主がいない館で

◎◎



 あれから大凡おおよそ一時間――私を含む、巣籠館の住人は、たった一人を除いて食堂に集まっていた。


 沈鬱な表情で私の背後に立つ執事――鳥羽瀬愁。

 表情を一つも崩すことなくその場に控えるメイド――三田恵理子。

 苛ただしげに歩き回る青年――楽田英輔。


 そして、私の対面に腰掛け、ひどく憔悴しょうすいし切った表情で項垂うなだれる厚化粧の女――指名手配犯、形川リナ。

 その、色合いが幾らかおかしい黒の瞳が、ちらちらと私に不安げな視線を投げかけてくる。


「単刀直入に訊きます」


 私は、可能な限り感情を排した声で問うた。


「形川さん、あなたが紅奈岐美鳥を殺害したのですか?」


「ぢ、ぢがゔわ゙!」


 彼女の声は、酷くしゃがれたものだった。とても女優とは思えないような声だ。どうやら、あの時の叫び声で喉をおかしくしたらしかった。

 ……無い話でもない。

 私が――生きる者も死せる者も、この館の住人すべてが聞いたあの声は、絶叫と呼ぶことすらもはばかられるような壮絶な恐怖の悲鳴だったのだから。

 あんな声を出せば、喉が壊れもする。


「もし――役者としてあれが出来たのなら、一世一代の大芝居だったでしょうね」

「な゙ん゙の゙ばな゙じよ゙?」


 ……また心の声が漏れてしまった。

 失敬と断わりを入れて、私は再び訊ねた。

 今度は、幾分強い言葉で。


「不可能犯罪者、70人殺し、端役殺しモブ・サッカー――形川さん、あなたが美鳥嬢を殺したのですか? 数週間前、あなたが共演者を皆殺しにしたように?」


 その問いかけに、今度は、彼女は答えなかった。

 かわりに、表情が見えないほど俯いて、更には両手で顔を覆い隠してみせる。

 僅かな沈黙と、それに続く嗚咽。

 形川さんは、泣き出してしまったようだった。


「…………」


 私は油断なく、けっして彼女から視線を切らずに考え始める。

 ……この女性の殺人技法は常軌を逸している。

 伊達に不可能犯罪者などと呼ばれてはいない。

 ――それが彼女の殺人法、犯した罪だ。共演者を皆殺しにしたというのは比喩でもなんでもない。テレビ中継されている画面の中で、彼女以外のすべての人間が全く同時に血反吐を吐いて死に絶えたのだ。

 司法解剖によれば、被害者からは全員、遅行性の毒物が検出されている。購入ルートも特定され、買い取ったのは彼女だと解っている。

 確かにそれを――時限式の毒物を前もって仕込んでおけば、共演者を皆殺しにすること、それ自体は不可能ではない。


 ――だが、すべての人間を同時に殺す? 一秒の狂いもなく、全く正確に?


 そんな真似が出来るのは、不可能犯罪者だけだ。だからこその指名手配。だからこそ、私がいま此処にいる。

 しかし……私がいて、何が出来たというのだろう。

 結局、新たな被害者を出してしまっただけだ。

 紅奈岐美鳥。

 彼女は殺された。

 あのあと、現場保存の原則など知ったことではない私は(いわゆる絶海の孤島、クローズドサークル。おまけに容疑者は不可能犯罪者という状況で優先すべきものではない)、卵という卵を叩き割った。半数は割った。

 その中身は、ほとんどがグズグズの腐れ始めた肉塊であった。

 ミンチと言うには粗挽きのそれは、私が知る限り最も腐敗した人肉に近い色合いをしていた。

 肉塊だけでなく、骨の欠片もあった。

 特徴的なものもあった。

 女性の小指の先端が、まるまる入っている卵もあった。

 散乱していた燃えるような茜色の髪、そして肉片と彼女の不在。

 それは、美鳥嬢の死と言う現実を、これ以上もなくまざまざと私たちに突きつけていた。

 状況的に、彼女が既にこの世にいないことは明らかだった。


 紅奈岐美鳥は死んだのだ。


 問題は、誰が彼女を殺したのかということ。誰が殺し、あんな訳の解らない状況を作り上げたのかということだった。

 自殺という線が、皆無でないことは解っている。これが単純な娯楽小説、ミステリーの類であれば、その可能性も考えない訳にはいくまい。細々とした線だが、手繰る必要はあっただろう。

 しかし、たとえ自殺だとしても、死んだ人間が自らを荒微塵に分割し、あまつさえ

 ゆえにそう、これは不可能犯罪だった。

 だからこそ、この場で最も有力な容疑者が、形川リナ、彼女だったのである。


「形川さん」


 私は、三度と問う。


――?」


 答えは。

 その尋問に対する回答は。


「――ふっざけんじゃねーぞ、てめぇっ!!」


 激昂した青年の声によって、掻き消された。

 まなじりを吊り上げ楽田さんが、いらだちも露わに形川さんへ掴みかかる。顔を押さえたままの彼女を、無理矢理に椅子から引きずりおろし、立ちあがらせ、その襟首を掴んで締め上げる。


「てめぇが、てめぇがお嬢様を殺ったのかよ!? なんで殺した! 言えよ、なんで殺した!? 恩義がねぇのか、お嬢様はテメェを助けてかくまってたんだぞ! てめぇ、聞いてんのかてめぇ!」

「楽田さん」

「よくもよぅ、よくもお嬢様を殺しやがって! てめぇは、自分がぶっ殺して――」

「楽田さん!」


 いまにも拳を振りかぶりそうな彼に、私は語気を強く言葉を投げる。


「それ以上は、傷害罪ですよ。形川さんは容疑者ですが、それで正当防衛とはいきません」

「でも、でもっすよ、刑事さん! こいつは、こいつはっ!」

「落ち着いてください。そんな事をしても美鳥嬢は、帰ってはきません。それに……形川さんが犯人だという確固たる証拠もない」

「……っ」


 怒りと理性。

 そのせめぎ合いの果てにどちらが勝ったのか。

 奥歯を噛み締め、苦悶の表情を浮かべる彼は、数秒の葛藤の末、形川リナを吊り上げていた両の手から力を抜いた。

 ……内心で安堵の息を吐く。

 彼にまだ、理解が残っていた。

 この閉鎖状況下で、そこに殺人者が紛れている状況で最も恐れるべきは理性の消失だ。踏みとどまってくれた彼には感謝の言葉もなかった。


「くそっ!」


 突き飛ばすように形川さんから手を離し、楽田さんはひとつ舌打ちをすると、また室内を落ち着きなくグルグルと歩きはじめた。

 形川さんはよろよろと立ち上がり、倒れた椅子を立て直し、また席に戻った。

 鳥羽瀬さんと、三田さんが表情を変えないまま、しかしいつの間にか強張っていた全身の力を抜くのを感じた。


「とりあえず、そうですね」


 頃合いを見計らって――と言っても、この状況で頃合いもなにもないのだが――私は刑事としてこう告げることにした。


「先程まで、みなさんがどこでどうしていたのか、お聞かせ願えますか? 或いはそれが、事件解決のヒントになるやもしれませんから」


 最大限オブラートに包んだ言い方だったが。

 つまりそれは。


 ――お前たちのアリバイを聴かせろと、つまりはそういうことだった。


 不可能犯罪が起きたからといって、不可能犯罪者が犯人だとは、決まってはいないのだ。ミステリーなら、大逆転だって、ありえるのだから。


 ポーンと。

 食堂の時計が、午前一時を告げた。

 外はまだ、嵐のように荒れている。この館の住人達の、その心と同じように。

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