6.部活

 授業終了のチャイムが鳴ると、トモミは真っ直ぐ更衣室に向かった。今日は部活が出来る日だ。何よりも楽しみにしていた。少しでもじっとしてはいられない。


 普段、生徒たちには授業が終わった後に一定の訓練が義務付けられている。仮想空間の外での肉体鍛錬、シミュレーション区画でのギフト能力訓練。サボる生徒も中にはいるようだが、生き残るためには必須のものだ。ほとんどの者が自主的におこなっている。

 そんな中、週に二日だけは生徒が自由に行動することが許可されている。自己啓発と呼ばれており、大多数の生徒がそこを部活動の日として設定していた。


 新星学園には運動部を中心に沢山の部活がある。トモミが所属しているのは、サッカー部だ。トモミのギフト能力が精密蹴激カタパルトショットであることも関係している。トモミはサッカーが大好きだった。

 運動用のジャージに着替えて校庭に出ると、もう後輩たちが待っていた。女子サッカーは部活動の中でも人気がある。これだけの人数なら、ゲーム形式のフットサルが可能だろう。


「みんな、今日も元気に行こう!」


 トモミは明るくメンバーに声をかけた。

 だが、後輩たちの反応は今一つだった。二年生が暗い顔をしてうつむいている。こんな時には、副キャプテンのラウラが発破をかけてくれるのが常だった。


 ぐるり、とトモミはメンバーを見渡した。ラウラの姿が無い。そうか。トモミはその時になって、ようやく思い至った。


「トモミ先輩」


 二年生が一人、トモミの前に歩み出てきた。その眼は、泣き腫らして真っ赤だった。


「ラウラが、昨日の作戦で死にました」


 そのまま、また涙をこぼす。つらいことを言わせてしまった。トモミは優しくその二年生の頭に掌を置くと。


「うん。ごめんね」


 目を閉じて、明るくて元気いっぱいだったラウラのことをしのんだ。


 ラウラは、トモミの親友だった。トモミと一緒にボールを追いかけて、暗くなるまで部活に、サッカーにいそしんだ仲間だった。日焼けした肌に、もじゃもじゃの金髪。男の子みたいに笑って、いつも部員たちの中心になってくれていた。


 また一人、仲間がいなくなった。これが初めてではない。ただ、いなくなったのが副キャプテンで、チームのムードメーカーだった、ということは大きかった。

 トモミは、きっ、と顔を上げると。


「よし、じゃあ今日の練習、始めるよ」


 後輩たちがざわめいた。


「先輩、でも、ラウラが」

「ラウラは死んでしまった。あたしたちは、ラウラの分までサッカーをするんだ。もうサッカーがやりたくても出来ない、ラウラのために」


 そうするしかない。それしか出来ない。

 今までもそうだった。そして、これからもそうだ。もしトモミが同じように死んだなら、残された部員たちにもそうしてほしい。


 トモミはサッカーが好きだ。トモミが居なくなっても、サッカーには残っていてほしい。

 戦争なんて嫌いだ。エネミーなんて嫌いだ。

 トモミには、サッカーがあればいい。


(そうだよね、ラウラ)


 知らない間に、トモミの目から涙があふれていた。




 トモミがサッカーを始めたのは、中学に入ったときだった。自分の能力、精密蹴激カタパルトショットの訓練にもなるということで、半ば義務的な気持ちだった。


「よう、お前も蹴り技なんだって?」


 その時の中等部の女子サッカーのキャプテンは、アンリという三年生だった。真っ白い肌に細い手足、とても運動選手には見えない。だが、挑戦的な碧眼がとても印象に残る少女だった。


「訓練とかそういうのはいいよ。楽しもうぜ、サッカーをさ」


 アンリはそう言ってトモミを歓迎してくれた。


 体格が大きいトモミは、力なら誰にも負ける気はしていなかった。だが、サッカーの技術となると、アンリにはまるで歯が立たなかった。ボールキープ、コントロール、キックの精密さ。全てにおいて、アンリはレベルが違っていた。


 アンリとグラウンドを走っているうちに、トモミはサッカーが好きになって来た。ボールを追いかけて、足元に留めて、相手のゴールにシュートする。個人の技術と、チームの技術があって、どちらも奥が深い。気が付けば、トモミはサッカーの虜になっていた。



「トモミは、自分の将来って考えたことあるか?」


 中学の卒業が迫ったある日、アンリがトモミに訊いてきた。将来。それは夢があるようで、現実には何もない虚しい言葉だ。


 ギフト能力者たちの未来に、大した選択肢は存在しない。高校に入れば、人類軍としての戦いの日々が待っている。

 高校三年間を生き延びて卒業した後、その先はそこまでの成績によって決定される。


 戦闘能力が高いと認められれば、ギフト能力を失っても、仮想空間上でのシミュレート環境で戦闘教官を務めることが出来る。

 学校での成績が良ければ、より専門的な研究に従事することも可能だが、この道はだいぶ難しい。なにしろ、勉強だけが出来るような人間は、高校の三年間を生き延びられる確率が低いからだ。

 サポートの貢献度が高いと認められれば、仮想空間に残って様々な職業に就くことも可能になる。ただ、この求人倍率は非常に高い。なりたいからといって誰でも仮想空間に残り、好きな職業に就けるわけでない。


 最も競争率の低い進路は、現実世界での軍属となることだ。

 直接戦闘要員でなくても、人材は常に必要とされている。ギフト能力者の装備、トランスポーター、人類の生きるコロニー設備。維持管理を必要とするものはいくらでもある。

 前線で戦うことを終えても、人類が生きるための戦争はいつまでも続いている。


「あたしは、そういうの難しくて、考えたことないです」


 実際、トモミにはよくわからなかった。

 エネミーとの戦争。トモミが生まれる前から続いている殺し合い。人類はそのために、トモミたちの持つギフト能力を必要としている。

 ギフトを失った後、戦う力を無くしたら、トモミはどうすればいいのだろう。戦争が続いている中、トモミに出来るようなことは恐らく何もない。

 トモミはただ。


「サッカー、やりたいよな」


 アンリの言葉に、トモミは目を見開いた。


「昔、戦争していないころはさ、プロサッカーって言って、サッカーをすることが仕事に出来たらしいんだ」


 サッカーが、仕事になる。考えたことも無い、夢のような話だった。

 アンリは楽しそうに話してくれた。伝説的な人気のある女子サッカーのチームがあって、「なでしこジャパン」と呼ばれていたらしい。なでしこ、は花の名前。ジャパン、はここにあった国の名前だそうだ。


「戦争が終わったら、プロサッカーをやろうぜ。一緒になでしこジャパンを作るんだ」


 目をキラキラさせながら、アンリは語った。誰もが今日明日を生きようとしている中で、アンリの言葉には夢があった。トモミも、アンリと同じ夢を見たい、叶えたいと思った。



 高校に入って最初の出撃で、アンリは死亡した。高校の部活動には、一度も参加することが出来なかった。



 アンリの訃報を聞いて、トモミは激しく泣いた。悲しんだ。

 何故アンリが死ななければならないのか、まるで判らなかった。アンリは戦争なんて望んでいなかった。殺し合いなんてしたがっていなかった。


 ただ、サッカーが好きだっただけだ。


 戦争なんて嫌いだ。殺し合いなんて嫌いだ。

 トモミは、アンリの遺志を継いで、サッカーを続けた。いつか、必ずなでしこジャパンを作る。大切な、アンリとの約束だった。




 高校に入って、トモミは迷うことなくサッカー部に入部した。女子部員は、数えるほどしかいなかった。

 アンリが入学した年にはエネミーからの急激な侵攻があり、部活を開始する余裕すら得られなかった。アンリには出来なかった、高校でのサッカー部だ。

 トモミは部活動には欠かさず参加した。


 そして、戦闘が始まった。

 中学までは、訓練と人類の生存区、コロニーの防衛が主任務だ。高校では、地上でエネミーと直接戦闘をおこなうことになる。初めての出撃、上級生のサポートを受けながらではあるが、この初陣での死傷者率は年間を通じて断トツの高さを誇った。


 目の前で、次から次へと同級生たちが死んでいく。臆病なトモミは、能力の特性もあって、後方からその様子をただ茫然と見つめていた。


「救援に行く。前に送ってくれ」


 そう言ってくる生徒を、トモミは精密蹴激カタパルトショットで前線に送り込む。その生徒が、エネミーの攻撃の前に為す術なく蹂躙され、致命傷を負い、叩き潰される。そしてまた次の生徒が、トモミに前線に送るよう声をかけてくる。


 自分は何をしているのだろうか。トモミは恐ろしくなってきた。友人を、クラスメイトを、先輩を。次から次へと、エネミーの中に放り込んでいく。

 そして、みんな死んでいく。トモミによって送られた先で、人間であったかどうかも判らない姿にされて。


 その後、何がどうなったのかは覚えていない。気が付いたら、トモミはトランスポーターに載せられていた。同乗していた先輩が、「よくやった」と声をかけてきた。


 何を「よくやった」というのだろうか。


 仲間を殺したようなものだ。トモミは、その足で地獄の底に無数の生徒たちを蹴り落としたのだ。恐ろしくなって、その日は一睡も出来なかった。



 一夜が明けても、トモミの身体から震えは取れなかった。初陣の翌日は、余程の事態でない限り一年生には出撃はかからない。校庭で、トモミは独りサッカーボールを前にした。

 ボールを蹴る。その感触が、仲間を前線に蹴り飛ばした時と重なる。吐き気が込み上げてくる。つらくなって、トモミはその場に膝をついた。


 この足は、ボールを蹴るためにある。サッカーをするためにある。

 仲間を、友達を死なせるためにあるんじゃない。


 戦争が続く限り、トモミは精密蹴激カタパルトショットを用いて参加しなければならない。ここで、学校でサッカーを続けたいのなら、戦闘への参加義務がある。次の戦闘で、トモミはまた、誰かを死に追いやるためにその背中を蹴る。


「アンリ、あたし、もういやだよ」


 こんな残酷な現実があると知っていたら、アンリはあんな夢を語っただろうか。

 あるいは、アンリもまた初陣の最中さなか、自分の夢の浅はかさに絶望したのだろうか。


 校庭の真ん中で泣いているトモミを、サッカー部の先輩たちが慰めてくれた。同じ苦しみを持つ仲間たちが、トモミの話を聞いてくれた。


 友人を、恋人を。サポートという名で死地へと送り込む能力を持つ仲間。

 誰もトモミを責めてなどいない。トモミはやるべきことをやった。

 そう言われても、トモミの心は晴れなかった。自分を許せなかった。後ろにいて、ただ人を死に追いやるだけの自分が。



「なら、あなた自身の力でこの戦争を終わらせてみなさい」


 そんな中で出会ったのが、サチカだった。

 前を向いていると見失ってしまいそうなくらい小柄な金髪の少女は、ふんぞり返るほどに胸を張って語った。


「プロサッカーチームを作るんでしょう?少なくとも今の人類には無理なことよ。戦争を終わらせないと」


 真っ青なアイスブルーの瞳は、少しも揺らいでいない。ふざけているわけでも、からかっているわけでもない。

 サチカは本気だった。


「この戦争を終わらせるのに、あなたの力が必要なの。殺すためじゃない、明日を生きるために、あなたの力を使って」


 殺すためじゃない。

 サチカのその言葉が、トモミの胸に刺さった。前線に向かう生徒は、死にに行ったんじゃない。


 明日を信じていた。みんなが生きている明日があると。

 戦いの先に、きっと明るい未来が待っていると、信じていたんだ。




 サッカー部の女子部員は、少しずつ増えていった。ボールを追いかけるトモミの姿を見て、それに感化される生徒たちが多かった。戦うだけじゃない。高校にいる間に、出来ることは沢山ある。


 サッカー部内で、特殊な能力を持つ者同士、悩みを分かち合えるようにもなった。


 みんな苦しんでいた。

 好きな相手をエネミーの前に送り出さなければならない者。

 親しい友人をおとりとして使わなければいけない者。

 正しいなんて言えない。ただ、信じるしかない。今はそうやって、明日につなげていくことが出来る、と。


 トモミ自身、まだ自分のやっていることが納得出来ているわけではなかった。仲間を蹴るとき、その先に待つ運命を想像して胸が苦しくなることもあった。


「信じなさい。あなたに跳ばされる人も、あなたを信じているのだから」


 サチカはそう断言した。

 実際、今の班に入ったとき、班長のマキトはトモミにこんな言葉をかけてくれた。


「トモミのことは信頼している。そうでなければ任せられないし、戦えない」


 明日があると、信じている。みんなで信じているから、トモミは安心して仲間をエネミーに向かって跳ばすことが出来る。



 シュート練習が続いている。部員たちが流れるようにボールを蹴って、ゴールに入れていく。ナイッシュー。掛け声が上がる。


 やっぱりサッカーは楽しい。みんなでこうして練習しているときが、トモミは一番好きだ。戦争なんて嫌い。そんなもの、あっても良いことなんて何もない。


 アンリのことを、ラウラのことを。

 他の、死んでいったサッカー部員たちのことを思い出す。


 みんなサッカーが好きだった。サッカーでつながった仲間たちだった。明日もここでサッカーが出来るって、信じていた。


 トモミも、サッカーが好きだ。明日も、その次の日も、サッカーが出来るのが嬉しい。

 時間も何も気にしないで、毎日サッカーをしていたい。仲間と一緒に、ボールを追いかけて、ゴールにシュートして。

 やった、って、喜びを分かち合いたい。


 そんな明日が、未来が欲しい。



 校庭にサイレンが鳴り響いた。警報だ。

 こんな時間に召集がかかるのは珍しい。


「練習中止ー!」


 手を振って部員たちを止める。

 止めたくなんてない。ここで、また明日全員が揃う保証なんて、誰にも出来ない。


 でも、信じている。


 明日は、必ずあるって。

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