第29話 鬼の系譜・二

 伊月いつき先輩と親戚さんの素性についての語りが終わった後、私は親戚さんをじとりと見上げた。

 いやだって。


「……どこからどう見ても人間なんですけど。伊月先輩だって、角とかないですし。爪も普通じゃないですか」

「だから言っただろう、俺もつかさも一応は人間だ。純血の人間より多少頑丈で、身体能力も高いけどな。角だの何だのは本当の鬼を知らない人間の空想か、どこぞのあやかしが鬼と呼ばれて後世に伝わっているだけだ」

「え……じゃあ、貴方と伊月先輩も、実はものすごーく長生きとか……?」


 だって漫画じゃ、人じゃないものの定番は度を越した若作りだ。若者の顔で何百年も生きているとか普通だし。混血でも成長が普通より遅いなんて設定だったりするし。はっ、もしかしなくても、だから伊月先輩は古い物が好きだったりとか、精神年齢はおじいちゃん並みとか…………。

 そんな私の心配を見抜いたのか、親戚さんはふっと笑った。


「心配しなくても、司はちゃんと十七だ。あいつは鬼の血が薄いからな、見た目と実年齢が大体一致してる。俺は鬼の血が濃いせいで、これでも維新の前の生まれだけどな」


 ………………………………はい?

 おそるおそる尋ねた問いの答えに、私の頭の中は一瞬思考を停止した。

 伊月先輩がちゃんと十七なのはいい。いいんだけど。

 維新……ってことはあれだよね、明治維新。……………あれ? おじいちゃんは確か、戦後の生まれ…………………………。


「…………冗談ですよね?」

「こんなところで冗談を言うと思うか?」


 私の表情がよほど間抜けだったのか、予想どおりの反応だったからなのか。くつくつと喉を鳴らして親戚さんは笑う。彼の身体の振動が、私の身体に伝わってくる。

 いやいやちょっと待って、その若々しい見た目で幕末生まれとか言われても、冗談としか思えないでしょう、普通。服だって伊月先輩と同じ、いまどきの若者って感じでセンス悪くないし。なのに、うちのおじいちゃんどころかご先祖様な実年齢とか…………。


「……じゃあ、貴方が、出て行った鬼の二家の人……なんですか」

「ああ。さっきの話は俺と義貞よしさだ――司の先祖のことだ。このとおり、見た目は歳をとらないんでな。鬼を信仰する村の民と言えど、不気味だったらしい。役人だのにごまかすのもいい加減面倒だったし、都会へ行きたがっていた義貞と一緒に村を出たんだ」


 親戚さんは、淡々と経緯をそう語る。表情は声音と同じで、感情が見えない。それは、彼にとってすでに過去のことだからなのか。私にわかるはずもない。

 でも……。

 私は、さっきまでとは違った感情で親戚さんを見上げた。

 親戚さんは、当時はつらかったんじゃないだろうか。だって、同じの村の人に不気味がられたんだもの。鬼の五家の人たちは血族だから普通に接していたのかもしれないけど……私だったら、かなり傷つくよ。

 私のご先祖様は、その頃もう地区に住んでたはずだけど……この人につらくあたらなかったのかな………………。


「…………だから、貴方はこの変な世界の奥へ行こうとしてるんですか? 人間の世界が嫌になったから」

「へえ、俺に同情してるのか?」


 私の声音ににじんでしまった感情の色に気づいたのか。親戚さんの片方の眉が意外そうに上がった。それから、面白そうに口の端が上がる。


「べ、別にそんなのじゃないですよ。ただ、貴方の目的がわからないだけです」


 からかう物言いに、ぷいと私は顔をそむけた。く、だから私、駄目だってば。この人は窃盗犯で誘拐犯なんだって。こんな人なんだから、同情しちゃ駄目だって。

 またもや発生する自分の甘さに呆れ、私が心の中でうんざりしたとき。

 親戚さんは不意に、顔色を変えた。

 彼の視線につられて私も前を見ると、連なる鳥居の先に、また扉が見えた。ただし、今度の社はたった今建てられたように白い木で造られていて、金具だって遠目にも輝いている。長い歳月を経た重みをまとって大自然と一体化した奥宮とは、ある意味で反対のような建物だ。


「あれか……!」


 親戚さんは目を輝かせると、急に走りだした。ちょっとこの人、私を抱えていることを忘れていないだろうか。突然大きく揺れだしたものだから、私は身をぎゅっと硬くしているしかない。

 ――――と。


「っ」


 社まで後少し、というところで親戚さんはいきなり足を止めた。急に走ったり止まったり、いきなりなんなの。

 けれど、ばさり、と聞き慣れた音を聞いて、私もまた息を飲んだ。首を捻って、舌打ちしてまた走りだした親戚さんの肩越しに背後を見る。

 私と親戚さん以外に誰もいないはず、何もないはずの場所。けれどそこに、動くものがあった。

 一つは、中空を飛ぶ真っ黒なもの。もう一つは、その真っ黒なものに先導されている、空色の上着を着た人だ。彼らはまだ遠く、誰なのかまでははっきりと見えない。

 でも心臓が高鳴った。

 だってあれは、雪消ゆきげと伊月先輩に決まっている。前に彼らが私を助けてくれたからか、そうでないかはわからない。でも私は助けを確信して、思わず頬を緩ませた。

 大丈夫、これでなんとかなる。というか伊月先輩、この人なんとかしてください。

 とうとう、社の扉の前についてしまった。見た目そのままの、白木の香りが鼻をくすぐる。


「おい、これも開けろ」

「……嫌です」


 冷たい目で命令してくる親戚さんをまっすぐ見上げ、私ははっきりと拒絶した。

 危険な人だから言うことを聞いたほうがいい、と伊月先輩は言っていた。けれどいい加減こんな人の言うことなんか聞きたくなかったし、雪消と先輩はすぐそこまで来ているのだ。少しでも抵抗して、時間を稼がなきゃ。


「開けろ」

「嫌です。どうして貴方の言うことを聞かなきゃならないんですか。私をここから帰してください」


 苛立たしそうに繰り返す親戚さんに、私も改めて拒否を返した。彼の腕から逃げられないとわかってはいるけど身をよじって、全身で抵抗を示す。

 親戚さんの顔が、『茨木しき書店』のとき以上におそろしいものに変わった。美人が怒ると怖いというのは本当だ。恐怖は感じないのだけど、般若やあの古めかしい舞台の鬼面のような形相は、まずい、と思わせるものがある。


「……」


 親戚さんは私をしばらく睨みつけていたけれど、突然、私を下ろした。しばらくぶりに地面の感触を靴の裏に感じ、私は警戒を解かないまま、ほうと小さく息をつく。

 不意に、烏の澄んだ声が聞こえた。はっと振り仰げば、雪消はもうすぐ近くまで飛んできていた。伊月先輩はその少し後ろだ。


「雪消! 伊月先輩! ……っ」


 救いの名を呼び私が駆けだそうとした、そのとき。親戚さんは私の肩をぐいと掴み、強く押した。

 え、と思う間もなく視界が動き、背中が社の壁につく。さらに、白く光るものが視界できらめく。

 何かが壁につきたてられる音と同時に、脇の下辺りがわずかに引っ張られた気がして服を見下ろし、私は愕然とした。

 何しろ孔雀羽色のロングカーディガンが、時代劇に出てきそうな日本の短刀で社の壁に縫い止められているのだ。絶妙な位置に短刀が突き刺さっているせいで、脱ぎ捨てることもできない。

 これ、気に入っていたのに。非日常への誘拐に続く大惨事だ。

 私がそんな呑気なことを一瞬考えているあいだに、とうとう私たちに追いついた雪消は、親戚さんに襲いかかろうとしていた。

 しかし、親戚さんは雪消の突進をかわすと、何事かを呟いた。すると、瞬き一つで鬼の大太刀が彼の手元に現れる。彼が握りしめ一閃すれば、不自然なほど強い風が唸りをあげて生まれ、雪消を近づけさせない。


「雪消!」

「なんだあんた、この烏を飼ってるのか? 何も知らないくせに、業に連なる縁はきっちり揃えてるのか。とんだ運の良さだな」

「わけのわからないこと言ってないで、これ外してくださいよ! それからカーディガン弁償してください!」

「……あんた、ここでそれを言うか?」


 大太刀を肩に乗せ、横目を向けてくる親戚さんは呆れたと言わんばかりだ。う、でも怖くないのだから仕方ないでしょう。

 そうこうしているうちに、伊月先輩が駆けつけてきた。


賀茂かもさん!」

「遅いぞ、司」


 親戚さんはそう、傲然と笑って伊月先輩を迎えた。

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