3.英雄

 授業終了のチャイムが鳴った。がやがやと教室の中が騒がしくなり、生徒たちが外に出ていく。放課後まで召集がかからないのは久しぶりだ。人類もエネミーも、お互いに疲弊しているのだろう。


 学校の授業は、可能な限り普通に執り行われる。人類が繁栄していたころの、普通科の教科。マキトたちが通う新星学園は、中高の一貫校だ。中学の三年間でみっちりとギフト能力の訓練をされ、高校に入るのと同時に実戦に配備される。

 エネミーとの戦いは熾烈を極める。高校入学時には平均で六クラス、これが二年時には三クラスになり、三年時には一クラスにまで淘汰とうたされる。最終的に卒業まで持ちこたえられる生徒は、ほんの一握りだ。


 それでも、生徒たちは戦うしかない。人類の復権のため。それだけではない。この学校で生きていくため、だ。

 学校生活は、エネミーとの戦いの代償として得られている。生徒たちの青春は、エネミーとの殺し合いに勝利した先にしかない。


 椅子の背もたれに身体を預けて、マキトは大きく伸びをした。

 元から勉強は得意な方ではないが、今日はいつにも増して身が入らなかった。マキトの頭の中は、昨日の無様ぶざまな戦闘のことで一杯だった。


 いきなりの班の分裂。巨鬼トロル一体排除後の油断。どこを切り取っても良い所が一つもない。死傷者が出なかっただけマシ、というレベルのものだ。

 こんな状態を続けていれば、班はすぐにでも崩壊する。次の死者が出るまで、そんなに時間はかからないだろう。


 深くため息をついたところで、後ろ頭を軽くはたかれた。


「一人反省会?」


 サチカだ。腰に手を当てて、不機嫌そうにマキトを睨みつけている。手を出す前に声をかける習慣が、いつまで経っても身についてくれない。


「なんでもかんでも抱え込まないでよ」


 そう言うと、サチカはマキトの隣の席、かつてヨシキが座っていた椅子に腰かけた。その場所にサチカがいることが、マキトにはなんだか不思議だった。サチカの仏頂面に、ヨシキの人懐こい笑顔が重なって見える。似ても似つかない二人だ。


「ヨシキがいないんだから、あの二人のこともマキトが面倒をみなきゃいけない。それは判ってるわ。ご愁傷様」


 ミキヤとケンジ。あの二人はヨシキと仲が良かった。班長はマキトだが、あの二人はヨシキと共に行動する遊撃兵のような立場だった。それを急にマキトの指揮に従えと言うのは、確かに割り切れないものがあるのかもしれない。

 ヨシキがうまくまとめてくれていたからこそ、三年一組三班は問題なく機能していた。そのヨシキを失ったことは、班の運用上、非常に厄介なことだ。


「でもね、あなたは班員全員の命を預かってるリーダーでもあるのよ?」


 サチカに言われるまでもない。マキトは班長だ。作戦行動に関する全ての責任は、マキトにある。班員たちを生かすも殺すも、マキト次第。そのことはマキト自身、よく判っているつもりだった。

 だからこそ、こうして悩んでいる。どうにかしたいと考えている。


「一人で悩んでないで、少しは副班長にも頼っていただきたいところね」


 そう言うと、サチカはニッコリとほほ笑んでみせた。


 マキトは、しばらく自分が何をされたのか理解出来なかった。

 サチカが、笑顔で。

 頼れ、と言っている?

 天変地異の前触れか、それともいよいよ人類は絶滅しようとしているのか。


 マキトの困惑した様子を見て、サチカはまた元の不機嫌な表情に戻ってしまった。


「あのね、あなたがしっかりしてくれないと、私たち全員の生存が怪しいことになってしまうの」


 全員の生存。それがサチカの望むところだった。死傷者は少なければ少ない方が良い。そのためであれば、何でもする。笑顔の一つや二つ、それでマキトが少しでもやる気を出してくれるというのならば、安いものだ。


 マキトはぶるっと身を震わせた。このままでは何をされるか判らない。サチカが想定していたものとはやや異なったが、マキトのモチベーションは確実に上がったようだった。


 とはいえ。


「俺は、ヨシキみたいにあいつらをまとめる自信が無いよ」


 狂犬のようなミキヤ。ロクに目線すら合わせようとしないケンジ。ヨシキは彼らとどのようにしてコミュニケーションを取っていたのだろうか。マキトにはさっぱり判らなかった。

 クラスメイトとしては、全員高校に入ってから一緒、三年目の仲間ということになる。ミキヤもケンジも、どういう人間性の持ち主なのか程度は、マキトにも理解は出来ているつもりだ。

 だが、理解出来ることと、歩み寄れることは違う。マキトはその辺りを全てヨシキに頼り切ってしまっていた。


「ヨシキになることは出来なくても、ヨシキが何をしていたかは解るんじゃない?」


 ひょい、とサチカは席を立った。金髪がさらさらと揺れる。仮想空間の中では、サチカは本当に美しい。

 いや、これが本来のサチカの姿なのか。あるべき、人間の世界でのサチカ。マキトは思わず、ぼうっとしてしまった。


「あの二人と直接話をする。子供じゃないんだし、まずはそこからでしょ」


 サチカにそう言われて、マキトはようやく我に返った。サチカに見惚れるなど、どうかしている。これがバレたら、二十メートル先から人知れずに往復ビンタを喰らう羽目になりそうだ。



 教室の中にミキヤとケンジの姿は無い。三班のメンバーは、放課後になると大体すぐに思い思いの場所に移動してしまう。しかし、少なくともミキヤの居場所については見当がついている。マキトとサチカは教室から外に出た。

 廊下では、生徒たちが慌ただしく行き来していた。これから部活が始まるのだ。学生生活の華。彼らが生き残ろうとする、大切な目的の一つ。


「マキト」


 サチカと並んで歩き始めようとしたところで、マキトは背後から呼びとめられた。聞き覚えのある低い声。マキトの横で、サチカがぴしっと姿勢を正した。

 マキトはゆっくりと、わざともったいをつけて、声のした方へ振り返った。背の高い中年の男が、マキトに向かって仁王立ちしていた。

 筋骨隆々とした体格。カーキ色の軍隊服。五分刈りの頭に、見るだけで相手を射すくめるような鋭い眼。マキトにしてみれば、もう飽きるほどに見慣れた男。マキトの父、アサトだった。


「昨日の戦闘記録を見た。あれはどういうことだ?」


 アサトは人類軍の軍属で、この新星学園の戦闘教官だ。かつては優れたギフト能力者であったが、高校卒業と同時に能力を失い、今では学校で生徒を相手に戦闘教練を担当している。

 マキトはアサトをあまり好んでいなかった。父としても、教官としても。アサトは生徒たちを戦いの駒としてしか見ていない。あまりにも非情で、冷徹だ。その考え方に、マキトはどうしてもついていけなかった。


「申し訳ありません、教官殿。班員に欠員が出て、士気に陰りが出ておりました」


 マキトは感情の無い声で応えた。父、アサトとは終始こんな感じだった。家では顔を合わせること自体がほとんどない。学校で言葉を交わしたとしても、授業と作戦に関すること以外に、会話らしい会話は何もなかった。


「一歩間違えば大きな戦力の損失に繋がる。班員の士気向上に努めろ」


 アサトの声も、いつも通りの一本調子だった。

 二人が親子であることは、校内のほとんどの生徒が知っている。だが、実際に二人の会話を目の当たりにすると、それが本当のことなのかと疑わしく思われるのが常だった。


 マキトはアサトに敬礼して、その場を離れようとした。アサトの顔は見たくない。またいつもの言葉を聞かされるような気がして、心の中がざわついてくる。


「マキト」


 アサトの声が耳に入ったが、マキトは足を止めなかった。きびすを返して、歩き始める。その隣に、サチカが並んだ。サチカは何も言わない。マキトを止める様子も無く、ただ歩幅を揃えてその横を歩いた。


「マキト、お前はタクトとは違うんだ」


 マキトの背中に、アサトの言葉が突き刺さった。マキトは振り返らず、ただ、ぎりっ、と奥歯を噛みしめた。そんなマキトの横顔を。

 サチカが、黙って見つめていた。



 ギフト能力は、一人につき一種類。これは原則であったが、極々まれに、複数の能力を発現する者が現れた。「多重能力者マルチ」と呼ばれるその存在は、数万人に一人、いや数十万人に一人の確率で人類の中に発生した。


 マキトの兄、タクトは、多重能力者マルチだった。

 マキトと同様の、全てを貫くエネルギーの槍を左手に作り出す直接攻撃能力「貫く左パイルレフト」。

 周辺数百メートル四方の全ての物体の位置と動きを瞬時に把握するサポート能力「絶対感覚アブソリュートセンス」。

 この二つの能力を持つタクトは、戦場において無敵の強さを誇る戦士だった。


 瞬時にしてエネミーの配置を把握し、隙をつき、エネルギーのランスで仕留めていく。タクトはたった一人で一個師団に匹敵する戦力となった。人類はタクトを英雄とあがめ、エネミーへの反攻の希望の星と掲げた。

 第一次ドラゴン討伐作戦。そう、今からでは想像もつかないことだが、人類はエネミーの総大将であるドラゴンの咽喉元にまで迫ったことがあった。それは全て、タクトの働きによるものであり、タクトを頼りにした作戦であった。


 結果は、人類の惨敗だった。


 頼みの綱であるタクトが戦闘中に行方不明となり、戦局はその時点で決してしまった。タクトを失った他の全ての能力者たちは、エネミーの本拠地の中で孤立し、ほぼ全員が死亡した。当時の十代男女の三割以上が、その作戦で命を落とすことになった。


 人類の希望であるタクトの捜索は、その後何度となく続けられた。しかし、エネミーの本拠地近くでの探索は思うように進まず、かんばしい結果は一度として得ることは出来なかった。諦めきれない想いだけが残り、その次にやって来たのは、深くて暗い絶望だった。

 タクトに頼り切っていた戦線の崩壊、ドラゴン討伐に失敗したことによる大規模な戦力の喪失。これらの影響は、じわじわと人類を劣勢へと追い込んでいった。戦意高揚のために何度かの大規模反攻作戦が決行されたが、華々しい戦果をあげられることは無かった。


 人類は、再び受難の時代へと転落した。



 マキトは、常にそんな兄、タクトを近くで見てきた。強い兄。一人で全てのエネミーを倒し、道をひらき、人類を導いた存在。あまりにもまぶしくて、マキトなどその辺にある塵芥ちりあくたと何ら代わりが無かった。


 タクトがいなくなった後、高校に入ると、マキトは好奇の目にさらされることになった。英雄の弟。再び人類に希望の星は訪れるのか。

 残念だが、マキトは普通の人間だった。タクトとは違う。他の人間と一緒に地を這い、傷を受け、足掻いて、もがいて、目の前にいるエネミーを仕留めるだけで精いっぱいだった。


 父であるアサトもまた、タクトのことを特別視していた。人類の希望となれる者。そんな息子を、アサトは誇りに思っていた。タクトが消息不明となったとき、誰よりもその安否を気にかけていたのは、アサトだった。その辺にいる有象無象の駒と変わらないマキトなど、いてもいなくても同じことだ。


 お前は、タクトとは違う。


 ずっと言われ続けてきた言葉だった。すっかり慣れてしまったと思っていた。

 だがあのとき、ヨシキが最後に残した言葉。それもまた、同じ言葉だった。


 お前は、タクトとは違う。


 言われなくても判っている。マキトは英雄などではない。せいぜい数名の班員を従える班長だ。タクトのようには戦えない。能力も、何もかもが足りていない。


 それでも。


 とん、とマキトの胸が叩かれた。

 驚いて我に帰った。ずっと考え事をしてしまっていたようだ。目の前で、サチカがじっとマキトの顔を見つめていた。アイスブルーの、冷ややかな瞳。


「すまない。ちょっとぼんやりしていた」


 眉間に力が入っている。アサトの顔を見ると、いつもタクトのことを思い出してしまう。意識してしまう。考えてもどうしようも無いことだと判っていても、そうせざるを得なくなる。


「マキト、あなたはマキトなの」


 サチカが、ふっと口元を緩めた。さっきとは違う、自然な笑み。


「行きましょう。マキトにしか出来ないことをやりに」


 くるり、とサチカはマキトに背を向けた。金髪が踊る。きらきらと光が舞って。

 本当に、綺麗だった。



 サチカが最初にマキトと組んだとき、その印象は大きく変化した。英雄の弟。そんなレッテルに自分も振り回されていたのかと、ちょっと可笑しく感じたくらいだった。


 直接攻撃、それも近接攻撃のギフト能力の使い手。最も死と隣り合わせであり、危険の伴う役割だ。恐れることなく一番に切り込んでいって、並み居る強敵をばったばったとなぎ倒していく。サチカは勝手にそんなイメージを持っていた。


 だから「まずは作戦を立てよう」と言われたときには、拍子抜けも良い所だった。


 一騎当千の英雄の弟が、作戦会議から始める。その内容も、随分と慎重なものだった。班員の能力を生かし、被害を最小限に抑えて。良く考えているものだ。サチカは感心した。

 そして、信頼出来る相手だと判断した。


 サチカは、タクトのことは話には聞いていた。たった一人で何百ものエネミーと互角に渡り合う、最強の戦士であったと。


 だが、サチカにとってタクトは、最後には数えきれないほどの巻き添えの犠牲者を作り出した、大罪人でしかなかった。


 どんなに個人の力が優れていて、どんなに沢山のエネミーを倒したのだとしても。

 タクトは、人類を生かすことが出来なかった。タクトに頼り切った作戦の失敗により、数えきれないほどの死者を作り出してしまった。そして最終的に、人類はむしろ窮地に立たされてしまった。


 人類は生き延びなければならない。それが、サチカの至上命題だった。穴倉の中で、虚像の学校生活を送って。今の人類は、最早生きているとは言えない状況だ。

 一人でも多く、可能な限り生き続ける。そのためには多少の犠牲を強いることもあるかもしれない。だがそれは、一人の英雄のために無数の命が失われるよりは、ずっと健全なことだろう。サチカはそう考えている。


 マキトは常に、班員を生かそうとしてくれている。マキト自身も、死にに行こうとはしていない。明日が来ることを信じている人間だ。


 サチカが二年のクラス統合の前にいた班は、酷いものだった。闇雲に突撃し、傷を負い、汚い言葉が飛び交う。「サポートが悪い」と、サチカも何度もののしられた。

 生きるための努力が足りない。そう考えて、サチカは班員を生かすべく、日々研鑚けんさんを続けた。敵味方の行動の先を読む、自らも可能な限り素早く動く、能力の精度を上げる。

 だが、好き勝手に動く班員たち全員の配置を把握することなど、サチカ一人に出来るはずも無く。


 班長が巨鬼トロルの一撃で肉塊にされた日、班は解体された。


 死ぬ必要のない命。助かるはずだった命。

 サポートが間に合えば、班長は死ななかっただろうか。サチカは何度となく自問した。自分一人で守れる命なんて、たかが知れている。サチカのてのひらは、遠くには届いても、そんなに大きくは無い。


 サチカは、マキトのことを信頼している。マキトは、生かす人間だ。サチカのことも、他の班員も、マキト自身も。

 タクトとは違う。それでいい。


 そうであり続けてもらうためにも、マキトにはしっかりと歩いていてほしかった。サチカの理想が正しいと、マキトならきっと証明してくれる。

 こんなところで立ち止まっている暇なんて、サチカには全く無いのだ。

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