立ち向かうための資格、傲慢
同期の桜との待ち合わせの場所、ミセスドーナツは、1855年創業の
全国規模……いや、正確には米国発祥なので世界規模ということになるのだけれど、その創業者にちなんでコック帽を被った女性のデフォルメイラストが、ブランドのロゴマークに使われている。
世界規模なので、当然外国文化の入り口と誉れ高い永崎駅にはチェーン店が入っており、常に盛況を極めている。
1971年の日本オープン当時から引き継がれた伝統の店舗である。
そんな由緒正しいミセスドーナツ(通称ミセド)の永崎駅前店は、その日、前代未聞の来店者を迎えていた。
〝黄金〟。
全身を包むのは、高級にしてクラシカルな紳士服。
傍らに立てかけられた杖は、一目でわかる高級品。
その柄に這う天上の工夫が仕上げたような芸術的手指には、鷲に絡みつく蛇の彫金が施された
双眸の片割れを覆うのは、銀の鎖の
普段はシルクハットの下にある金髪は、いまは惜しみなく衆目に曝され、まるで月光を束ねた金糸のように冷たく美しい。
優雅にカフェ・オ・レを嗜む口唇には、あるかなしかの微笑みが刻まれていて、その桜貝のような色合いもあって周囲を魅了してやまない。
頬の色は血色がよく、紅顔の言葉が相応しいだろう。
なによりその瞳は。
この世のいかなる財宝よりもまばゆく輝くその黄金色の瞳は、あまりにも美しく──
そんな、愛することに畏怖すら覚える、異次元的な黄金色の少年が、大衆的なドーナツ屋に、場違いに、酷く場違いに存在していた。
「我が母国が発展させた
「ふ、フレンチクルーラーよ……です」
「そう、フレンチクルーラー。これは素晴らしい菓子だ。独特の食感に、甘みも申し分ない。後味も爽やかで……そうだね、これで紅茶がもう少し上等ならば、僕が本社ごと買収していたことだろう。カフェ・オ・レは及第点だけに、じつにもったいない店だ」
「そ、そうね……そうですか」
「ふむ……レディー、君は呑み込みがいいな、気に入ったよ」
──どこぞの頭の悪い女刑事とは好対照だ。
オーパーツ染みた黄金──森屋帝司郎が、あまりにも似合う嘲侮の表情で、そんなことを口にした。
というか、
「なにをしているんです、ミっちゃん?」
待ち合わせの相手──西堂蜜夜は、その最大の取り柄である冷静さと公正さを全く欠いた状態で、いまは件の魔少年(なんでいるんだこの野郎?)相手にしなを作っている。
ピッシリとした印象の、防御力が高そうな衣装に身を包んだ体をくねくねと動かし、頬を真っ赤に染める様子など、普段の彼女からは考えられないぐらい乙女チックである。
銀縁眼鏡の下の瞳など、陶酔と情欲に濡れそぼっているのが傍目にも見て取れた。
その彼女が、私の声で一瞬我に返ったのか、素っ頓狂な声を上げる。
「み、壬澄!? なんでここに!!」
「なんでここにって……いや、うーん、そんな反応されましても……」
「違うの、壬澄……数学者はね、自然数に黄金を見出す生き物なのよ……」
「すみません、なにを言っていのるか、ちょっとわかりませんね」
あなたは数学者ではなく鑑識です。
我に返ったのは一瞬で、また潤んだ瞳を魔少年に向ける蜜夜。私は溜息をひとつ吐くと、完全に腑抜けてしまっている親友を脇に押しどけ、その存在と直面した。
「なにをしているんですか、森屋帝司郎?」
厳しい声を作り、そう言葉を投げかけるだけで、私は極大の疲労感を覚えた。
目に映すだけ、意識するだけでひとを魅了し、蕩けさせる圧倒的な美がそこにはあった。
そんな美の結晶──黄金の彼は、麗しい笑みを浮かべると、わざとらしくも「おや?」などと首を傾げて見せる。
それすらも絵になって、私は怒りを覚えた。
なにが腹立たしいって、その姿にいちいちキュンキュンなっている自分にだ。
そんな私の内心の葛藤など知ったことではないのだろう、彼は
「ああ、これはこれは。喧しさが一層ひどくなったと思えば、いつぞや、僕の講義に耳を傾けた某ちゃんではないかね。とるに足りない君の名は、残念でもなく忘れてしまったけれど……はて、今日はなんの要件だい? また、僕の講義を聞きに来たのかね?」
「あなたの戯言を真に受けるほど私は優しくありませんし、ついでにいえば暇でもありません。森屋帝司郎、あなたには紅奈岐美鳥殺害の容疑がかかっています。署までご同道願えますね?」
「……フン。論理を無視し横暴を振りかざしてきたか官憲め。あれに対して現行法で逮捕状をとれるとでも? したがってそれは任意、僕が従う通りはない。君もそう肩肘を張らず、この茶会に参加したらどうだね?」
少なくとも、君のご学友は満喫しているようだが?
そんな彼の言葉に促され蜜夜のほうを向けば、彼女は魔少年に寄りかかり「あーん」などとのたまい、小さいボールドーナツを食べさせようとしていた。
だめだこいつ、はやくなんとかしなくちゃ。
「……失礼」
私はため息をつきつつ、森屋帝司郎の紳士服──そのポケットに手を突っ込んだ。
この蛮行を、だが彼は微笑みで容認し、腹が立つほどされるがままになっている。
苛立ちを極力内心に封印しつつ、手を引き抜くと、そこにはシーリングされた小さなナイロン袋──いわゆるパケが握られていた。
中身は……結晶状の白い粉だった。
「これは?」
「さて、身に覚えがないな。旧い探偵たちが愛飲したという痛みどめとかではないかね?」
楽しそうに彼は笑い、私を見詰めてくる。
心拍数が跳ね上がる。
それでも視線を逸らさない。真っ直ぐに視線を返し、怯むことなく、躊躇うことなく、魂を
「たったいま、あなたには違法薬物単純所持の嫌疑がかかりました。薬事法違反の可能性が十分に示唆されており、永崎署における記録下での検査が必要であることは明白です。もしご同道願えないのであれば、少年課、および刑事部捜査第四課に身柄を引き渡さなければなりません。みっともなく補導されたいですか──
一息にまくしたて、啖呵を切る私。
彼はそれを黙って聞き続け、そして
「────はっ!」
「よい! 実にいい。僕を前にして素晴らしい胆力だ。その横暴さ、卑劣さ、傲慢さ……どれをとっても刑事として申し分ない。バッチすら見せやしないその態度、非常に気に入った。斑目壬澄──いまその名を思い出したぞ」
噴出したのは喜悦と悪意。
先程までの優雅さをかなぐり捨て、彼はそれだけでひとを殺せそうな笑みを浮かべる。
ぞっとするほど美しく、なによりも黄金のなか、漆黒の悪意渦巻くその瞳が、私をまっすぐに見つめているのだ。
彼は、珍しい玩具を愛でるような声で、穏やかに、穏やかにこう言った。
「ミス・ミスミ、気を鎮めたまえ。僕は今回、まだなにもしていない」
「…………」
「そして今日、このたびに限っていえば──僕は君達、警察の味方をするつもりでいるんだよ」
……そのセリフを、素直に信じることは難しかった。
この少年がどれほど危険な人物か、私はあの島で起きた事件を経て、これ以上なく実感できていた。身を以て理解していた。
それでも。
それでも引き下がったのは──冤罪を着せるために持ち歩く食塩のパケを無かったものとして扱ったのは、この程度の手品では意味をなさいないと、この少年には遠く及ばないのだと、そう理解せざるを得なかったからだ。
その瞳に燈る黄金が、あまりにも眩しすぎたからだ……
だから。
「場所を、変えましょう」
だから、私はいまだ彼に心酔した様子の親友と、黄金の少年に提案した。
この衆人環視は私にとって味方ではあったが、密談をするには場所が悪すぎたのだ。
「いいとも。紳士は常に、淑女の提案に寛容だ」
魔少年は、白々しくもそう言って微笑むのだった。
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