第7話 解體屋衛門

「なんだこいつ!」

「止まれ!」

 ワゴン車から降りた若い衆達が、懐から銃を抜いた。

 しかしエモンは、銃に臆するさまは微塵もなく、大股で歩み寄っていく。

 滑るような、不思議な動きだ。大股で進んでいるのに、上下動がない。

 不思議と言えば、エモンは、銃を持ってきていなかった。先ほどまでは構えていたはずなのに、今は丸腰だ。両手をだらりと下げ、手元には、何もない。

「こいつ……?」

 若い衆達はとまどった。警告に答えず、解放軍の警備には見えず、だが、武器を持っているわけではない。

「何してるんだ! 撃て!」

 チャンは怒鳴った。正体が知れずとも、どちらにしろ、見られてはいけない、人払いした現場にいる不審者なのだ。

 チャンの声に、若い衆達はあわてて引き金を引いた。

 だが、弾丸はエモンに当たらない。

 あわてたから外したわけではなかった。こういう重要な現場に連れてくる者達だ。それなりの腕を見込まれている。

 先ほどまでと違い、ふらり、ふらりと蛇行するエモンを、捕らえられないのだ。いや、捕らえられないというよりも、まるで弾がすり抜けているように見える。

 これも古来より伝わる、避矢の術。体術の延長である。

 昔、銃弾の雨をよけてみせた合気道の達人が、「本物の弾に先駆けて、銃口から光の弾が飛んでくるので、それをよければいい」と言ったそうだ。

 相手の動きに合わせ、射線から体をかわす。早すぎても遅すぎてもだめだ。早すぎれば、相手は動きについてくる。遅すぎれば、かわし切れない。そのぎりぎりの刹那を見切るのだ。

 あせる相手に顔色一つ変えず、エモンは悠然と歩み寄る。何かがエモンの手元できらめいた。

 次の瞬間、なぜか銃がばらばらに解体した。

 まさしく「解体」。銃の手入れをするときのように、部品が外れていったのだ。

 エモンの手にはいつの間にか、クナイが握られている。

 ただそれは、普通の物とは違う。

 薄い。ものすごく薄い。向こうが透けて見えるようだ。

 炭素結晶から作られた、極薄の刃だ。あまりの薄さで、どんな物にでも刃が入っていく。ただ、横からの力には本当に弱い。正確に寸分の狂いなく真っ直ぐに、対象物に刃を入れないと折れてしまう。

 そしてもう一つ。この術の肝は、正確な「目」だ。

 見る方の目。そして、物質の目。物にはすべて、目があって、それを読んで刃を入れれば、抵抗なくきれいに切れる。

 身の回りで一番分かりやすいのは、木目だろう。金属部品にも、その目はある。

 そして、生物の体にも。

 それを読めば、魚の解体など、苦もないこと。力もいらず、勝手に身が割れていく。

 さらに言えば、人の体にも、あるのだ。

 そしてそのような目を読み取るエモンの目。ただ鍛錬によってだけではない。遺伝子からいじって強化されている。

 網膜には光を感じる錐体細胞と桿体細胞がある。色を感じる錐体細胞は人間では三種類だが、他の動物の中には四種類持つものがいて、人より幅広い波長の光を見ることができる。エモンはさらに強化された五種類の錐体細胞で、赤外線から紫外線までの色覚を持つ。明暗を感じる桿体細胞も強化され、その結果、暗闇も苦にせず、細かい物も見落とさない視覚を得ていた。

 それはひとえに家業のため。歴史の陰に潜み、国のために諜報活動に従事してきたその果てに、自らの身体にも手を入れた。だがそれは、エモンが望んだことではなかった。生まれる前の胚に手を加えられ、目的に沿うよう作られたのだ。

 同じように目的があって作られた獣子の少女を連れ帰ったのは、ただ、自分の料理を食べさせるためだけではなかった。

 エモンはさらに歩み寄る。真っ直ぐに。モモに向かって。

 それを追おうとした若い衆が、突然、びくりとはねると、糸が切れたように、がくんと崩れ落ちた。

 一人、また一人。

 チャンも急に表情を失い、倒れ込む。

 ボスを守ろうと車から出た運転手も、リンの前に立ったとたん、体の力を失った。

 リン・モウルエはあわてた。自分の命が狙われることがあるのは分かっていた。表の顔でも、裏の顔でも、彼を追い落とそうとするライバルや、命を狙う敵は大勢いる。

 だが、ここは解放軍の施設。そして、自分はそちらのルートは掌握していた。だから大丈夫だろうと、人払いをした。待ちかねていたお楽しみに、警備を連れてくるのもやめた。それが裏目に出た。

 情報を流出させたルートを洗い出さなくてはいけないが、それは生きて帰れればの話。不審者が、プロだというのは疑いようがない。そして、自分を狙っているのも、疑いようがない。

 まずは逃げなくては。この男から離れなくては。

 そう考えて、近づくエモンから離れようとしたが。

 判断を誤らせた色欲は、やはりこの時も生きていた。せっかく手に入れた性奴隷は、リンにとっては、疑いようもなく、連れて行かなければならないものだった。モモを連れて逃げ出そうと、その手を引く。

 だが、モモは行きたくはなかった。何が起きているのか分からず、とまどうばかりだったけれど、この男は、自分と同じような子を五人も殺したとうわさされていた。そこにだけは行きたくなかった。

 運命にあらがうように、ぐっと踏ん張った。

「こいつっ」

 リンはモモの頭を殴りつける。モモの抵抗は弱まったが、その間に、エモンがすぐそばまで迫っていた。

 リンの腕に一瞬、鋭い痛みが疾った。

「あつっ」

 熱さとも取れる、瞬間の痛み。

 思わず手を放した隙に、エモンの手が伸び、モモを奪い取られる。

 モモはこちらにもとまどっていた。助かったと言っていいのだろうか。目の前のエモンは、軍装をし、相手を倒してみせた、疑いようのないその世界の人間だった。モモが近づくのをためらった、あの殺すことに慣れた者が持つ、そんな臭いをさせている。

 エモンの引く手にも、つい踏ん張ってしまう。

 その隙に、リンは後ろの車に飛び込んでいた。ハンドルを握りアクセルを踏み、車を急発進させる。

 エモンは銃を持っていない。逃げ切れたかに思えた。

「くそ、なんだ奴は! どうしてここが分かった! 絶対許さんぞ、内通者も調べて……」

 悪態をつき、倉庫の角を曲がろうと、急ハンドルを切ろうとした、その時。

 手首から先が、離れた。

 文字通り、離れたのだ。ハンドルを握る手は、手首のところで切断されている。ハンドルを切ろうとした腕だけが動き、手とハンドルは、そのままだ。

 表面を極限まで平らに磨いた金属同士を密着させると、接着剤を使ったわけでもないのに離れなくなる。それと同じだ。あまりに鋭利で、あまりに正確に切られた断面は、まるで切られたことさえ気がつかないかのように、密着したままになる。

 しかし生体では、強い力が加わると、切断面がゆがむ。そうすると、間に空気が入り、離れてしまう。

 リンはエモンに、すでに斬られていたのだ。

「うわ、あ、あ!」

 慌ててハンドルを切ろうともう一度腕を動かしても、そもそも前腕で分断されている。筋肉を断ち切られ、緩んだ両手が、ぼとりとハンドルから落ちるのを見つめるだけだった。

 やはり行き先のログを残さぬように、違法に自動運転が切られていた車は、ブレーキもかからず、真っ直ぐコンテナに激突した。

「まったく無茶をするよ、エモンは! 計画が台無しじゃないか!」

 アキ達が現場へ駆けつけた。エモンはそれにけろりとうそぶく。

「計画通りだろ。ターゲットを捕獲した。問題あるか?」

「こんな派手にやるつもりじゃなかったろ。コレシゲ、準備はできてる?」

「はいよ、姐さん」

 コレシゲはクーラーバッグのような物を担いでいた。それをごとりと地面に置く。

「頼んだよエモン」

「分かってる」

 エモンは衝突した車に近づく。鍵がかかっていても関係ない。それも解体できるからだ。ドアを難なく開けると、エアバッグに埋もれ、失神しているリンを確認。首元へ薄刃のクナイを突き立てる。

 魚の生け締めと同じだ。延髄を断つ。一瞬びくんとけいれんして、絶命した。

 先ほどの倒れた男達も、よく見ると、首元にクナイが刺さっている。一瞬にして、頚椎の隙間から、延髄を断ったのだ。

 さらにエモンは、頭頂部に刃を当てた。人の頭蓋骨は一枚の骨ではなく、二十八個の骨からできている。頭の部分も何枚もの骨が接合しているのだ。

 エモンはその接合部に刃を入れて、頭を割った。あっさりと切り開き、脳をむき出しにする。

 本当に、魚をさばくように。

 逆に言えば、魚をさばくときも、本番のように。

 モモが、刺身を引いているときに異様な雰囲気を嗅ぎつけたのは、そういうことだった。

「コレシゲ」

「あいよ」

 コレシゲが、クーラーボックスを差し出した。エモンは手早く脳を取り出し、そこへ入れた。

 中は単なるクーラーボックスではなく、容器と、周りにいくつかの機械が詰まっていた。容器には液体が入っていて、そこにちょうど脳が収まるようになっている。アキが中をのぞいて確認する。

「うん。きれいな脳だ。浮腫も何もない。脳が生きてる間に、記憶を取り出すよ。急いで、コレシゲ」

「了解」

 コレシゲはクーラーボックスを閉め、先に引き上げる。ここから先が、彼の専門だ。脳だけ生かしておけば、電気刺激を与え、記憶を引き出すことができる。

 リンは日本侵略工作の重要人物。彼の国が、三戦のために日本国内に作り上げた、そのネットワークを知っている。

 だからこそ、捕らえられたときのための処置もされている。それを無効にするために、こういう策をとったのだ。

「うまく記憶を取り出せれば、内地にもぐりこんだ工作員をあぶりだせる。ここは、それにやられたからね。過ちは繰り返さない」

 アキが硬い声でつぶやいた。

「警備が異常に気がつくまでに、引き上げるよ。幸いエモンの解体術は、血痕の類をほとんど残さない。車に遺体を積み込むんだ。。事故が起きるのは、別の場所だ」

 アキの指示に、タカラとコレシゲはうなずき、作業に取り掛かる。自動運転車は、内臓のコンピューターを乗っ取れば、外部から運転できる。人目をしのぶ車なので、外から中をのぞけない仕様なのも利点だ。

 コンテナに衝突したリンの車も、損傷はそうひどくない。失神したのは、衝撃よりも失血の影響が大きい。車をここから運び出すのは容易だ。ただ、中で処置したので、唯一ここには血が飛び散った跡がある。その後処理は必要だ。

「遺体はばらして、魚の餌にでもするかね」

 脳を抜かれたリンの遺体を眺めて、アキはつぶやいた。エモンがきれいにさばいたので、元通りにくっつけることができている。まるでただ、眠っているかのようだ。だが、解剖されれば異常に気づかれるだろうから、この遺体は残せない。他は事故に見せかけ、燃やしてしまうつもりだった。

 これが人道にもとる行為であることは、十分承知。そんな奇麗事ではすまない戦いを、仕掛けられているのだ。

 モモは、この事態を、取り残されたように声もなく見つめていた。

 そこにアキが振り向く。モモはどきりとした。

「同じ側……か」

 アキはじっと、モモを見つめる。モモは緊張のあまり、身がすくむ思いだった。目の前の人達は、あの解體屋での気さくな感じはまったくなかった。

 殺すことに慣れた者が持つ、乾いた雰囲気。人をどこか物として見ているような、冷めた視線。モモが育った人身売買組織の人間と、同じ臭いがしていた。

 アキの目に、自分が人として映っているのか、モモには自信がなかった。

「確かにそうだね。あんたも望まなかった運命しか、用意されてない」

 モモは生き方を選べなかった。今日この日のためにだけ、育てられてきた。

 エモンも生き方を選べなかった。時代錯誤と言われようが、家のしきたりに縛られていた。

 アキも生き方を選べなかった。解放軍が家の扉をたたいたあの日、望まぬ運命が決まった。

「知られちゃったからには、見逃すわけにはいかないんだ。見たとおり、私達も裏社会の人間だ。これを表沙汰にすることはできない。あんたの口を封じなくちゃいけない」

 絶対しゃべったりしません、とモモは訴えたかった。

 だが、視線の鋭さにすくんだまま、できなかった。

 アキの視線は、モモの心の奥底まで品定めをするように、鋭く貫いてきた。

「どちらもつらいけれど、選ばせてあげる。ここで死ぬか……」

 それはいやだった。

 自分の生まれてきた意味なんか知らない。生まれてきた喜びもろくに知らない。

 でも、死んでしまうのは、いやだ。

 ここでアキの表情が、ふっと緩んだ。


「もしくは、エモンの毒料理を食べ続けて死ぬかだ」


「毒料理とはなんだ!」

 ちょうどそばを通りかかったエモンが、小声で抗議の声を上げた。


 テロと内乱の時代を迎え、混乱と再編の果てに残ったもの。

 再編された中華連邦共和国、沖縄国連自治区と、そして孤立し民族主義を強めた日本。

 環境問題は解決することなくむしろ悪化し、法の統治は弱まり、暴力、恫喝、金や地位、権力に群がる腐敗など、むき出しの力が横行する世界。

 その中で小さく弱い命は、翻弄され、人知れず露と消えていく。

 それは小さな出会いだった。

 求める人と、求められる人の、小さく幸せな出会い。


「エモン、これ、おいしくない……」

 目の前に出された料理を箸でついばみながら、モモは悲しそうにつぶやいた。

「なんだと! どこがうまくないって言うんだ! ちゃんとできてるだろ!」

 エモンはカウンター越しにしかりつける。

「だって……」

「ちっ、最初はおとなしく食べてたのに、最近舌が肥えやがったのか、生意気になってきたな。見所あると思って連れてきたのに……」

 自分専用の、何でも食べる人間を得られたと思っていたのに、当てが外れはじめて、エモンはぼやいた。

 だが、おいしくないと不満を述べても、モモはちゃんと残さず食べた。この辺は、ある意味しつけ(?)が行き届いていた。きちんと餌を食べなければ、健康には育たないからだ。

 それを見届けたエモンは、あごに手をやり少し考えると、言葉を継いだ。

「じゃあ、刺身でも引いてやるか。何がいい?」

「マグロ! トロ!」

 聞いた瞬間、モモはぴょこんと耳を立ち上げ、はいっと真っ直ぐ手を上げる。解體屋に来て以来、ちょくちょく刺身を食べる機会があるのだが、この間マグロを食べてから、モモはすっかりはまってしまったようだ。

「仕方ねえなあ。マグロね、マグロ……。今朝、大間のホンマグロの養殖物が入ってたな……」

「仕方ないじゃないよ! そんな特上のマグロをぽんぽん下ろしてたら、赤字だろ!」

 アキの悲鳴じみた声が店に響く。

「まあまあ、姐さん。経費で落ちるわけだし」

「そうそう、マグロ、マグロ」

 周りもすっかり、お相伴に預かる構え。

「何の経費につけるんだよ、まったく……」

 エモンはそんなアキのぼやきはどこ吹く風で、マグロを冷蔵庫から取り出した。カツオと違い、さすがに大き過ぎて丸では仕入れられない。ブロックに切り分けられている。

 脂の乗りがいいのは、チラッと見ただけでも分かる。その断面はきらきらと輝いてさえ見える。

 ちなみにこれは、輸入業者から頼まれて、エモンがさばいたものだった。腕を見込まれて、時々そういう依頼が入る。

 うきうきとした様子を隠せず、モモがその脇から覗き込む。

 エモンはマグロの身に、すっと刃を当てた。いとも簡単に、その身が割れていく。その新鮮な赤色に、モモの瞳はいっそう輝きを増した。

「ふわあああ!」

 思わず声を上げてしまうほど。尻尾もぶんぶん揺れている。

 望まず身につけた解体の技術。ただ解体していくだけなら、人生はむなしい。

 だが、それがこうして喜びを生み出すのであれば、そう悪くはないと、エモンは思うのだった。

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解體屋衛門と犬耳の少女 かわせひろし @kawasehiroshi

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