものが起きているのなら、見過ごせません。裂断魔事件ともども、チェイスします。だって犯罪を追跡し未然に防ぐのが、私たちに与えられた仕事なのですから」
きりりと襟を正しつつ、ホットサンドを口に運び、私は思う。
ランチ代、払わずに済んでよかったなと。
◎◎
連続傷害事件。
森屋帝司郎曰く、永崎ではそんなものが起きているらしい。しかし、連続裂断魔事件以上に、私も蜜夜も、そんな事件の存在を把握していなかった。
まったくもって、知りもしなかったのである。
もちろん、警察機構の怠慢というわけではない。
傷害事件など多すぎるのだ。
永崎は、世界的に見れば比較的に治安がいい街ではある。
紛争地帯などと比べれば、格段にいのちの安全は保障されている。
しかし、だからといって犯罪件数が少ない訳ではなく、むしろ年々その値は上昇している。
理由はひとつ、この街が不可能犯罪者たちの基点になっているからだ。
ナーサリークライムというその特別事象を警察が把握するまでは、それは単なる劇場型犯罪者が生まれやすい土壌ぐらいにしか考えられていなかった。或いは一部のものが、超能力というオカルトめいたものを信じていただけだ。
だが、犯罪詩の存在を認識することで、私たちはそれらが相互に干渉しあい引き寄せあっているのではないかという仮説を得るに至った。
そして、の不可能犯罪が存在するという影響が、他の犯罪を誘発するというところまで、犯罪学の研究は進んでいる。
それを踏まえたとき、永崎の犯罪率は、この国でも随一となる。
「だから、傷害事件だけを調べるにしても、数が多すぎるんですよね……」
覚えている限り、自分が触れた限りの犯罪に関する情報を書き込んだ手帳を捲りながら、私は蜜夜に話しかけた。
あれから、私たちはまだ、喫茶店にいた。
署に戻るという考えもなかったわけではないのだけれど、非番が顔を出すとそれはそれで角が立つのだ。
「立場が立場なあんたは、特にね。同僚にすら疎まれてるでしょ、壬澄は」
「そう、なんですよねぇ……」
溜息をつきたい心地で、私は肩を落とした。
私のような小娘がいろいろでしゃばるのは、本当に快く思わない方が多いのだ。階級も下で、書類上は部下にあたるのに同僚である倉科くんなど、
「おまえのような英雄気取りで、媚びを売るのが得意技の詐欺師を、誰が信用するもんか」
と公言してはばからない。
そうして大多数が、そんな印象を私に抱いている。
ああ、私が御手洗部長のような壮年のダンディーなら、きっと見た目相応に扱われただろうに。
「別に、あんたの趣味に今更ケチ付ける気はないんだけど……あのおっさんのどこがいいの? それこそ倉科くんのほうがマシじゃない?」
「やけに彼を推しますね。彼は私のこと嫌いだと思うんですが……逆に訊きますが、小さい男の子のどこがいいんです?」
「…………」
「…………」
両者無言。
弁明の余地がないことぐらい、お互い理解していたらしい。
沈黙が場を支配し、しばらくの間、私がメモを捲る音とBGMのジャズだけが響いていた。
「……壬澄」
「はい」
「あんたぐらいのもんなのよ、あんなわけのわからないものの前で、理性を保っていられるのなんて」
「……?」
沈黙を破った親友の、しかしその言葉の意味が解らず首を傾げる。
すると、蜜夜は眉をしかめて見せた。
「森屋帝司郎」
その名を呼んだとき、彼女のぷっくりとした唇から、赤い舌がちろりと覗くのが見て取れた。
どうしようもない情欲と、等量の困惑。
それが蜜夜の内側で混沌と渦巻いていることは、想像に容易かった。
女の顔をしている親友。それを魅了しているのは、黄金の犯罪王。
蜜要が、生唾を呑み込んで、口をひらいた。
「……あれは、異常すぎる。目の前にしただけで、思考力を剥奪される、脳が眩む。美しいという言葉では足りないほどに、うつくしい。僅かでも、例えば影を見ただけでも、私は虜にされてしまった。人の領域にはない、魔的な魅了……あれは、恐ろしいほどの犯罪のカリスマよ」
「…………」
「壬澄、私だって馬鹿じゃないわ。わかっている。あの美少年が、ただの美形のショタじゃないことぐらい理解しているわ。鑑識をなめないで、警察官である私を侮らないで。わかっている──あの子からは、濃密な死臭がする──べっとりと纏わりつく、どうしようもない死の匂いがあるわ」
死というものを語りながら、しかし彼女の目は恍惚に潤んでいた。
そして、その陶酔に対し、理性が抵抗していることもまた、私にははっきりとわかった。
「彼を目の前にすれば、その麗しい声を聞けば、もはや何人とも抵抗は出来ない。そう、どうやらあの少年は、私の手には負えない。ミセドでは仕掛けられたとき、一瞬ですべてを掌握された。気づけば、あんたのことも、全部べらべらと話してしまっていた。気付いたわ、その時点で。ああ、立っているステージが、そもそも違うんだって」
「…………」
「森屋帝司郎は異常よ。私が知る中で、彼の美貌と、その邪知に対処できるのは捜査一課の御手洗部長と、世紀の名探偵──
せいぜいが、あんたぐらいのものなのよ、壬澄。
親友は、そんな風に、私を評した。
彼女は、ゆっくりとかぶりを降る。
「勘違いしないで、あんたの過去を蒸し返そうってことじゃない。私はこう言いたいのよ、壬澄。同期の桜で、親友であるあんたに、魅了されてしまった、虜にされてしまった私ができるせいいっぱいの警告をおくりたいの。壬澄、彼を信用してはダメ」
「…………」
「あれは、恐ろしい嘘吐きよ」
西堂蜜夜はそう語った。
理性と熱狂の狭間で、それでもそう言ってくれた。
だから、私は。
「はい、大丈夫です。だって、私は──」
そうだ、私は。
「もっとひどい嘘吐きを、知っているのですから」
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