事情聴取~嵐の孤島にて~
◎◎
はじめに聴取を行ったのは、楽田さんからだった。
誰でもよかったというのはあるが、形川さんはあの調子で、他の二人は表面上落ち着いている。それならば、感情的になっている人間からの方が思わぬ話も聞けるだろうと踏んでのことだった。
「悲鳴が聞こえたとき、楽田さんはどちらに?」
私の問い掛けに、彼は、どうしてそんなことを訊くのか解らないという顔をした。
場所は変らずに食堂、面子に変動もない。
公開尋問のような形になるが、だからどうしたという話でもある。もしこの中に犯人がいたり、怪しい人物がいて
庇いたければ庇えばいい。
口裏を合わせたいのならば合わせればいい。
ただ、この時点でそれをやるなら必ず即興になる。
……っと、そんな推定無罪の原則はどこに行ったのかという思考にはほとほと嫌気がさすが、私は刑事なので結局尋ねるしかなかった。
「事件を理解するために必要なことなんです。教えてください」
「…………」
「お願いします」
「…………。自分は、部屋で寝ていたっす」
「それを証明できる方は……いえ、いないでしょうね。むしろいたとすれば、そちらのほうがおかしくなる」
「その通りっす。ただ、いつも自分はそのぐらいの時間には寝ているっすから、それは鳥羽瀬さんも三田さんも知っているはずっす」
確認を取るように二人を見遣ると、彼らは無言で頷いた。
私は首肯し、質問を変える。
「では、美鳥嬢に最後にお会いしたのは
「どういう意味っすか?」
どうもこうもない。そのままの意味だ。
現在、美鳥嬢(と思われる)肉片は存在する。
遺体はある。
だが、じゃあいつ殺されたのかと言えば皆目わからない。簡単に言えば死亡推定時刻がわからないのだ。
鑑識でも居れば、話は違ってくるのだろうが(あるいはアメリカが生んだ名探偵モンクとか)さすがに単なる刑事でしかない私には死亡時刻を一目で判定するスキルは無い。
肉片の変色が進んでいたこと、腐臭を感じたことなどを考慮するなら、殺されてすぐということはありえない。
人間を解体し、無数の卵に押し込めるという作業の、その労力と効率を考慮するなら、彼女が殺害されて発見されるまで、少なくとも一時間以上は経過しているはずだった。
だから、美鳥嬢の殺害時刻、その推定は現在より一時間以上前、少なくとも零時以前――昨日のことになる……はずである。
故に、美鳥嬢が最後に目撃された時間、それが重要だった。
「いつ彼女が殺されたのかを知るために、必要な情報なのです」
私がそう告げると、楽田さんは少し考え込むようにして、
「確か、夕食――19時以降に一度、お嬢様を自分はお見かけしたっす」
と、言った。
「それは具体的には
「我が巣籠館の食事は、朝食8時、昼食12時、夕食19時と決まっておりました」
私の後者の質問に答えたのは鳥羽瀬さんだった。
カイゼル髭を撫でる彼に、私は確認するように尋ねる。
「それは、間違いないことですか? いつも変わらずに? 分単位で正確に?」
「例外が皆無とはいえませんが、おおむねその通りでございます」
「…………」
鳥羽瀬さんから視線を切り、私は楽田さんに答えるよう促した。
「うっす。間違いないっす。夕食は19時っす」
「美鳥嬢を、その後に見たと?」
「っす」
「いつ、どこで?」
「20時過ぎごろっす。お部屋から出てくるのを見て挨拶をさせていただいたっす」
「なにか変わったところは?」
「や、えっと、特には……あっ」
「なにか?」
「いや、大したことじゃ……」
「教えてください」
「楽しそうだったっす」
「……?」
楽しそうだった……?
言葉の意味を判じかねて眉間にしわを寄せる私に対し、彼は至極真剣な表情でこう続ける。それは忠実な従者が主人について語るときの、敬意を
……或いは、
「今まで見たこともないぐらい、お嬢様は楽しそうにしてたっす。とっても浮かれた様子だったっす。たぶん、刑事さんに会えたのが、嬉しかったんすよ……」
「……美鳥嬢は、そんなにも私に執着を?」
「ずっと、会いたいって言ってたっす! その夢がかなった矢先に、こんなことに……くそっ!」
彼は左手で目頭を押さえ、右手で押さえきれない激情のまま壁を殴った。
私は、何とも言えない気分でそれを眺めていた。
◎◎
二人目に事情を聴いたのは、三田さんだった。
「悲鳴が聞こえたとき、私は明日の朝食の仕込みを厨房で行っておりました。これは鳥羽瀬も知っていることです。お嬢様を最後にお見かけしたのは8時45分29秒。お嬢様が湯あみを終え、自室にお戻りになられたのをお見送りしたときです。恐らく、楽田が見かけたのは浴場へと向かうお嬢様だったのかと」
「随分正確に時間を記憶されていますね?」
「時計を見る習慣がありますので」
掲げられたその左手には、小さめの腕時計がはまっている。
なるほどと頷き、もうひとつの疑問点を問う。
「見送りはしても、付き添いはしなかった?」
「お嬢様が先に行ってほしいと申されましたので、お着替えなどを持ちまして、準備をするため先行いたしました。普段から、このようなことが度々ありました」
クイリと眼鏡を押し上げて、彼女は冷静な表情で証言する。そこに、嘘があるようには見受けられない。或いは嘘を吐いていたとするならば、それはマインドセットが出来るレベルの精神力の
視線の動き、発汗量、指先の震え、言葉の選び方、回し方、どれも虚偽を口にしている人間のそれではない。
あまりに完璧すぎる冷静さだった。
……冷静過ぎるともいえた。
私は……ひとつ揺さぶりをかけることにする。
「美鳥嬢が殺された時間、三田さんはどちらにいましたか。いや、深い意味はありません。何か彼女の変化に気がついたりなど、しませんでしたか……?」
「…………」
ピクリと、彼女の右眉が跳ねた。
眼鏡越しに、目つきが鋭さを増す。
冷たい眼差しが、私を射抜くように見る。
敏感に、こちらの思惑を察したのだろう。まあ、察してもらわなければ困るわけだが。
「なぜ私が、お嬢様の亡くなられた時刻を知っていると?」
「ああ、これは失礼。まだ未確定でしたね」
彼女は凄んで見せたが、これでひとつ確定した。
この女性は、紅奈岐美鳥が死んだのだと確信している。
それはある意味で、宙ぶらりんとなっている事柄だ。死体が損壊されているが故に確定できないでいる物事だ。しかし三田理恵子は、間違いないと確信している。
美鳥嬢が――殺されたと考えている。
この女性が犯人であれ、或いはそうでないとしても、自殺などとは露の欠片も思っていない。それが解っただけ、充分な収穫だったといえた。
失言が多いですね、失敬。
そう咳払いして、質問を元に戻す。
「なにか、美鳥嬢に変わった点は?」
「……楽田が申しましたことと同じで御座います」
「楽しそうだった……と?」
私の態度が面白くないのだろう、先程までと違い露骨に迷惑そうな視線を向けながら、しかし彼女は首肯した。
なるほど、楽しそうだった、ね。
まだなにも解っていないくせに、私は解ったように内心でそう
「そういえば三田さん」
「はい、なんでしょうか、不躾な刑事様」
「……私たち、お風呂、一緒に入りましたよね。あれ、何時ぐらいでしたっけ」
「…………」
「重要なことです。三田さんの口からお聞かせください」
「お嬢様が湯あみを終えた後、使用人用の浴室で、ですので……21時は回っていたと思います」
「やけに曖昧ですね、先ほど時計を見る癖があると言ったばかりなのに」
「……刑事様とは一緒に確かに入浴しました。それでアリバイにはなるのでは?」
そのクールな表情が、わずかに苦々しく歪む。
見逃さない。付け入る。
「お風呂に入るのは、いつもあのぐらいの時間ですか。ええっと、使用人かねる客人用のお風呂を、いつも利用されているのですか?」
ちなみにその浴室だが、使用人兼用とかいっているのに私の家の風呂より数倍は大きい。
……いや、アパートのユニットバスと比べるなという話ではあるのだけれど。
そんな私の、持って回った言い方がよほど気に喰わないのか、三田さんはとうとう不快感を顔に出す。
いまにも舌打ちしそうな表情で私を睨みつけて、
「……ろくに毛の手入れもしていないような刑事様のくせに」
「――――ごふっ」
思わぬカウンターパンチに、
同性ゆえのきつい言葉。それまでとは打って変わった感情的な毒舌。
いや、違うんだ。
私も、忙しいだけで。
などと、思わず抗弁に回りそうになる自分を精一杯制御して、私は、その問いを発した。
「三田さん。あなたがお風呂に入るのって、どんなときですか? 一般的には、そうですね……一日の終わり。疲れを癒したいとき。そして――」
――汚れを落としたいとき。
「あなたは、あのときお風呂に入らなければならない理由があった……違いますか?」
渾身の推理。
これ以上ない直接的な物言い。
つまり私は彼女にこう問うたのだ。
あなたは私と会う直前に――紅奈岐美鳥を
私の、そんな名推理は。
刑事的な立場からの詰問は。
「いえ、いつもあの時間入浴しております。それは、浴室をのぞいていた楽田が一番よく知っています」
その言葉で、あっけなく崩れ去った。
同時に、別の意味で犯人がひとり見つかった。
「楽田さん」
「ち、違うっす! 自分は三田さんの裸が見たくて――」
狼狽も露わに、わたわたと弁明を続ける彼を、ポーカーフェイスがはがれおちた三田さんが、楽しそうに眺めている。
楽しそうに。
楽しそうに。
『今まで見たこともないぐらい、お嬢様は楽しそうにしてたっす。とっても浮かれた様子だったっす。たぶん、刑事さんに会えたのが、嬉しかったんすよ……』
ほんの数分前の会話が脳裏にリフレインする。
紅奈岐美鳥。
彼女は私に、いったいなにを見出し、なにを期待していたのだろうか。
彼女が死んだいま、それは完全な謎である――そのはずだった。
◎◎
「お嬢様が壬澄様にかけておりましたご期待は、自らの同類を見出すという、その一件でございます」
三人目の聴取で、執事の鳥羽瀬愁は、私が何かを問う前に、そんなことを切りだしてきた。
意表を突く先制攻撃に、思わず言葉が詰まる。
その隙に、彼の言葉が続く。
「お嬢様の境遇を、壬澄様は知って御座いますな?
そんな話を、私は知らない。
彼女が生まれたとき母親を殺し、物心ついた時に父親を殺したという話自体は知っている。そういう噂があることは聞きかじっている。
それが事実だとすれば、凄まじいまでの権力によって事実がねじ伏せられ隠蔽されているであろうことも理解できるが――それに不可能犯罪者が関わっている?
だから、同じように不可能犯罪に巻き込まれ、それを解決したことになっている私を、同類とみなしただと?
まさか、だからか?
だから嬉しそうだったと、そう言いたいのかこの執事は――?
形川リナをかくまったのも、突き詰めればそんな思いがあったからだとでもいうのか?
困惑を隠せず、私はかぶりを振りながら、鳥羽瀬さんに問いを投げる。
「私に……シンパシーを感じていたということですか?」
「シンパシー……いえ、もう少し砕けて言わせてもらいますれば、お友達になって欲しかったのだと、お嬢様は申しておりました」
友達?
傷を舐め合いたかったと?
それは、あまりに私が思い描く紅奈岐美鳥という人物からはかけ離れたイメージだった。
彼女との接点は少なく、話をした時間も24時間にすら満たない。だが。そのわずかな時間でも感じたことはあった。
あの女性はずっともっと、己の境遇すら愉悦に変えてしまうような、そんな魔性の魅力を孕んでいるものだと、私は思っていたのだ。
だから、鳥羽瀬さんの言葉は
「……まあ、それはいいでしょう。あまり、事件の本筋に絡んでくるようには思えません。それで、あなたは悲鳴が聞こえたとき、どこにいて何をしていましたか?それ以前に、美鳥嬢を目撃したことは?」
「悲鳴を聞きましたときは、書類の整理をお嬢様の書斎で行っておりました。それ以前には一度、三田のもとを訪ねております。明日の朝食の調整のためで御座います」
「なにか変更が?」
「いえ、昼からは一人分減りますので、その申しつけで御座います」
平然と放たれたその言葉に、未だに泣き崩れている形川さんの両肩が跳ねた。
……斬り捨てられることを知らなかったわけではないのだろうが、しかし実際に口に出されればどうやらショックではあるようだった。
「それは何時ごろです?」
「あなた方が入浴を終えたあと。つまり22時前でございます」
「美鳥嬢を最後に目撃されたのは?」
「夕食の席、そのあとで御座います。21時より以前、湯上りに先程の内容につきまして少しありました」
「…………」
……読めない。
嘘を吐いているという質感の言葉ではないが、丸っきりの正直者の言葉であるとも思えない。
個人的には、この壮年の執事に私は好感を抱いているが、それを排してしまえば怪しさというのは跳ね上がる。
三田さんに的外れな推理を吹っかけたのも、実をいえばこの人の反応が見たかったからだ。
だが、彼は同僚が疑われるなか一言も発せず、同時に眉ひとつ動かさなかった。
鳥羽瀬愁。
礼節を重んじる執事。
美鳥嬢に、この島で恐らく最も近しかった人物。
近しいと言うのは――それだけで犯罪の動機たり得る。
現状、容疑者筆頭は形川リナだが……しかしこの執事もまた、容疑者の要素を満たしていない訳ではなかった。
私を含むすべての登場人物が容疑者ではあるが――ぬきんでたものが、この執事にはある。
少なくとも私を見るその瞳には、他の全員にあったような心の揺らぎはない。楽田さんの激情も、三田さんの静かな怒りもない。
まったく以て、平静そのものだ。
それが、私に疑念を抱かせた。
だから、私は余計な一言を口にしていた。
とても余計な、一言を。
「鳥羽瀬さん」
「はい」
「美鳥嬢を殺した犯人が、憎いですか――?」
「…………」
彼は、にっこりと微笑み、こう答えた。
「お嬢様を害する人間は、殺してやりたいほど――憎う御座います」
◎◎
形川リナの取り調べは最後になった。
彼女はほとんどなにもしゃべらなかった。自分に有利になることも、不利になることも、あるひとつの物事を除いて、なにも口にしなかった。
モブ・サッカー事件についてすら彼女は口を
「独゙房゙の゙鍵゙ば開゙い゙でい゙だの゙よ゙。悲゙鳴゙が゙聞゙ごえ゙る゙数゙分゙前゙に゙、ガヂャ゙リ゙ど音゙がじで開゙い゙だの゙よ゙。誰゙が開゙げだがな゙ん゙で知゙ら゙な゙い゙げど、ヂャ゙ン゙ズだど思゙っ゙だ。だがら゙あ゙だじば、あ゙だじを゙も゙っ゙ど助゙げでぐれ゙っ゙で紅゙奈゙岐゙美゙鳥゙に゙頼゙む゙だめ゙に゙あ゙の゙部゙屋゙べ行゙っ゙で。ぞじで、ぞじで――」
そうして、あの惨状に出くわしたのだと言った。
それまでは、ずっとあの独房にいたのだと。それからは、ずっとこうやって監視されているのだと、彼女は泣き言のように繰り返した。
その奇妙な照り返しの瞳から、一切の涙を零さずに。
形川リナは、初めから最後まで、泣いてなどいなかった。
恐怖映画をプラットホームにして、世紀の大女優ミア・ファローの和製コピーとまで呼ばれた稀代の女優は、
女優のくせに、泣く真似もしなかったのだ。
◎◎
とかく、それ以上聞けることもなく、事情聴取は立ち消えるようにして終わりを告げた。
時刻は午前2時を回っていた。
事件の進展もなく、形川さんの部屋――あの独房の鍵を開けたのが誰かと言うのも定かにはならなかったけれど、とにかく聞けるだけのことは聞いた。
だから、一応の処置を取り、全員に自室で待機してもらうことにしたのだ。
そうして、全員に部屋に籠ってもらい――形川リナに関してはあの独房へ再び入ってもらうことにした。最たる容疑者なのだから仕方がない。
鳥羽瀬さんに立ち会ってもらい、こちら側に開いた鋼の扉の奥に彼女が消えるのを見届け――ほんの僅か、なにか嗅ぎ慣れた臭いが鼻腔をかすめ――その正体を確かめるまでもなく鉄扉は
その後、鍵は私が預かることになった。
自室に戻った私は、衛星通信機で上司にあらましを告げ、天候が回復しだい応援を寄越してもらえるよう懇願した。
正直、自分の手には余ると感じていたし、少なくとも科学捜査が無くてはこれ以上の進展はあり得ないと直感していたからだ。
部長である御手洗は、状況を重く見てか、彼独自のコネクションを用いて政府と自治体を動かし、米軍への救助要請を出すことまで検討してくれたらしかったが、それは丁重に辞退した。
不可能犯罪者がいる島への米軍救助派遣。もしそれで死人でも出た日には、国が傾く。それよりは、此処にいる全員が犯人によって惨殺され、事件が闇に葬られる方がよほどいい。
世界中で起こる不可能犯罪。それは時に国家間の信頼をも揺るがす。
マーダー・サーカス事件と同じだ。あれを経験しているからこそ、私はこの国の利益を最大限に考える。
まあ、それは刑事として当たり前のことだし、それに、これ以上犯罪を起こさせるつもりは毛頭ない。その程度の気概はある。
だから、私の当面の目的は、救助が来られるようになるまで――
そもそも、第二の事件とやらが起こる確率はそう高くないだろうと私は踏んでいた。
この事件は――紅奈岐美鳥の殺害こそが主眼なのだと、私の勘がそう告げていたからだ。
だから、そうだ。
言ってしまえばこのときの私は、油断していたのである。
事態があんなふうに転がるなんて、ちっとも予期してはいなかったのである。
そんな自分が、恨めしく腹立たしい。
何故って。
――それがなければ、あの若き犯罪王がこの事件にかかわることなど、なかったはずなのだから。
だが、いつだって私の思惑は成就しない。
予断に甘く、決意は実らず、後悔は先に立たない。
翌朝、形川リナの死体が発見された。
密室の独房の中で、彼女の肉体は見るも無残に分断・裁断され――壁に釘打ち機で
壁には黒ずんだ血文字で――まるで犯行声明のように――こう書かれていた。
『 ――Informal thing does not return.
Have you guys look at the fledging in silence !! 』
――砕けたものは戻らない。
おまえらは、黙って飛翔を見届けろ!!
事件が、大きな音を立てて動き出す――
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