第二講義 ブラック・バード=ダブルスタンダード

休日篇

女刑事の優雅ではない休日

比翼ひよくのブラックバードが

街の中にいましたとさ

片羽の名はジャック

もう片羽の名はジル


引き千切れ ジャック

作り上げて ジル

私を愛して ジャック

誰を愛するの ジル?



◎◎



 現代の切り裂きジャック事件ケース・ジャック・ザ・リッパーとまで呼ばれたその稀代の連続殺人事件は、全容の把握がなされないまま、警察機構によって平定が行われた。

 マスメディアは未だ騒ぎ立てているものの、もはや燃料などなく、やがて規制によって鎮静化するだろうと見込まれている。

 犯人については、今後裁判所において、法律のもとに処断されていくことだろう。

 日中、夜間、ひとの有無を問わず、鮮やかな手つきで人間の四肢をもぎ取り、蒐集しゅうしゅうを続けたその、確かに私たちの手によって捕縛されたのだ。

 誰もが目逸らす猟奇殺人は、確かに終わり、幕引きはなされたのである。

 私──斑目まだらめ壬澄みすみは、それを知っている。

 けれど、


『拝啓 斑目壬澄 さま』


 そんな出だしで始まって、


『切り裂きジャック事件の真犯人より 敬具』


 そんな締め方で終わる手紙を突き付けられたのならば、黙っていることなどできなかった。


「……ッ」


 私は奥歯を噛み締め、叫びだしたい衝動をこらえながら、上着を引っ掴んで署内から飛びだす。

 吹き荒れる嵐の渦中のような胸の裡で、どこまでもクソッタレな悪態をつきながら。



 ──歪んだ愛の物語は、いまだ終結していなかったのだと、理解しながら。



◎◎



 斑目壬澄の休日。

 つまりは非番がどのようにして幕を開けるかといえば、おおよその場合、モバイル携帯のアラームをもって開帳する。

 その暴力的な電子合成音が、二日酔いのようなものにたわむ頭へと、ガンガンと鳴り響き、地獄じみた苦痛を与えてくるのだ。

 ありていにいって、最悪の目覚めである。

 ……ある一件以来、私について回るようになった不可能犯罪の専門家という肩書は、いつの間にか独り歩きを始め、数か月前に遭遇した孤島での惨劇によって確固たる地位を築くまでに至った。

 その事件には、政界や財界を揺るがしかねない大財閥が絡んでいて……まあ、つまり不祥事の隠蔽、口止め料とばかりに、私の出世にプラスの圧力がかかったのである。

 結果、私はひと月前、警部に昇進した。

 この特にとりえもない小娘が、キャリア組もびっくりの大出世である。

 それに比例するかのように、他県での不可能犯罪が多発。専門家という立場を逆にとられた私は、名実ともに便利屋としてこき使われることに相成った。

 もし、尊敬する上司ナンバーワンである御手洗部長が裏で手を回してくれなかったのなら、今頃私は激務で押しつぶされていたかもしれない。

 それほどまでに、不可能犯罪──いや、に言わせればナーサリークライムか──は、増加傾向にあったのである。自分が担当する事件すらろくに捜査できないようなあの日々には、できれば戻りたくない。本当、尽力してくれた御手洗部長には頭がさがる。

 ……もっとも、その部長にしたって、私を〝不可能犯罪特殊対策班班長〟なる役職に就けようと画策しているらしいので、どうにも手ばなしの味方というわけではないのだが。

 さて、そういう諸々からくるストレス、不満のはけ口を私がアルコールに求めたのは、現代社会においてはごくごく当然のことだった。

 非番のたびに、私は朝までお酒を飲み明かしたわけである。

 楽しい酒盛りだ。

 独りで、ぼっちで、缶チューハイをな!


「……そ、そしてそのツケで、いまおおいに苦しんでいるのでした……うっぷ!」


 酔えない酒を、しこたま飲み干した対価が私をせっつく。

 こみあげてきたものを手で抑え込みながら、部屋のなかに転がっているゴミ袋を蹴飛ばしつつ、トイレへと駆け込む。

 電話はいまだに鳴り続けているが、知ったことではない。

 ユニットバスに併設された便器に顔を突っ込むと、私は胃の内容物を盛大にぶちまけた。ほとんど液体だったが、それが途中で気管に入り、激しくむせた。

 しばらくげーげーとやって、それから口をゆすぐべく洗面所に立つ。

 鏡に映ったのは、目の下に色濃いクマが残る三白眼の、なんかどうしようもなく疲れた女の姿だった。

 いや、鏡の位置が高いので、顔ぐらいしか映っていないのだけれども。

 疲れているというか、終わっている感がひしひしとしているのだけれども。

 ……ああ、うん、それは自覚的だ。

 胃痛がマッハとか、ストレスがフォルティッシモとか、そんなの関係なく、いまの私はダメ人間コース一直線だった。

 まずい。このままでは、社会的に死ぬ。


「女としても、危険ですね……あぁ……はやく結婚したい」


 どこかに優良物件が落ちていないだろうか。部長でもいい。

 そんなことを思いつつ、部屋に戻る。

 カーテンの隙間からうっすらと見える日光の位置はとても高く、自分がいかに怠惰な生活を送っているかが見て取れた。

 コンビニ弁当のからや、食べかけのカップめん、握り潰されたチューハイの空き缶などが散乱する机の上は、目も当てられない。

 スーツこそしっかりと壁にかかっているが、ブラジャーや生理用品がそこかしこに転がるこの部屋では、それは焼け石に水……どころか、逆に悲惨さを際立たせているだけだった。


「…………」


 これで結婚……?

 自嘲とともに、欧米人染みたオーバーリアクションが湧いてくる。

 刑事の非番というのは、自宅待機という意味合いが正しい。

 常に万が一に備えていなければならないのだが、しかし私はこの体たらくである。

 

 自嘲を苦味に変え、まだ鳴っていた電話を、ようやく私は手に取った。


「……ぁい」


 半死人の老人のような声。

 実際、脳味噌も非常に回転数が下がっているので、ロメロ映画のゾンビ染みていた。

 そんな風に応じた私の、その鼓膜を貫いたのは、あきれ果てたような声音だった。


『──あんた、また飲んでたの? 非番だからって、そりゃよくないわよ。深酒は体に毒よ?』


 開口一番、私にブッ刺さる正論。

 そう、正論。

 正論と言えば彼女だ。

 私は、彼女以上に臆面もなく正論を口にできる人間を知らないし、そしてそれを実行できる人間もまた知らなかった。


「えっと……はい。飲み明かして、さっき眠って、いま起床したところです。ミっちゃんの電話で、叩き起こされました……」

「過失を人に押し付けないでくれる? どうしてもというのならアルコールが悪いぐらいの論調を取ってちょうだい」

「そ、そんなぁ……ミっちゃん、お酒は、人類の伴侶はんりょなんですよ……?」

「泣きそうな声でバカなことを言わないで。あんたはまず、人生の伴侶を見つけなさい、この呑兵衛のんべえめ」

「……相手が、いませんので」

「あんたの下にいる、えーと、倉科くんとかでいいじゃない。正義感、強いわよ?」


 いいじゃないって……。

 あのねぇ……。


「ミっちゃん。いくら親友だからといって、言っていいことと悪いことがあると思うのですよ」

『あ、そう。ちなみにこれは言っていいことよ。でないとあんた、絶対婚期逃すもの』

「がはっ!」


 あけすけにものをいう彼女の一撃によって、ついにエア喀血かっけつする私。

 無理、ミっちゃんに口げんかで勝つのは、無理だ……。

 がっくりとうなだれ、しかし私は苦笑した。

 西堂さいどう蜜夜みつよ

 私の、警察学校時代の同期にして、首席で卒業した優等生。なによりの、自慢の友人。

 現在は永崎県警鑑識課現場鑑識第一係で、現場勤務を務めている、私などとは格の違う正真正銘のエリート様である。

 常に正論で理論武装する彼女は、そのキツめの眼差しと怜悧な容貌から誤解されがちではあるけれど、とても気さくな人間である。

 なので、彼女のことをよく知る鑑識の人間からすればマドンナ的なところもあり、これまた私と違って異性からの引く手は数多だ。

 ……いえ、羨ましくなんて、羨ましくなんかないのだけれど。

 さて、では、そんな彼女はどうして、非番の私に電話をかけてきたのだろうか?

 理由がわからなかった私は、率直に彼女へ尋ねることにした。


「……それでミっちゃん。なんでこんな朝早くから、電話をかけてきたんです?」


 折角の休日を台無しにされたとか、そういう恨み節はなく、ただただ純粋な疑問として私は彼女に問うていた。

 しかし、帰ってきたのは、特大の溜め息で。


『はぁ……』

「え、なんですか、その……え?」

『朝早くって……もう午前11時よ』

「──は?」


 私は、慌てて壁にかかっている時計を確認する。

 時刻は──彼女の言った通りの11時!


「あ、ああ」

『今日はショッピングがてら、いろいろ打ち合わせをする予定だったでしょ? あんたのことだし、きっと寝てるんだろうなぁとは思ったけれど、まさかこれだけ呼び出しても起きないとは思わなかったわ。知ってる? これ、八回目の電話なのよ?』

「ああああ」


 狼狽する私に、彼女は珍しく茶目っ気たっぷりに──おそらく電話の向こう側ではウインクでもしながら、こう告げた。


『じゃあ、遅れたらランチは、壬澄のおごりだから。早く来なさいよね、駅前のミセド』


 ぷつんと切れる通話。

 そして私は。

 私は。



「うわあああああああああああああ!? 遅刻ですうううううううううううううううううううう!!?」



 いまさらのように慌てふためき、寝癖でボサボサの髪をどうにかするべく、ふたたびバスルームへと飛び込んだのだった。

 斯様かようにして、私のたいして優雅でもないは休日は、幕を開ける──

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