雑踏のなかの純白
いっそジャージで出掛けようかとも思った。
言うまでもなくさんざん婚期がどうのこうのとからかわれた当て付けにだ。
しかし、残りわずかな人間性というか、終わっていない部分というか、とにかく私の内側にある女性的な部分が、最低限着飾ることを譲らず、折衷案としてなんちゃっておしゃれが実現したわけである。
プリーツのきいた桜色のロングドレスと、同色のインナー。その上に濃紺のデニムジャケットを羽織り、黒色の細いロングマフラーを首に巻く。
テキトーこの上ないとはいえ、なんとか人前には出られる格好だ。
……もうちょっとでスニーカーを選びそうだったところをヒールにしたのは、たぶん褒められてもいいところだと思った。
そんなヒールで、カツカツとアスファルトを抉りながら、私は昼の街並みを歩く。
永崎の市街地は、海に近い。
朝はやくともなれば、古のロンドンのように霧けぶる街と化す……のだけれども、すでに昼を回っているこの時間では、なんの情緒も風情も感じられないごく一般的な、坂道が多いだけの都市構造があるだけだ。
せめて夜景であったなら、日本でも三本の指に入る代物なのだけれど……
無意味な思考をつらつらと連ねつつ、私は最寄の駅から路面電車に乗り込む。
分刻みで便が出るこの路面電車は、降車ボタンが発する独特の音から〝チンチン電車〟の愛称で親しまれており、どこへ行くにしても市民の足として重宝されている。
坂道と渋滞の街とまで
混雑する時間帯ではなかったからだろう、運よく座席に座ることができた私は、降車するまでの間、ずっと窓の外を眺めていた。
せわしく歩き回るスーツ姿のビジネスマンたち。
入り乱れる高層ビルディングと背の低い、古びた店舗。
高級そうな和服を着た女性が犬を連れて歩いているかと思えば、ひとつ道を外れたところには、ボロ衣を纏った顔を汚したホームレスたちが、なににも興味がなさそうな顔で座り込んでいる。整髪もろくにしたことが無いようなボサボサ髪の、致命的にセンスがないネクタイを締めたコートの男がそのホームレスになにかを話しかけている。
愛し合う恋人たちがいて、反目し、喧嘩別れしていく他人たちがいる。
純白の羊に。
噂では新技術開発に沸き、特許取得とともに近々大規模なセールスをかける予定らしい瀬田コーポレーションの看板──ああ、この会社も
そう、ここは不可能犯罪の最前線にして、混沌的発展を遂げる経済特区──海洋黄金都市。またの名を、犯罪頻発都市〝永崎〟──
「いや、ちょっと待ってください」
なにか突発的な違和感を覚え、思わずつぶやく。
ハッと振り返るが、もうその時には遅かった。
どこかで見覚えのある純白は、すでに雑踏の中へと消えていたのだ。
「…………」
嫌な予感に顔をしかめつつ身を戻すと、またも気になるものが目に飛び込んできた。
いまだ、モデルが誰であったのか諸説ある、巨大な祈念像がある公園。その東口方面の一角が、見知ったテープとブルーシートで覆われていたのである。
黄色地に黒文字のテープ。
立ち入り禁止──KEEP‐OUTの文字。
警察御用達のバリケードテープによって、規制線が敷かれていたのだ。
私は、もはや無意識にそうしていた。
ショルダーポーチからスマートホンを取り出し、メールや着信履歴を確認する。しかし、友人からのおはよーダイヤル以外が確認できない。
どれだけ履歴をさかのぼってもそれは変らず、私は眉を
なにか事件が──些細な事故かも知れないけれど──起こったのは間違いない。
だが、同僚からも、御手洗部長からも、それを告げる連絡は私にまで届いてはいない。
捜査の手が足りているのか、それとも完全に私とはお門違いなのか、或いはまたその現象が起きているのか。
とかく、このままでは判断に困るため、私は部長へと詳細を求めるメールを打った。
抱えている〝不可視の案件〟。
それについて、いまは少しでも情報が欲しいという焦燥が、私を焼いていたのだ。
「やってしまいました……」
……路電の中でメールを打つのはモラルに反することだと、送信し終えてから私は気付いたのでした。
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