明日また、学校で
NES
1.敗戦
空は、赤と黒のまだらに染まっている。
燃え盛る炎と、立ち上る黒煙。もう何度目だろうか。この光景を見るたびに、マキトの胸の中はやるせない気持ちでいっぱいになる。ぎり、と奥歯を噛み締める。
「各班に通達。作戦は失敗。速やかに状況を終了し、最寄りのランディングゾーンまで撤退せよ」
インカムのスピーカーが騒々しい。言われるまでも無く、可能な限り素早くこの場から離れるべきだ。自分の、部隊のことを考えるなら、当然のことだ。
それでも、今はそれが出来なかった。やりたくなかった。諦めきれない。まだ。
まだ、生きている可能性があるのなら。
「放送委員、この辺りの反応を調べてくれ」
目に映るのは、どこまでも続く崩れ落ちた瓦礫の山だ。年月を数えるのも馬鹿馬鹿しくなるくらいの昔、この辺りはコンクリートのビル群で埋め尽くされていた。
今は、
「状況が混乱していて、
放送委員、エリーの声が少し
「マキト、タイムオーバーよ。戦力があるうちに撤退戦に参加して」
後ろからサチカの声がした。サチカの言うことは常に正しい。この時も、全くもってその通りだった。
生きているかどうかも判らない仲間を探すくらいなら、今確実に生きている仲間のために、マキトの班は支援に回るべきだ。
頭では理解している。理屈ならそれ以外に正解は存在しない。
ふと、右前方の瓦礫の山の向こうで何かが動くのに気が付いた。自然な崩落では無い何か。素早く右手をそちらに向ける。マキトの意思に従って、エネルギーの
サチカの反応も早かった。両掌を開いて身構える。ブロンドの長髪がふわりと揺れて。返り血でべったりと汚れた白い頬が、
「班長、右前方にヨシキ先輩の反応。ですが」
エリーの声は尻すぼみだった。マキトは
「マキト、ランディングゾーンまでは距離がありすぎるわ。ここにも追撃隊が迫ってる」
「わかってる!」
サチカに言われなくても、そんなことは理解している。
瓦礫の山を登る。がらがらと崩れ落ちるコンクリート片が、マキトの足をからめ取ろうとする。時間が無い。こんなものに、一分一秒だって邪魔はされたくない。
生きているなら、助けられるなら。
マキトは思わずその場に立ち尽くした。
大小様々な
一個大隊はいるだろう。それらが全て、ひしゃげ、潰れ、引き裂かれた状態で転がっている。動いているものなど一匹もいない。猛烈な力が荒れ狂い、そこにある全てのものの形を、滅茶苦茶に蹂躙していった跡だ。
「マキト、か」
足元から声がして、マキトは慌てて周辺を見回した。すぐ近く、ほんの数メートル先にヨシキが倒れていた。
「ヨシキ!」
生きていた。喜んで駆け寄ろうとして。
マキトはすぐに絶望した。
ヨシキの身体は、もうほとんど原形を留めていない。恐らくは自分自身の力の発現に耐えられなかったのだ。これだけの数の
「ヨシキ、しっかりしろ、もうすぐ保健委員が来る」
気休めだ。
ヨシキが助からないことは、一目で判った。それに、保健委員がここまで到達出来る見込みもない。マキトたちが撤退可能なランディングゾーンまで戻れるかどうかですら。
サチカがマキトのすぐ近くまで来て、ヨシキの姿を見た。ほんの少し眉が動いて、そのまますぐにその場を離れる。
「マキト、追撃が来るわ。最も多くの生存者が見込める選択を」
サチカは正しい。
「班長、ランディングゾーンの確保が厳しくなりつつあります。保健委員の申請は、現在の状況では申し訳ありませんが確約出来そうにありません」
エリーの声も、もう悲鳴に近かった。
インカムから漏れ聞こえてくる他の部隊の会話は、更に悲痛だった。まだ隊としての体を成し、撤退が可能である分、マキトの班はマシな状況であると言える。
だが。
ヨシキは、目の前で生きている。
どんなに絶望的な状態であっても、生きて、マキトの方を見ている。
それを見捨てて、この場から逃げ出すのが正しい選択だと言えるのだろうか。
そこまでして生きて、一体何が。
「マキト」
ヨシキが言葉を発した。
インカムを通してではなく、その声は直接マキトの耳に飛び込んでくる。
苦しみや、痛みに突き動かされた
あくまで静かな、まるで語りかけてくるような、優しくて力強い声。
マキトは眼を見開いた。
「マキト、お前はタクトとは違う」
何かを言おうとして、マキトは咽喉の奥に言葉がつかえた。
ぐい、と背中が引っ張られた。
「副班長より代理通達、三年一組三班、死亡一名により戦闘続行不能と判断、ランディングゾーンより撤収する」
サチカの声が、インカムを通して班員に伝えられた。そのすぐ横で、マキトはしばらく呆然とヨシキのいた瓦礫の山を見つめていたが。
すぐに、サチカの肩を一つ叩いて。
「すまない」
毅然としてランディングゾーンに向かって歩き出した。
「放送委員了解。三年一組三班、ランディングゾーンに急行せよ。お迎えのバス、すぐに出ちゃうよ」
その日、人類は
数字の上ではたかが1パーセント。しかしそれは、残された者たちにとっては、あまりにも大きすぎる損失であった。
それがいつのことかは判らない。少なくとも、今よりは遥かに昔。まだ人類が地上で生きることが当たり前であった時代。
後に「
地球に存在する唯一の衛星、月。それが突如として半分を残して崩壊。その破片が地上へと降り注いだ。
当時の各国は様々な手段で破片の迎撃を試みたが、その
何故なら、月から飛来したものは岩石では無く。
伝説に語られる怪物たちだった。
人類の敵、「
どのような理屈によるものか、人類の持つ兵器は
人類は敗走に継ぐ敗走を続けた。核兵器による焦土作戦が実施されたが、いたずらに自らの生活圏を脅かすだけで、それすらも有効打とはなり得なかった。人類は
そしてついに、人類が地上からの撤退を余儀なくされようとしていたその時。
人類は、初めて反撃の糸口をつかんだ。
十代の少年少女にのみ発現した、特殊な能力。それは
唯一
ギフトは多種多様な形態を持っているが、その力を使えるのは十代の少年少女たちに限られていた。個人差はあるが、二十代にまで成長すれば、ギフトの力はほぼ確実に失われてしまう。
また、使用可能な能力は一人につき一種類に限られ、その種別を使用者が選ぶことも出来ない。この能力は、正に
既にその生活圏を極限にまで縮小されていた人類は、その未来をギフトを持つ少年少女たちに託すこととなった。
始業の鐘が鳴った。
今日も一日、学校生活が始まる。
三年一組の教室は、しんと静まり返っていた。昨日の今日だ、無理もない。すすり泣く声が聞こえてこないだけマシというものだ。一年の時は、一夜明けるごとに大騒ぎだった。
マキトは自分の横の席に目をやった。つい先日まで、そこにはヨシキがいた。よう、おはよう。明るい笑顔とあいさつを今でも思い出すことが出来る。マキトが自分で思っている以上に、この損失は大きいのかもしれない。
マキトはさっきも、サチカにいきなり頭をはたかれていた。そんなに間の抜けた顔をしていただろうか。
当のサチカは澄ました顔で席についている。身長百五十センチ程度の小柄な体、白い肌、金色のロングヘアーと、見た目だけならビスクドールのように美しい。
だが、もうこのクラスの全員が良く理解している。サチカに何かしようとすれば、触る前にぶっ飛ばされる。外観とは裏腹にやたらと気が強いし、手が早い。学校の制限区画内ならとにかく、外なら手加減無しで
少し遅れて、担任のカナエ先生が入ってきた。今日もばっちりときめている。黒髪ワンレンにワインレッドのスーツとか。高校教師としてはどうなのだろう。まだ二十三才ということで、若さをアピールしたいのかもしれない。まあ、美人なのは確かだ。自分の武器を最大限に生かせ、はカナエ自身の教えでもある。
しかし、
「うっせえ、ぶっ殺すぞ」
いつも通りだ。伊達に残念美人の称号は持っていない。教卓の上に出席簿を投げ出すと、カナエはぎろり、と三年一組の一同を見渡した。
「おはようお前ら。全員いるな。いなかったら言え。ヨシキ以外は」
教室の中の空気が、ぴんと張りつめた。クラスから戦死者が出るのは、どれくらいぶりだろうか。二年の三学期が始まったころか。第十四次反攻作戦。あの時、マキトたちの学年は一クラスに統合された。
「第十五次反攻作戦は失敗した。失敗の理由は色々あるとは思うが、とりあえずお前らはよくやった」
よくやった、か。
教室内の誰もが思っていることだが、あえて誰も口にしようとはしなかった。前回もそうだし、前々回もそうだった。この作戦を考えているヤツは、人類が絶滅することを望んでいるとしか思えない。
何をどう考えたらこんな作戦が立案出来るのか。現場で実際に戦闘をするのは自分ではないからと、好き勝手な妄想を垂れ流しているだけなのではなかろうか。
「三年ではヨシキが犠牲になった。良い奴だった。良い奴ってのは大体早く死ぬ。ヨシキは遅すぎたくらいだ」
マキトはまた隣の席を見た。誰もいないその場所に、昨日まではヨシキが座っていた。カナエの言うとおり、ヨシキは良い奴だった。
班長としてどうあるべきなのか、迷った時にはマキトはヨシキに訊いた。正論しか吐かない副班長のサチカなどよりも、ずっと頼りになったし、実のある答えを聞かせてくれた。
そのヨシキは、もう二度と帰って来ることは無い。
「全員、一分間の黙祷。あと一年を生き残れなかった哀れな仲間のことを想え、
黙祷。
カナエの黙祷は、久しぶりだった。カナエは、クラスで死者が出た時に、必ず時間を取って祈りをささげた。死んだ人間のことを想った。
今、自分たちがここでこうして生きているのは、犠牲になった誰かがいるからだ。
高校一年の最初のホームルームで、カナエは生徒たちにそう語った。その言葉を、マキトは改めて噛みしめた。
マキトが今生きているのは、ヨシキが死んだから。
心の中がざわついて、強く歯を食いしばる。
そんなマキトの様子を、サチカが冷ややかな目で見つめていた。
「まだ気にしているの?」
朝のショートホームルームが終わると、サチカがマキトに声をかけてきた。アイスブルーの瞳が、真っ直ぐにマキトの目を見据えてくる。そこには、感情の揺らぎなど欠片も存在しない。
サチカはいつもそうだ。冷静で、判断を間違えない。だからこそ、今こうやって生きている。マキトのいる三班の副班長を務めている。
「もしかしたら、助けられたんじゃないかって。サチカはそう思わないのか?」
確かに無茶な作戦だった。作戦開始当初から、マキトの三年一組三班は、彼我戦力差があまりにも大き過ぎる配置にされていた。ただし、不利な状況は他の班も同様であり、戦線はあちこちで崩壊していた。
マキト自身、正面から迫ってくる
ただの殺し合いだった。
そんな中、ヨシキは突如現れた
その判断は、間違えてはいない。ヨシキが動かなければ、マキトを含めた他の班員たちが今どうなっていたか。想像するに
それはそうなのだ。判ってはいる。
だが、マキトにはもっと優れた方法が、ヨシキを含めた班員全員が助かる手段があったのではないかと、そう思い悩んでいた。
「残念だけど、私はそうは思わないわ」
サチカは断言した。
サチカが言う以上、それが正しいのだろう。悔しいが、サチカが状況判断を
「何もかもを助けられるわけじゃない。私もマキトも、班の他のみんなも生きている。それで良かったって、そう思いなさい」
確かにその通りだった。
重傷を負ったヨシキを無理に助けようとしていれば、マキトとサチカは
二人が足止めされるとなれば、必然的に他の班員たちもその場に留まることになる。あの状況なら、班員たちにまでそのリスクを負わせるべきではない。
仮に保健委員の申請が通ったとして。そうなれば、マキトたち戦闘員だけでなく、保健委員や回収班までが
それに、ヨシキの傷は深かった。保健委員が到着し、ヨシキが無事に回収されたとして。ヨシキの命が助かる確率は、限りなくゼロに近かった。
果たして、ヨシキの救助は、そこまでする価値のある行為であると言えたのか。
総合的に判断すれば、ヨシキを見捨てる以外に選択肢は無かった。正しい。
しかし、それでも。
マキトが口を開いたところで、学校中にサイレンが響き渡った。クラスメイトたちが一斉に顔を上げる。学校中の空気が変わって行く。誰かの舌打ちの音が聞こえた。
「ダメ押し、って感じかしらね」
サチカがため息をついた。
「続きは生きて帰ってきてからでいいかしら?」
そう言うと、サチカは自分の後頭部に右手を当てた。マキトの返事を待たずにログアウトする。サチカの輪郭がじわり、と
教室のあちこちで、同じように生徒たちがログアウトしていく。
感傷に浸っている時間は無い。
マキトも自分の後頭部に右手を当てると、仮想空間の学校からログアウトした。
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