終わる休日

「あの白い娘──メリーさんはどうしたのですか?」


 雑踏に消えた幻影を脳裏に描きながら、私は森屋帝司郎にそう訊ねた。

 場所は、私が行きつけにしている喫茶店──長年隠れ家的に利用してきた、同僚も知らない秘密のお店だ。

 その個室をわざわざ借りて、いま私は、黄金色の犯罪王と向き合っていた。

 ちなみに蜜夜は、ようやく正気に返ったのか恥じ入ったように口をつぐんでいる。


「さて……なぜ、それを問うのかね」


 意外なことに、森屋帝司郎は言葉を濁した。

 理由を問われれば、彼らが二人組であることが当然のように思えていたから──ということになるのだが、そこに具体的な裏付けはない。

 なので私も、


「訊いてはいけませんでしたか?」


 と、間の抜けた感じで問いかえすことしかできなかった。

 直感的に、見過ごしてよい話題ではないと口にはしたものの、それが個人的なことであれば訊くべきことではなかったのかもしれない。

 犯罪者にとて、プライバシーはある。

 彼が見た目相応の少年であるのなら、なおさらに。

 そんな私の思考を見透かしてか、彼は困ったように笑ってみせた。


「訊いていけないということはない。僕は、今日に限っては協力者だからね。メリーは……別行動だ。僕らは不断の関係だが、さりとて普段から常に行動を共にしている訳では、ない。あれにはあれで、やることがあるのだよ」

「というと?」

「人探しさ。そんなことよりも、ミス・ミスミ。君は、ミス・ミツヨから聞いた限り、今日は非番だと聞く。ボーイフレンドと出掛ける用事はなかったのかね?」

「……残念ながら、あなたと違って、色恋よりも優先すべき事柄がありますので」


 話をはぐらかされたからか、それとも的を射られたからか。

 苦渋に満ちた表情で皮肉を返すと、彼はからからと愉快そうに笑い、



 途端に真面目な表情になって、こう言った。


「君は、追っているのだろう、ミス・ミスミ。あらたな……犯罪の火種を」

「それを、だから誰から」

「無論、ミス・ミツヨから」


 鼻白んで問えば、呆気なく身内に売られたことが判明する。

 思わず、声を荒げる。


「ミっちゃん!」

「なによ、美少年は正義なの。あんた、シャタは正義なのよ、壬澄」


 珍しく筋の通らないことを言いだす友人に、半ばあきれ、半ば憤り、私はため息とともに告げる。


「背任……守秘義務違反……職権乱用……ミっちゃんの経歴に傷がつきますよ……」

「まあ、経歴より大事なことってあるわけよ」


 いや、あるだろうけれど。

 あるだろうけれど、そこまで開き直られると、若干癪しゃくな気持ちにもなる。

 この公明正大を絵にかいたような友人が道理に反することを行い、そうするように仕向けたのが犯罪王だというのなら、さすがにこれは怒ってしかるべきことなのだ。

 ひとをたぶかし、そそのかし、籠絡する。

 まさに悪魔の所業だ。

 私は、改めて森屋帝司郎という少年の恐ろしさを賭危険性を理解した。

 冗談ではない。

 ああ、冗談ではない。ふざけている。こんな埒外な存在に、今回まで首を突っ込まれてはかなわない。

 なにせ、なにせこの事件は──


「〝曲芸殺人集団事件ケース・マーダー・サーカス〟」

「……っ」


 美しい口唇が紡いだその言葉に、私は息をのんだ。

 ありったけの意志をなけなしの怒りで束ね、睨みつければ、しかし帝司郎少年もまた、普段のひとを惑わす笑みを浮かべてはいない。

 どこか愁いを帯びたそれである。

 彼は口をわずかに強く閉じた後、ゆっくりと話をはじめた。


「そう批難しないでくれたまえ。できれば、君の親友を、君自身が嫌うこともしないでやってくれ。僕が手ずから聞き出したのだ。犯罪王が秘密の暴露をおこなったのだ。おおよそ、この世に隠し通せる者はいない」

「それは……」

「籠絡したといってもいい。無理矢理に訊き出したのだとも。或いは、そうだ、僕は利用したのだ。。それに、これは大したことではない。問題は君がまた、この事件を追っているということだろう、ミス・ミスミ?」

「壬澄です」

「ん?」

「私の名に、敬称を付けるのはやめてください。名字にも、名前にも、敬称を付けないでください。呼び捨てにしてくださって結構です」

「しかし、君から見て僕は──その……言いにくいことだが実年齢からすれば、随分年少に見えるのではないかね? 若輩が年上を敬うのは、この国においては当たり前の──」

!」


 私は、語気を荒げた。

 先程まで以上の怒りが、憎悪が、胸の奥から沸き立っていた。

 森屋帝司郎が眉根を寄せる。親友は痛ましそうに顔を伏せる。

 なれども、私は告げる。


「それでも、私の名前に敬称をつけないでください」


 たとえそれが社交辞令でも、


「不愉快です。反吐が出るほど、胸糞が悪くなります」

「…………」


 私が、不快感も露わにそう断絶を突き付けると、帝司郎少年は少しだけ驚いたような顔になった。

 だけれど、それは瞬きぐらいの間で、それからまた、彼は変わらない美しすぎる微笑みを浮かべる。


「なるほど……譲れない一線があるというならば、僕も配慮しよう」


 配慮、いま配慮といったか、こいつは。

 この厚顔無恥の塊みたいな魔少年が?


「驚くことではない。僕は淑女には寛容だよ、気に入った者には、特にね。よかろう、これからは君を、壬澄と呼ぼう。僕は君をそう呼ぼう。では、改めて壬澄」


 彼は、きわめて真剣な顔つきで、言った。



「君がいま追いかけている事件。それは──ナーサリークライムが関与した犯罪である可能性が高い」



 ……かくて、はじまったばかりだった私の休日は、唐突に終わりを告げたのだ。

 ひどくはやく、駆け足で。

 まるで、飛ぶ鳥を落とすかのように。

 その事件は、私の前に姿を現したのだった。



「これは殺人者が犯人足りえない、二律規範を内包する不可能犯罪なのだ」

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