4.能力

 血の匂いがする。肌にまとわりつき、むせ返るような重い空気。左手を軽く払って、ミキヤは深く息を吐いた。

 目の前には、切り刻まれたエネミーの死体が転がっている。今日は三つ。たったそれだけ。情けない戦果だ。


「なあ、ヨシキ?」


 ミキヤは背後に向かって声をかけた。

 ミキヤの後ろでは、ヨシキが瓦礫の上に腰かけて、じっとミキヤのことを眺めていた。いざとなれば重力隔壁グラビティウォールでサポートをする算段でいたのだろう。だが、ミキヤが戦闘でヘマをすることなど、まず無い。

 エネミーと切り結ぶだけであるなら、ミキヤ一人で全て事足りる。むしろ、手を出されてしまっては困るくらいだ。そこに座っているのは援護でも何でもない、ヨシキの趣味のようなものだと、ミキヤはそう捉えていた。


「オレは、あとどれだけ殺せばいいのかね?」

「さあなあ」


 ヨシキは目を細めると、天を仰いだ。その日はどんよりとした曇り空だった。もうしばらくすれば、雨が降り出すかもしれない。


「ミキヤは、まだ足りないんだろう?」


 愚問だ。ミキヤはニヤリ、と笑った。

 この程度で足りるはずがない。この気持ちの悪いエネミーたちは、後から後から沸いてくる。頭を出してくるなら、その首を跳ね飛ばすまで。殺す。殺し続ける。


 今、ミキヤがこうしてエネミーを殺すことが出来るのは、高校にいる間だけ。ギフト能力が使える限りだ。そう考えれば、まだまだ全然足りない。


 いっそのこと、殺し尽くしてしまえれば良い。

 伝説の英雄、タクトでも成し得なかったドラゴン討伐。

 殺し続ければ、いつかはそこまで辿り着けるだろうか。


 それこそ愚問だ。ミキヤは自嘲した。己を過信しても、良いことなど何もない。

 今のミキヤに必要なことは、まずは、生きること。


 そして、命ある限り殺すこと、だ。




 格技棟に入ると、マキトとサチカの頭の中に警告音声が鳴り響いた。


「警告、ギフト能力シミュレート区画に入りました」


 仮想空間の中は、原則としてギフト能力は使用出来ない。この仮想の街はあくまで、普通の人間の生活をシミュレートしている。そこで暮らす人間が、人間らしさを失わないことを目的としているからだ。

 だが、学校内の訓練施設だけは特別だ。自身のギフト能力を正しく理解し、使いこなせるようになるためには、日々の鍛錬が求められる。格技棟を含めたいくつかの施設では、仮想空間上であっても各人のギフト能力が発動するように設定されていた。


 予想した通り、ミキヤは訓練用の道場にいた。戦闘や訓練の無い放課後は、ほぼ毎日のようにここにいて、自主トレーニングに明け暮れている。ミキヤの中には、エネミーを倒すという思考以外、何も無いかのようだった。


「よぉ、班長さんに副班長さん、お揃いで何の御用で?」


 二人の姿を見つけると、ミキヤはニヤリ、と笑ってみせた。相変わらず何を考えているのか判らない。マキトはふぅ、と息を吐いてから話し始めた。


「ミキヤ、昨日の戦闘のことだ。ミキヤの戦闘能力が高いことは認めるが、指揮官は班長である俺だ。指示が無いままに勝手に動かれてしまっては、作戦全体に影響が出る」


 けっ、とミキヤは悪態をついた。


「ほう、じゃあ何か、昨日班長さんが頭を吹っ飛ばされかけたのは、オレのせいだとでも?」

「そうは言っていない」


 サチカがぴくん、と眉間にしわを寄せた。マキトがあそこで集中力を欠いていたのは、ミキヤの動向に意識を取られていたためだ。何故それを言ってしまわないのかと、サチカは内心いらだった。


「ミキヤ、お前の能力を班のために生かしてほしいんだ。ミキヤが作戦に従ってくれれば、班員全員の生存率も上がる」

「班には貢献しているぜ。撃破のスコアも低くはねぇはずだ。オレは遊撃で狩る。殺す。そういうやり方だって、班長さんも良く判っているだろう?」


 確かに、個人成績ではミキヤの右に出るものはいない。昨日の戦闘で無理にミキヤを引き留めなかったのも、ミキヤなら大丈夫だという見込みがあったからだ。

 しかし、いつまでもこのままではいられない。卒業までのあと一年。それを確実に生き抜くためには、しっかりと班員たちをまとめ上げておく必要がある。

 マキトは、もう班員の誰かが死ぬことはどうしても避けたかった。


「頼む。ヨシキがいなくなった今、俺たちはもっとしっかりと団結するべきだと思うんだ」


 ぎろり、とミキヤはマキトを睨みつけた。ヨシキの名前を聞いた途端、ミキヤを包む雰囲気が一変した。


「なら、力ずくででも言うことを聞かせてみるんだな」


 ミキヤの左手を覆うように、エネルギーの長剣ソードが姿を現した。触れるもの全てを両断する、直接攻撃ギフト能力「切裂く左スラッシュレフト」。マキト同様射程にやや難はあるが、ミキヤの撃破数を支えている強力な能力だ。


 それを見て、マキトの右手にもエネルギーのランスが出現した。全てを貫き通す槍、「貫く右パイルライト」。もとより大人しく説得に応じてくれる相手だとは思っていない。予想はしていたが、厄介なことだった。


「マキト、自分が不利だって、判ってるわよね?」


 サチカは腕を組んで、道場の壁に寄り掛かった。男子というのは本当に面倒な生き物だ。理屈一つ通すのにわざわざマウントしてみせる必要がある。ふっかけてくるミキヤもミキヤだし、それを受けるマキトの方も大概だ。サチカはあきれ返ってため息をついた。


「判ってる」


 マキトは槍を正眼に構えた。

 貫く右パイルライト切裂く左スラッシュレフトの射程は、ほぼ互角。攻撃方式が突きということで、若干マキトの方がリーチは長い。

 だが、マキトの攻撃形態は打突だ。攻撃範囲が「点」になる。対して、斬撃を放つミキヤの方は「線」の攻撃を繰り出してくる。攻撃範囲に圧倒的な差がある。ほんの少しのリーチを生かし、確実にミキヤの急所を突いて倒さねば。


 ミキヤは一瞬でマキトの懐に入り込み、即座に切り捨ててしまうだろう。


「さて、どうするよ?」


 不敵な笑みを浮かべて、ミキヤは剣先をマキトの方に向けてきた。隙が無い。マキトがどう踏み込んでも、初撃はかわされ、ミキヤの鋭い一撃が放たれる。

 真正面から向き合っての戦いとなると、マキトには圧倒的に不利だった。奇襲か、あるいは何か、ミキヤの注意をそらすことが出来れば。


「にらめっこしてても始まらないぜ」


 ミキヤが踏み込んできた。その胴体めがけて、マキトは突きを放った。真正面ではない。ミキヤは必ずフェイントをかけてくるはずだ。

 貫く右パイルライトがミキヤの身体をかすった。次の瞬間、切裂く左スレッシュレフトの斬撃がマキトを襲う。突きの軌道がわずかにミキヤの予想と違ったからか、ぎりぎりのところで攻撃はマキトの身体には触れなかった。


 攻撃が不発に終わったと察すると、ミキヤは素早く飛び退いた。連続で切りかかられていれば、マキトは危ないところだったかもしれない。

 だが、ミキヤは慎重だった。確実に仕留める方策を選択した。強敵を前に、何一つ油断することがない。

 戦って、そして殺すための、洗練された動き。


「マキト、オレはエネミーを殺したいんだ。一匹でも多く。オマエがそれをさせてくれるのかよ」


 戦闘狂。銀髪の下から覗く瞳が、マキトの姿を映している。獲物を狙う目。狂気に飲まれた男。


(・・・いや、何かが違う?)


 マキトの思考が乱れた一瞬に、ミキヤは跳んでいた。マキトが気が付いたときには、すぐ目の前でミキヤが攻撃態勢に入っていた。懐だ。貫く右パイルライトは、近過ぎる相手に対する攻撃手段が無い。


 終わった。

 そう思ったところで。


「ぐわっ」


 ミキヤは突然足元をすくわれた。足首に激痛が走り、そのまま横転する。慌てて身体を起こそうと顔を上げると。


 目の前に、マキトの貫く右パイルライトが突きつけられていた。



「てっめぇ、サチカ、タイマン勝負に何しやがる!」


 ミキヤがサチカに向かって吠えた。今のは遠隔格闘リモートグラップルだ。サチカは両掌からホコリを払う仕草をすると、しれっとした顔で応えた。


「あら、誰がいつタイマンなんて言ったのかしら?」


 確かに、ミキヤもマキトもそんなことは宣言していない。サチカの存在などまるで意識していなかった。それでも怒り心頭な様子のミキヤに対して、サチカは淡々と語って聞かせた。


「大体実戦でエネミー相手にタイマンとか通用するわけ?あなた一人で常に三百六十度全体に警戒が出来ているわけじゃないでしょう?今までだって十分味方に生かされてきてるっていう自覚が足りてないのよ」


 ふざけるな、と言い返そうとして。

 ミキヤの脳裏に、瓦礫の上に腰かけるヨシキの姿が思い浮かんだ。


 戦闘が不利になれば加勢する。ミキヤは、ヨシキがそういうつもりでそこにいたのだと理解していた。

 だが、それだけではない。ヨシキは、あの場所で他のエネミーの動きを警戒していたのだ。ミキヤが、思わぬ方向から奇襲を受けることが無いようにと。

 知らない間に、ミキヤはヨシキによって守られていた。


 今更のようにヨシキの真意に気が付いて、ミキヤはしばらく呆然としてしまった。


「ミキヤ」


 槍を収めると、マキトは倒れたままのミキヤに右手を差し出した。その掌を、ミキヤはじっと見つめた。ミキヤの瞳には、狂気は少しも感じられなかった。


「教えてくれ、ミキヤ。どうしてそこまで、エネミーを殺すことにこだわるんだ?」

「ふん」


 ミキヤはマキトの手を取ると、素早く立ち上がった。そのままマキトとサチカに背を向けて、道場の天井を仰ぐ。


「何のために殺すか、だと?」


 愚問だ。何処を見るわけでもないミキヤの目が細くなる。ここにはいない小さな影。生きている命。

 ミキヤとって、殺すこととはすなわち。


「そんなもん、決まってんじゃねぇか。カネだよ、カネ!」


 ミキヤは、吐き捨てるように言い放った。


 だがその声は、いつものミキヤとはどこか違っていた。心の奥底、暗い穴の中から、助けを求めるような響き。

 マキトもサチカも、黙ってミキヤの次の言葉を待った。




 ミキヤには、幼い妹がいる。両親は既に他界した。人類の平均寿命が短いこの世界では、それ自体は特に珍しいことではない。戦死、事故死、病死、自殺。人が死ぬ理由は、そこかしこにあふれている。

 ただ、一つだけ珍しいことがあった。それは、ミキヤの妹にはギフト能力が無い、ということだった。


「そんなことがあるのか?」

「無いわけでは無いみたいね。多重能力者マルチほど希少ではないけど、一定数はいるという話よ」


 マキトの疑問に、サチカが答えた。数千人に一人の割合で、ギフトを持たずに生まれてくる子供がいる。戦う力を持たない、人類にとって、希望となり得ない存在。


 ギフトを持たないということが、何を意味するのか。


 この世界では、全ての資源が不足している。人は、ただ生きている、ということを許されていない。生きている限り、何らかの形で代価を支払うことが要求される

 子供たちにとって、ギフト能力は唯一無二の価値を持つものだ。この能力でエネミーと戦い、倒すという行為。それは人類全体への貢献となり、生存に値する最大の対価となる。

 それが無い、ということは。


 生きている価値が無い、とみなされるのだ。


「オレは、妹が学校に行くための、生きていくための金を稼ぐ必要があるんだ」


 仮想世界のシステム自体、大きなコストがかかっている。その中で人並みの生活を送り、学校に通うこと。これは本来、ギフト能力を用いてエネミーと戦うことの対価として、子供たちに与えられるものだ。


 ギフトを持たないミキヤの妹が、他の子供たちと同じように生きていくには。

 誰かがそれだけの支援をおこなう必要がある。誰もが等しく貧しいこの世界において。両親のいないミキヤの家族でそれが出来るのは。


 ギフト能力で戦う力を持つ、ミキヤだけだった。


エネミーを殺せば、オレたちにはそれだけの報酬が手に入る」


 戦闘結果に応じて、ギフト能力者には報酬が支払われる。まず、基本となる戦闘参加報酬。班の戦績に応じた班報酬。そして個人の戦績による、アシスト報酬と撃破報酬だ。仮想世界における生活費、それから学校に通うための学費等はそこからまかなわれている。

 誰のサポートも受けず、一人でエネミーを撃破すれば、撃破報酬の実入りは一番良くなる。ミキヤのギフト能力は直接攻撃能力だ。これを使わない手は無い。


 エネミーを倒す。殺す。誰の手も借りず、一人で。ただひたすらにエネミーを殺す。そうすることで、ミキヤは幼い妹が豊かに暮らしていくことを支えられる。

 ギフト能力を持たない妹が、仮想世界の中で学校に通い、平穏に一生を終えることが出来るまでの稼ぎ。人一人の人生を支えられるだけの金。それを手にするまでは。


 ミキヤは、殺し続けなければならない。


「いくら殺しても、足りないんだ」


 ミキヤは自分の左掌を見下ろした。独断先行。そう言われることは覚悟の上だ。しかしそれでも、誰にも手出しはさせたくない。自分一人の力で、殺す。その報酬を独り占めにする。それでもまだ届かない。

 戦うことの出来ない妹を支え続けるには、もっと、もっと殺す必要がある。


 そうやって、ミキヤは自分を追い込んできた。誰とも組まず、単身でエネミーを切り刻む。戦闘狂のミキヤ。それでいい。理解される必要など無い。

 大切なのは、たった一人の家族を守るために、殺し続けること。それだけだ。


「なら、尚更ミキヤは死ぬわけにはいかないじゃない」


 サチカの言葉に、ミキヤは振り返った。


 命ある限り、殺す。

 しかし、その命を失ってしまっては、もう殺すことは出来ない。殺すことが出来なければ。


 ミキヤの妹は、生きることが出来ない。


「ミキヤが死んだら、妹さんの世話をする人はいなくなる。何よりも大切にしなければいけないのは、ミキヤ、あなた自身の命よ」


 そんなことは判っている。

 ミキヤの命が無くなってしまえば、全てはおしまいだ。


 妹にはミキヤ以外に身寄りがない。

 ミキヤがいなくなれば、ギフト能力の無い妹には、生きていく術は何も残されていない。それを学ぶための学校にすら、通うことが出来なくなる。

 暗い穴倉のような場所で、ただ一人、飢えて死んでいくだけだ。


「生きるのよ。殺し続けるために生きる。そのために、私たちは協力する必要がある」


 滑稽こっけいな言い回しだった。生かすために、殺す。殺すために、生きる。

 ミキヤの口元に、笑みがこぼれた。久し振りに、心の底から可笑しいと思った。


「オレが一匹でも多く殺せるように、オマエたちが手伝ってくれるってのか?」


 マキトはうなずいた。


 ミキヤがエネミーを一匹でも多く殺したいという気持ちは、理解出来た。それは今までマキトが見てきたミキヤからは、想像もつかないことだった。

 ただひたすらにエネミーを切り裂き、殺すことだけに執心していたミキヤ。憑りつかれたように独りで戦いに臨む戦闘狂の正体は。


 戦う力を持たない妹のために、殺すことだけしか出来ない、不器用な一人の兄だった。


 そういうことであれば、協力したいと考えられる。

 共に生きようと、思うことが出来る。


「それでもいい。ミキヤが生きて、力を貸してくれるなら」


 一人でも多くの人間が生き延びられる世界。

 サチカは、ほっと息を漏らした。マキトなら見せてくれる。ミキヤにもきっとわかるはずだ。



 ふと、ミキヤは道場の片隅に目をやった。

 ヨシキが、こちらを見て笑ったような、そんな気がした。


(ヨシキ、すまなかったな。オレに付き合せちまって)


 ミキヤの表情が、心持ち柔らかくなった。それは戦いに飢えた男のものではなく。

 妹を想う、兄の顔だった。


(でも、まだ殺し足りねぇんだ)


 力の無い妹が、何不自由なく生きていけるだけの金を稼ぐまで。

 或いは。


 この世界のエネミーを殺し尽くすまで。


 ミキヤの戦いは、終わらない。ただひたすらに、殺し続けるのみだ。

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