第10話 古書店・二
お客さんは一人レジに来たけど、それ以外の人たちは無言で店を出るか、まだ読みふけっている。おかげでとても暇だ。
そんなふうにしばらくお客さんを眺めてから、店の奥に台車へ置きに行こうとしていたときだった。
こんこん
不意に、硬いものを叩くような音がした。こんこん、こんこん。奥の書棚のほうから、同じ調子で繰り返される。
音がしているのは、書棚の向こうだ。
もしかして……。
そちらへ向かうと、思ったとおり。嘴に傷のある大きな烏――
私は慌てて窓へ近づき、窓を開けようとした。でも雪消は嘴で器用に窓のフレームの突起をくわえると、いとも容易く窓を開けて中へ入ってきてしまう。あれ、あの窓鍵開けてたっけ。閉めておいたと思うんだけど。
というか、烏ってほんとに賢い……。
「雪消、また来たの? 駄目だよ、ここへ入っ……って」
小声で叱ろうとすると、雪消はまあまあそんなこといいじゃん、とでも言うみたいに、私の手に嘴をすり寄せてきた。私に甘えるときの、お馴染みの仕草。硬い嘴が、私の手の上をすべっていく。
ああもう、こんなの反則だ。可愛すぎる。
「仕方ないなあ……」
そんな言い訳を自分にして頬を緩ませ、私は雪消の頭や背中を撫でてやった。
艶やかな黒の羽はさらさらしていて、結構触り心地がいい。喉を掻いてやれば雪消も目を細め、心地良さそうだ。猫みたい。
私に懐いてくれる動物たちは皆可愛いものだけど、雪消はその中でも特に可愛いと思う。名前をつけてあげたからかな。よく私を見つけては寄ってきて、こうして私に触れてもらいたがるし。法律で野生の烏は捕まえたり飼ったりしちゃ駄目らしいから、怪我が治ってすぐ放してあげたけど、法律がなかったらそのまま飼っていたかもしれない。
雪消とのふれあいで私が心を和ませていると、不意に雪消が身を固くして首を巡らせた。
「どうしたの? っあ……」
その視線を追って振り返り、私はぎょっとした。伊月先輩がいたのだ。
伊月先輩は雪消を見て、苦笑した。
「またそいつ、来たんだ」
「あはは……」
何とも言えず、私はごまかし笑いをする。だってこれが初めてじゃないし。それに、店長がいないし暇とはいえ、一応はバイト中だしね。
「ほんとに
「怪我してたところを助けましたから。……ところで伊月先輩、さっきは何の本を読んでたんですか?」
「ん? ああ、この辺りの地域の郷土史を書いた本だよ」
「この辺りの郷土史ですか?」
住所不定なので郷土史? 意外すぎる組み合わせに私は目を瞬かせた。
だって先輩が持っていた本は和綴じじゃなくて、現代的な装丁の本だったもの。つまり、外国の人が書いたってこと。でもこんなど田舎の郷土史なんて、当の住んでる私たちだってろくに知らなかったりするのに、外国の人が本にするのはびっくりだ。そんなにうちの文化って、外国の人の興味を引くのかなあ。そりゃ高野山にはヨーロッパから来たお坊さんがいるらしいし、小泉八雲みたいな物好きがいたって不思議じゃないけど。
「もしかして先輩、お祭りのことを調べようと?」
「そう。特に芝居……お祭りの由来になった伝説について、興味を持ってね。図書館で探してみたんだけどなくて、そしたらさっき、軽く中身を読んでみたら書いてあって、ついね。まあ本当に軽くで、神社で宮司さんに聞いたこと以上の話は書いてなかったけどね」
「そうなんですか。お祭りについて調べるなら、郷土資料館にも行ってみたらどうですか? あの伝説について書いた巻物とか、そういうのをちょっとだけですけど展示してますよ。特別展ってことで、鬼が使ったっていう大太刀も展示されるみたいですし」
「大太刀?」
あ、やっぱり伊月先輩のツボだったみたい。目がきらりと輝いたよ。
「そういや、宮司さんもそんなこと言ってたな。一応、神社の蔵に色々防犯設備はつけてあるけど、念のために郷土資料館へ預けてるんだっけ」
「はい。この地区じゃまだないですけど、最近、色んな神社とかお寺とかから物を盗む罰当たりな人がいますから。鬼の村ってことで売ってるのに、肝心の鬼からの贈り物を盗まれちゃ大変ですしね」
「ふうん……でも今、郷土資料館って改装工事中じゃなかったっけ。宮司さんからそう聞いたけど」
「工事はもう終わってますよ。今度の土曜からまた営業開始みたいです」
私が説明すると、伊月先輩はそれはいい、とにっこり笑った。
「なら、是非とも行ってみたいな。賀茂さん、その郷土資料館ってどこにあるの?」
「区役所の近くですよ。あ、でも通りから奥のほうへ行かないと見つけにくいかな……」
区役所の位置は多分伊月先輩も知っているだろうけど、そこからどう行けばいいと説明すればいいのか。あの辺り、細い道が多くて結構ややこしいんだよね。引っ越してきてまだ三ヶ月程度の伊月先輩には、地図なしで説明してもわからないだろう。
ない知恵を絞りに絞り、私はそこではっと気がついた。
あるじゃないの、一番いい方法が。
「伊月先輩、その、私が案内しましょうか? 今度の日曜はここ、臨時休業ですし」
私はぎゅっと両の拳を握りしめ、私はそう思いきって誘ってみた。ばさ、と雪消が窓辺でまた翼を開く音がする。
伊月先輩は目を瞬かせた。
「そうだけど……いいの? せっかくの休みなのに」
「いいですよ。私も久しぶりに行ってみたいです」
私が小声のまま力説すると、そう、と伊月先輩は顔をほころばせた。
「じゃあ、案内頼もうかな。そうだな、昼過ぎにここで待ち合わせでいい?」
「はい!」
今すぐこの場で飛び跳ねたい衝動を、私はなんとかこらえて伊月先輩に返事する。でも満面の笑みを浮かべてみせるのは、苦労しなかった。勇気を出してこのチャンスをものにした自分の頭を撫で回してやりたい。よくやった私!
そういえば、もうすぐお米の収穫だからそっちでも伊月先輩を誘えるんだよね。お祭りの前に約束したし。うん、ここでちょっとでも仲良くなっておけば、山の中へ行ったときも話が弾んでいい雰囲気だよねきっと。頑張りどきじゃん。
そんなテンション急上昇の私のそばで、どういうわけか雪消もやたらと興奮して翼をばたつかせ、かあかあとわめく。どうしたのよ雪消、そんな突然、興奮して。
ああ駄目だよ雪消。お客さんたちの邪魔になっちゃう。私がそう雪消を小声でたしなめていると、伊月先輩は口元を押さえ肩を揺らして笑う。私は台車を店の奥にしまった。
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