第28話 鬼の系譜・一
人間は恐怖以外の理由で混乱しすぎると、かえって冷静になれるのかもしれない。この状況下で言うのは変な気がするけど、ほんとにそう思う。
「……もう帰りましょうよ。全然何も見つからないじゃないですか」
「……」
おそるおそるそう促してみるのだけど、親戚さんは黙殺して前へと進んでいく。答えることすら無駄と判断しているのか、そもそも聞こえていないのか。……この距離で聞こえてないって、どれだけ自分の世界に没入しているのだ、この人は。
そう、この距離。私と親戚さんは今、ゼロにきわめて近い距離だった。
えーと、つまりはお姫様抱っこ。
まあ私も、陸上部でもないくせに後先考えずこのアスリート系男子から逃げようとするなんて、無謀もいいところだったとは思う。多分、私が逃げようとしているのはばればれだっただろうし。で、今に至るというわけだ。
……でもやっぱり、なんでお姫様抱っこなのかわかんないよ…………。
予想と違わない親戚さんの無視には、呆れることもできない。諦めのため息をついて、私は周囲に目を向けた。
とは言っても、全然景色なんてないのだけどね。
だってここ、洞窟の中だもの。私と親戚さんはその中に延々と連なっている、テレビで見た伏見稲荷大社のような朱色の千本鳥居を通っている真っ最中。鳥居の色が鮮やかなだけの景色じゃ、気晴らしなんてできやしない。
どうして奥宮の扉が開いたのか、中がこんなところに繋がっていたのか。そもそもこんなところは、日本中どこを探してもないはず。そんな脳内つっこみをするのはもう飽きた。大体、親戚さんが大太刀を手品みたいにどこからともなく出してきた時点でおかしいのだ。今は今で、持っていないし。当たり前じゃないことが次から次へと起きすぎて、一々気にして考えることすら馬鹿らしくなってきていた。
おじいちゃんたち、そろそろ心配しているだろうなあ。そうは思うのだけど、しかし抱き上げられてしまっているので逃げることはできない。暴れても全然抵抗にならないのだ。アスリート系の見た目は伊達じゃないらしい。
…………あ、なんか眠くなってきたかも。
単調な景色と振動と静寂のせいか、人肌のせいか。周囲を見ているのに飽きて瞼を閉じていると、だんだんと眠気が差してきた。慌てて瞼を無理やり開け、目を瞬かせてみるのだけど、まだ眠い。駄目だ、意識しないと、目を瞑った途端に眠ってしまいそう。
……でも、あったかいなあ……………………。
……………………
ってちょっとちょっと、なんでこんなところで眠ろうとしているの、私。鬼の大太刀を盗んだ危険人物に誘拐されている真っ最中でしょう。そうじゃなくても、この人はまだ会って三度目のほぼ何も知らない男の人で、伊月先輩や静さん、店長じゃないのだ。無防備な顔を見せていい人じゃない。起きなきゃ。
「……あんた、致命的に危機感がないな」
捕らえた私の様子について、ずっと前を見ていてもある程度は把握しているのか。私が必死で眠気と戦っていると、長い沈黙を破って、親戚さんは私を見下ろして呆れ声で言った。
げ、見られていた。無防備なところを見られたのが恥ずかしくて、私は頬が赤くなったのを自覚した。
「だ、だって静かだし貴方は全然しゃべらないし、ここは綺麗な景色も何もないし! これで緊張感を保てとか、無理ですよ」
「俺を警戒していれば、眠くなってもそんな間抜け面をさらすとは思えないがな」
私は言い返してみるのだけど、親戚さんは鼻で笑って一蹴する。いらっとして私は顔をひくつかせた。この人最悪だ! おかげで目が覚めたよ!
とはいえ、的確すぎる指摘に私は反論できなかった。
鬼の大太刀で脅され、わけのわからないところへ連れ込まれているというのに、私はまだこの人のこともこの状況についても怖くないままだった。なんというか、近所の知り合いの子とか雪消に悪戯を仕掛けられたときみたいな気がまだしている。ひやっとしているのに、少しは怒っているのに、最後には許してしまう楽観と甘さ。決して傷つけられたりしないという、根拠のない確信。誘拐犯に対してこんなに無防備、無警戒だなんて、ありえないでしょう。
これは紛れもない現実で、この人に脅されているんだってわかっているつもりなんだけど…………。
「……どうやらあんたはあんたで、力だけじゃなく業も受け継いだのかもしれないな」
「業……?」
親戚さんの笑み含みの一言に、私は眉をひそめた。
『業』って、『業が深い』とかの『業』だよね。
そう確か、因果の中でも特に、今の人生に前世の報いとして現れているもの……みたいなことだって、伊月先輩が言っていた気がする。その生では清算しきれなかった報いは、生まれ変わってから受けるんだって。
「あんたも司から聞いてるんじゃないのか? 行為に対する結果は、一見何でもないことでも善悪に関係なく、何らかの形で当人に報いられる。たとえそいつの人生が終わっても、来世で必ず」
「……」
「あんたは、鬼の夫婦を従えた
忠憲は自分に仕えた鬼を大切にしてされもしたらしいからな、と親戚さんは呟くように締めくくる。
私は、冷静になっていたはずの頭が再び混乱してきたのを自覚するしかなかった。
いやだって、忠憲って……あの忠憲だよね。山奥に棲む鬼を従えた術者の忠憲。地区に伝わる鬼伝説の登場人物。というか主人公。
そんな人の力とかあれこれを、私が受け継いでいる? 冗談でしょう。私はただの女子高生だよ。そもそもあの伝説は、ただの作り話で…………。
でもそんなことを言ったら、私が押したら奥宮の社の扉が開いて、私たちがこんなところにいることそのものがおかしいわけで。この人が鬼の大太刀を出したり消したりしていたのだって、謎だし。
鬼の末裔でもない私の家が奥宮へお供え物をしているのも、今は忘れちゃってるだけで、元々はその忠憲と何か関係のある家だからと考えれば納得できるわけで…………ああもう、わけがわからない。
理解しているのかできないのか、納得できないのかしたくないのか、自分でもわからない。何もかもが私の常識の範疇を越えている。
どうにか理解できたのは、一つだけだ。
もし私が忠憲の生まれ変わりで、そのせいで親戚さんに対して無条件に甘いというのなら――――――――
「……伊月先輩も貴方も、人間じゃないんですか……?」
「人間と言えば人間さ。だが純粋な人間じゃない。村から出て行った、鬼の二家の人間だ」
あの地区の神社の近くで生まれ育ったならわかるだろう、と親戚さんは薄く笑った。
わからないはずがない。地区で生まれ育った者なら誰でも知っている、鬼伝説の最後の部分だ。神社の宮司さんや『
――――忠憲に従った二匹の鬼は夫婦で、やがて五匹の子を産んだ。彼らもまた忠憲によく仕えて人間を愛し、忠憲の死後、親鬼たちが山へ戻るのについて行かず、村に留まって人間の女と夫婦になって子を生した。以後、鬼の末裔たちは村の一員となり、村をよく守った。
けれど、互いに婚姻を交わすことで鬼の血を守っていた五家のうち二家は、時代が変わり、村を出て行ってしまう。続いて一家も不幸が重なり、血が絶えた。そうして神社の神職と旅館『鬼灯』の当主の家だけが残り、今に続いている――――
都会へ出た二家の二人は、鬼の血族が名乗っていた『
そして、伊月先輩の家族の人たちが亡くなり、村の外へ出た鬼の末裔は伊月先輩と親戚さんだけになって。親戚さんが先輩を引き取って、親代わりになっていたのだという。
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