第9話 古書店・一
「
「? 店長、なんですか?」
ずっと続けばいいのにと願った祭りの余韻に浸る間もなく夏休みは終わり、退屈な始業式とホームルームも終わった後。丁寧に拭いて埃を落とした本を書棚にしまい終えてカウンターへ戻ったところで太い声に呼ばれ、私は冴えた青と白が夏っぽいラガーシャツの上に生成り色のエプロンをつけた大熊、もとい店長を振り仰いだ。
ここは、商店街の端にある古書店『
店長は猩々緋のバンダナをとると、台車に載せられた本を指差した。
「すまんが、ちと外へ出てくる。こっちの本を棚にしまっておいてくれ。置き場がわからんやつは
「あ、はい……」
うわあ、これ片付けるんですか。本の山なんですけど…………しかも、中には凶器になりそうなサイズのもあるし。これを全部棚に入れるんですか。
私の引きつった声の返事のあいだに、店長はさっさとエプロンを外して店の奥へと引っ込んじゃった。店長、見た目どおりに口数少ないからなあ……表情もあんまり変わんないし。見た目ほどには怖くない、いい人なんだけどね。
私は、カートに鎮座する本の山の、一番上に置かれた一冊を手に取った。臙脂色の革っぽい装丁の、知らない文字の本だ。
つまり、いわゆる住所不定のやつ。……面倒なの頼まれちゃったなあ。私の肩は自然と下がった。
住所不定というのは、置くべき場所がどこかわからない本のことだ。店長が仕入れてくる本はこの本みたいに、現代仮名遣いの本ばかりとは限らない。旧仮名遣いだったり行書だったりで、読めないことがしばしばあるのだ。外国語のものすらあるし。表紙に見たことのない文字が踊っているのは、珍しいことじゃない。
当然、私には読むことができないし、置くべき棚もわからない。解読できるのは、店長と
「……」
駄目だ、見たことはある文字だけど、やっぱりこれっぽちも読めない。というかこれ、文字なのかな。背表紙に書いてあるのと同じだから、文字なんだろうけど。なんで店長と伊月先輩は読めるんだろう。
仕方ない。私は本を山の上に戻すと、台車をカウンターのほうへと押していった。
その、店の出入り口近くにあるカウンターへ行くと、伊月先輩がレジの前の椅子に腰を下ろし、背表紙を紐で閉じたいかにも古そうな本を読んでいるのが私の視界に入ってきた。店長の自宅の庭で虫干しされた本の運び入れをしていたはずなんだけど……もう終わったのかな。多分そうだろうなあ。ここのバイトって、本を運ぶ仕事がないとものすごく暇だから。普通の本屋みたいに電話であれこれ注文を受けたり逆にかけたりとか、販促の広告を作ったりとかないし。お客さんもまばらだし。ぶっちゃけ、二人もバイトが同じシフトに入る必要はないと思う。
まあ、そんな店長の謎な行動はともかく。
やっぱりかっこいいなあ……。
背後の棚にもカウンターの上にも古い本が積まれている中、一心にページをめくっては文字を目で追っている姿は、何度見てもかっこいい。ここで古い文献を探すお客さんや、試合に集中する運動部の男の子と同じ、真剣な表情。元々の顔立ちとかそういうのを抜きにしても、まとう空気や本を見下ろす視線が私を惹きつける。
伊月先輩の読書を邪魔するのは申し訳ない。けど、私も一応は仕事があるのだ。静かに近づくと、私は伊月先輩、と小声で呼んだ。
それでようやく私に気づいた先輩は、ああ、と目を瞬かせて私を見上げた。
「先輩、すみません。ちょっと手伝ってくれませんか?」
「住所不定のやつ?」
「はい。手が空いてればでいいんですけど」
「もちろんするよ。そっちは俺と店長の担当だから」
眉を下げる私に伊月先輩はそう笑うと、金文字の外国語が目を引く本を閉じた。立ち上がって、私が押していた台車から分厚い本を片手で持ち上げ、住所不定のものをカウンターに、そうじゃないものを台車に分類していく。私はそれを、息を詰めて見守った。
ほどなくして、カウンターには小さな本の壁が生まれた。
「こっちは俺が片付けておくから、後は頼むよ」
「あ、はい。……台車、置いておきましょうか?」
「いや、いいよ。十冊もないし、まずは読んで置き場所を決めないと。台車は君が使いなよ」
と、紳士の伊月先輩はレジの椅子また腰を下ろし、私に台車を譲ってくれた。住所不定の本をカウンターに乗せたのは、きっとそのためだったんだろう。
でも、カウンターに積まれた本は、どれも凍らせなくても人を撲殺できそうな厚さがあるんだよねえ。かなり重いはず。分類しているときに、三冊くらいまとめてカウンターの上に置いても平気な顔をしていたのが、不思議なくらいだ。
……前にも思ったけど、伊月先輩ってほんと見かけによらず力持ちだよねえ。怪力というか。まあ、リュックを背負いながら私を抱えて平然としていたのだから、あのくらいは何ともないのかもしれないけど。
…………
気になってつい、私は自分のお腹をじいと見下ろした。してしまった。
……うん、まだ甘いものはやめとこう。二度とお姫様抱っこなんてないだろうし、まだお腹は出てないと思うけど。可愛い服、着たいし。胸については……考えないでおこう。スタイルがよかったらいいんだよ、うん。
そんな女の子らしい決意はともかく、私はタイトルや内容を頼りに、台車に乗せられた本を棚に置いていった。日本語で書いてあるって素晴らしいね。考え込まなくてもちゃんと読めるんだもの。世の中の言葉が全部一つになったら、うちの仕事はものすごく楽になると思う。
本を全部棚に並べ終えて手持無沙汰になった私は、ほんの数人しかいないお客さんたちが本に目を落とす通路へ無理やり意識を向けた。
ほんと、ここは女子高生がするには渋すぎるバイト先だと我ながら思う。並ぶ本は若者向けではないし、お客さんはなんだか変な感じの中高年ばかりだし。店長が困っているところを助けた縁でお茶に誘われて、その場の勢いで頼み込んで雇ってもらったわけだけど……だってなんか、店長のそばってすごく和むんだよねえ……見た目はあれなのに。
でも私は雪消に導かれるようにして見つけた、この店が好きだった。静かな空気とか、古い本の匂いとか、真剣に本を読むお客さんの横顔とか。ものすごく古そうな本を何気なく手にとって、読んでいるうちにお客さんの顔色が変わっていくのも面白い。あの、価値あるものだと知ったときの興奮した顔といったら!
今日はまだ見れてないのだけど、あそこにいる常連の髭のおじさんは特にわかりやすいんだよねえ。今日はいい本が見つからなかったのかな。さっき本を仕入れたところですから、また回ってください。
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