2.出撃
目が覚めると、いつものタンクの内側だった。綺麗に清掃されているとはいえ、あまり良い気分はしない。マキトは培養液の中から身を起こした。
ごちゃごちゃとした配管が壁を伝う狭い室内には、タンクとロッカー以外には何もない。一つだけ点けられた照明の下で、培養液を拭き取り、インナーに着替える。衣服の替えなどしばらく支給されていない。あるだけマシな状態だ。
電力の供給は最小限になっている。自動ドアなど、こちらの世界にはほとんど無い。建てつけの悪い扉を開けて外に出ると、サチカが立っていた。
「遅いじゃない」
さっきまでは純白の制服に身を包んでいたのが、今は薄汚れたインナー姿だ。髪も培養液で湿ったまま、無造作に束ねられている。ビスクドールはゴミ溜めに投げ込まれて、汚されてしまった。このギャップには、いつまで経っても慣れそうにない。
「急ぐわよ」
狭い通路を二人で進む。金属のフレームで出来た、天井の低い無骨な通路。同じような扉が、等間隔に並んでいる。薄暗い光で照らされた中、そこかしこから足音だけが響いてきていた。
ここが、マキトやサチカたちが住んでいる場所、学生生存区画だ。
その先、二重扉を抜けると更衣室がある。そこで、インナーの上に耐衝撃スーツを着用する。
より重装甲、重装備のアーマーも存在するが、そういった武装はギフト能力の発動の妨げになることが多い。特殊繊維で作られたスーツのみの方が、より効率的、ということだ。裸でいるよりは、生存確率が数パーセントは向上する。
同様の理由で、武装も最小限だった。サバイバルに必要なハンドガンとナイフ。
更衣室が男女に分かれている、というのは学校の中だけの話だ。現実の世界は常にスペースが足りていない。すぐ横でサチカが着替えを終え、インカムを装着している。これには流石に慣れた。生きるための行為だ。そこに恥じらいは必要ない。
更衣室の奥の扉を開けると、激しいローター音が聞こえてきた。巨大なホール。遥か頭上から降り注ぐ、本物の太陽の光。
人類が地上の生存圏を失って、もう何年が過ぎているのだろうか。マキトは、産まれたときからこの巣穴の中、コロニーで生活している。ここを含めた、数十ヶ所の地下施設。それが、今の人類に残された生存圏の全てだった。
既に十数機の
三年一組三班のトランスポーターの前には、既に班員全員が集合していた。
「放送委員、通信疎通チェックを兼ねて点呼を頼む」
マキトの言葉を受けて、元気な声がインカムから
「はーい、三年一組三班担当、放送委員のエリーです。じゃあ早速点呼取って行きまーす、ヨロシコ」
トランスポーターの副操縦士席から、エリーがひらひらと手を振った。エリーは二年一組、オペレーターのギフト能力者として専属の放送委員を務めている。喋りが少々軽いところが難点だが、一年以上の付き合いだ。優秀な放送委員であり、マキトも信頼を置いていた。
「班長さん、マキト先輩」
「マキトだ」
「はい良好」
マキトはぐるり、と班員の顔を眺め回した。頭数は揃っている。ヨシキがいないだけだ。補充など望めるはずもない。直接戦闘担当が欠けたわけでもないので、恐らく編成はずっとこのままだろう。
これ以上誰も死ななければ。
「副班長、サチカ先輩」
「聞こえてるわ」
「はいはーい。クールでーす」
サチカはマキトの横に立っている。学生生存区画の部屋が近いこともあって、サチカは普段ほとんどマキトと行動を共にしている。サチカに言わせれば、それが最も効率的、ということだった。
一年ほど前、「マキトに気があるんじゃねぇの?」と軽口を叩いた生徒が
もっとも、そいつももう今では生きてはいないが。
「ミキヤ先輩」
「いるぜ」
「はいオッケー。今日も怖いです」
「うっせ」
ぎろり、とミキヤはマキトの方を睨みつけてきた。マキトと同じ、この班の直接戦闘要員。そして、問題児でもある。
ひょろりとした長身に、研ぎ澄まされた刃物のような気配。銀色の長髪から、培養液がぽたぽたと滴っている。
ヨシキの死について、恐らくミキヤはマキトに何か言いたいことでもあるのだろう。だが、今は目の前の作戦に集中する必要がある。それぐらいのことは、ミキヤにも判っているはずだ。
「トモミ先輩」
「はい。聞こえます」
「ナイスシュート期待してます」
やや控え気味な返事をしたのは、長身でがっしりとした体格の女子、トモミだ。ギフト能力的にサポート担当で、戦闘にはあまり積極的ではない。
学校生活の方が性に合っているということだが、それを続けるためには戦うしかない。トモミはいつものように、大きな身体を縮こまらせていた。
「ケンジ先輩」
「います」
「はい、いますね。いつも隠れてて見えませんので返事だけはしっかりと」
小柄で、今にも消え入りそうな感じの男子がケンジだ。マキトはケンジを戦力としては計算していなかった。能力はサポート役として非常に優秀なのだが、いかんせん本人に戦闘意欲がほとんどない。戦闘状況が開始されると、終了まで隠れていることもしばしばだ。
そんなケンジがこうして戦闘に参加するのは、やはりそれだけ学校生活が大事、ということになるのだろう。
「三班点呼完了です。通信系統異常なし。それでは今日のラウンドへお連れいたしますので、早速ご搭乗ください」
エリーのガイドに従って、班員がトランスポーターに乗り込む。二基のローターを搭載した垂直離着陸機だ。全員が搭乗を完了し、安全ベルトを装着すると、エンジンの振動が一際激しくなった。
「では、しばらく快適な空の旅をお楽しみください」
ふわっと体の浮く感覚がして。
トランスポーターは直上の光の中に向かって飛び立った。そこは、かつて人類がその故郷としていた地上。
今は、ギフトを持つ少年少女たちの戦いの舞台だ。
太陽の光が、世界を照らし出している。何処までも果てしなく続く大地、地上。現実の世界。
天候は快晴。見晴らし良好。戦力差によっては真正面からの会敵は避けなければならない。トランスポーターの開口部から、マキトは今回の作戦区域を見下ろした。
アケボノ2区画。主に市街地、ということだが、見渡す限りの瓦礫の山だ。この辺りは特に崩壊が酷く、建物などはほとんど原形を留めていない。せいぜいビルの柱だけが残された、コンクリートの墓場だった。
「ここ、あたしの家がある辺りだ」
トモミがぽつりと呟いた。
家がある、とはいっても現実にここにトモミが住んでいるわけではない。それは仮想世界の街での話だ。学校のある仮想世界は、地上の街が崩壊する前の姿を忠実にシミュレートしている。
正確に表現すれば、仮想世界の中にあるトモミの家が、過去の記録に基づいて再現されたアケボノ2区画に存在している、ということになる。
人類の遺産、人類の生活、人類の文化。
それはもう、現実の世界には残されてはいない。全ては電算機資源の中、サーバ上のデータとしてのみ存在している。仮想世界の中、シミュレートされた
「ギフト能力アンロック。トランスポーターは付近を旋回しつつ待機します」
エリーのアナウンスで、マキトたちは自身のギフト能力が使用可能になったことを知った。
ギフト能力の使用に関しては、厳しい制約が設けられている。少し前までは、ここまで厳密にギフト能力を制限されることは無かった。
トランスポーターのデッキでサチカが大暴れしたり、その他様々な不祥事が重なった結果だ。当のサチカは、まるで素知らぬ顔をしていた。
トランスポーターから降り、現実の地面を踏みしめる。乾いたコンクリートの破片と、ひび割れたアスファルト。見る影もない光景だが、言われてみれば確かにアケボノ2区画だ。こういった土地勘を養うのにも、仮想世界のシミュレートは有効に作用している。
トランスポーターは視界の外まで飛び去って行った。ここからは自分の脚だけが頼りになる。全てが終わるまで迎えは来ない。
「三年一組三班、戦闘開始する」
マキトの声に、エリーが応えた。
「三年一組三班、上番確認。索敵を開始します」
まずは放送委員の仕事になる。エリーの持つギフト能力「
「戦闘区域内のエネミーは中型種が三匹。
単純な相手だが、単純だからこそ厄介な相手であるといえる。正面からぶつかり合うとなると、それなりの被害を覚悟しなければいけない。一撃必殺で、確実に仕留めていく必要がある。可能なら、奇襲を仕掛けたかった。
「敵の位置は?」
「北西四百メートル先、二十メートル間隔で散開。まだこちらを発見していないと思われます」
それは好都合だ。うまくすれば各個に撃破していけるかもしれない。
マキトがそう考えたときには、既にミキヤが動き出していた。
「おい、ミキヤ」
「左翼側は俺がやる。足手まといはついてくんな」
独断先行だ。マキトは舌打ちした。いつもならヨシキがミキヤを追いかけて、うまくコントロールしてくれていた。
「サポートは必要だろう。ケンジ、ミキヤを」
そこまで言って、マキトはケンジの姿が無いことに気が付いた。「
「ケンジ先輩、ウチの方で確認取れました。えーっと、サチカ先輩の二十メートルほど後方です」
エリーが呆れたように通信してくる。位置の目算がついたからか、サチカはケンジがいるであろう方向に右手を伸ばすと。
その場で軽くデコピンした。
「ぐあっ」
悲鳴が上がって、サチカの手の遥か先に突然ケンジの姿が現れた。
「ビンタじゃないだけマシでしょ。ミキヤのサポートに回って」
サチカに言われて、ケンジはあたふたとミキヤの後を追いかけはじめた。
やれやれ、と肩を落とすと、マキトは残ったサチカとトモミの方に向き直った。
「相手が一体ならひとまずミキヤとケンジに任せられる。俺たちは右翼側から会敵、最終的にはミキヤたちと挟撃する形に持って行こうと思う」
「ミキヤを止められないなら、そうするしかないわね」
サチカの言葉には、
本来なら、班長であるマキトが全体を指揮し、班員を作戦に従わせる必要がある。
だが、現状は後手後手だ。ミキヤは暴走するし、ケンジは逃亡を企てる。とても班としてまとまっているとは言えない。
今までは、そういった個人間のいざこざはヨシキがとりなしていた。ミキヤはヨシキの言うことなら大人しく聞いていたし、ケンジもいきなり姿を隠すようなことはしていなかった。
今更になって、マキトはヨシキの存在の大きさを思い知らされることになった。
「ミキヤ先輩会敵。戦闘状況開始」
エリーのアナウンスで、ミキヤが戦闘状態に入ったのが判った。
マキトの方も、正面の廃墟の陰に
「三班本隊、正面に
ミキヤが戦闘開始した影響か、敵の動きが予想とは異なって来ていた。明らかに密集しようとしている。
「マキト、敵はかたまりはじめてる。ミキヤの方に全部流れるとマズいわ」
「わかってる」
サチカに言われるまでもない。ここで奇襲を仕掛けるのが得策だ。マキトはトモミの方に振り返った。
「Aクイックで行く」
トモミはうなずいた。
マキトが
「行きます」
狙いすました蹴りが、マキトの身体を直撃する。次の瞬間、マキトは猛スピードで前方に射出された。
トモミのギフト能力は「
「マキト先輩会敵」
トモミの狙いは完璧だ。マキトの眼前に、
突然現れた人間の姿に、
サチカの
ここだ。
マキトは右手に意識を集中させた。エネルギーで出来た
射程が短いことが難点だが、この距離であれば外すことは無い。突き出された槍は、
そのまま心臓を刺し貫いた。
「
エリーの冷静なアナウンスが流れた。悲鳴を上げる暇も無く、
「
どうやらミキヤもうまくやったらしい。マキトがほっと胸を撫で下ろしたところで。
「何やってんのよ!」
サチカの声がして、ぐい、と後ろに引っ張られた。その鼻先を、
「マキト先輩会敵」
アナウンス遅い。そう思っても仕方が無い。マキトは目の前の
(一瞬でも動きが止まれば)
そう考えたところで。
「ええいっ!」
トモミが大きめの瓦礫を蹴り飛ばした。
しかし、挑発には十分だった。
その瞬間を、マキトとサチカは見逃さなかった。
サチカが
それを予期していたマキトが、身体ごと
右手の槍をその中に押し込んだ。
ごきん、という鈍い音がして。
「
エリーの明るい声が、全員のインカムに届けられた。
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