第24話 可愛い子・二

「梓。こういうときは、このあいだの坊やにでも守ってくれって頼めばいいんだよ。見たところ、優男だけど体力と腕力はありそうだったし。番犬くらいにはなるだろうさ。送り狼になるかもしれないけどね」

「や、それはないですよしずかさん」


 いつかのときのようにからかってくる店主に、へらりと笑って私は手を振った。

 だって伊月いつき先輩はどう考えても、私のことを後輩の女の子としか見てくれていない。他の子より親しみやすいと思ってくれていても、私が勘違いしそうになるようなことを言ってくれていても。それはただ、自分の趣味のことも気楽に話せる後輩だからにすぎないことくらい、わかっている。……それはそれで、地味に落ち込むんだけど。


「……ああ、坊やがじゃなくて、あんたがあの坊やに惚れてるんだ」

「っ!?」


 にやりと口の端を上げ、静さんがいきなりとんでもないことを言いだした途端。この不意打ちもいいところの爆弾投下に、コーン茶で気分を紛らわせようとしていた私は盛大にむせた。むせすぎて、涙が眦に浮かんでくる。

 今、今、今!?


「おやおや、図星かい。でも、そんなに驚かなくてもいいだろう? まあ、お茶でも飲んで落ち着きな」


 と、犯人である静さんは喉で笑う。その目の色は、どう見ても面白がっているようにしか見えない。ひどいです、静さん。

 コーン茶をもう一口飲んでどうにか口の中と喉を落ち着かせた私は、大きな息をついた後、静さんを涙目でねめつけた。


「な、なんでわかったんですか」

「なんでも何も、あんたの顔を見てれば一発だよ。このあいだも、あんたはものすごく反応してたし。坊やが気づいてるかどうかは知らないけどね」


 と、にっこり笑顔で静さんは説明してくれる。女の勘というやつだろうか。私は耳まで真っ赤になって、がっくりと肩を落とした。

 里彩りさ優希ゆうきに打ち明けたというかばれたときもそうだったけど、やっぱり、誰かを好きだと気づかれるのは恥ずかしい。いたたまれない。誰か私を収穫後の田んぼに埋めてください。

 コーン茶を飲み干した静さんは、盆にグラスを置いた。


「惚れてるなら、尚更一緒に帰ってもらえばいいじゃないか。上手いこと言いくるめてさ。先輩ってことは、なかなか会えないんだろう? 少しでも時間を作らないと、他の女にもっていかれちまうんじゃないのかい? あの坊や、顔はいいんだしさ」

「そ、それはそうなんですけど……でも、あんまり強引だと迷惑だと思いますし……」


 痛いところをつかれ、私は眉を下げた。

 私だって、少しでも長く一緒にいたいし、歳の差と距離には焦っているのだ。学校で伊月先輩を取り囲む、気合いを入れて容姿を整えた人たちほど綺麗にも可愛くもなれない。郷土資料館の近くで見かけた人たちを先輩は苦手だと言っていたけど、他の人は先輩に上手くアピールして、好印象を持ってもらっているかもしれないし。仲の良い後輩の印象で終わってしまうのかも、と落ち込んだことは一度や二度じゃない。

 けど、だからといって自分の気持ちを押しつけて迷惑に思われるのは嫌だ。デートのとき、伊月先輩は同級生を見つけて逃げていた。自分のことしか考えない、わがままな女にはなりたくない。

 静さんはおや、と言うように目を瞬かせた。けれどどこか不思議そうな表情はすぐ、とろける笑みを浮かべる。


「ああもう、可愛いねえ」

「っ!?」


 思わず私が見惚れていると、あろうことか静さんは私を抱きしめた。

 いやちょっと待って、お茶、というか胸、胸が腕に!


「ねえあずさ、うちの子にならないかい? あんたは絵付けもできるし、ちょうど人手が欲しかったんだよ。お給料も弾むよ?」

「……っ」


 耳に降ってくる声はどこか甘ったるく、背筋がぞくぞくほど艶っぽい。ぬいぐるみのように抱きしめられた上にそんな声で誘われるものだから、私は頭の中が真っ白になった。誰か助けて!

 けれどこんなカーテンが下ろされた従業員のいない店内に、誰も入ってくるわけがないのである。自分で何とかするしかない。


「あ、あの……」


 なんとか声をあげてみるけど、どう続ければいいのかわからず、私は視線をさまよわせた。離れてほしいのは山々だけど、直接そう言うのはどうにもはばかられる。他に上手い言い回しはないか、とろくに動かない思考で必死に探す。

 でもそんな魔法の言葉があるわけもなく、私は大人しく静さんの腕の中にいるしかなかった。

 どうしてこんなことになっているのだろう。私はただ、自分が絵付けをしたグラスを取りに来ただけだ。なのにどうして、会って三度目の美女のぬいぐるみになっているのか。誰か理由がわかる人、説明してください。

 そんな馬鹿なことを私が考えて気を紛らわせて、どのくらい経ったのか。不意に、静さんは口を開いた。


「……あんたを見ていると、昔を思い出すねえ」

「昔、ですか」

「そう。……ちょっとばかし昔の話さ」


 言葉のとおり懐かしそうに言って、静さんは私の髪を指で梳いた。ぬいぐるみの次は、猫扱いらしい。にゃー。……やばい、里彩が好きな世界へ突入しそう。

 でも……なんだろこれ…………。

 不思議なことに、私はおじいちゃんやおばあちゃんの昔話を聞いているような感覚がした。私が小さい頃を思い出すのよりもずっと深い気持ちで、遠い日を思う声。大切な宝物をしまっている箱を開くような、丁寧な仕草。

 これも、店長と一緒にいるときにたまに感じるような…………。


「大丈夫だよ、梓。あの坊やはあんたのこと、嫌ってはないんだ。なら、あとは努力すればいいだけさ。努力は必ず報われるわけじゃないけど、どういう形であれ、いつか必ず当人に返ってくるもんだ。それが因果ってやつだからね」

「静さん、えっとそれは……?」


 私が目を瞬かせると、静さんは小さく笑った。


「あの坊やに心を込めて何かしてやればいいってことさ。そうすりゃ、坊やも何か返してくる。そうして重ねたものもまた、いつかあんたに何かの形で返ってくる。そのうちに、あんたが望む坊やの情も返ってくるだろうさ。この世の縁ってのは、そういうものなんだからね」


 不思議がる私の頭を撫で、静さんは優しい声で私にそう言い聞かせる。まるで、小さな子に言い聞かせる母親のように。

 縁――――――――

 その言葉に引きずられるように、私の頭の中にふっと伊月先輩から聞いた話がよみがえった。

 因果というのは、元々は原因と結果という意味でしかない――――そう、以前伊月先輩は言っていた。地面に蒔いた種に適度な水や肥料をあげれば花が咲くように、その花が受粉して実をつけ種になるように。事象には必ず何らかの結果が伴い、結果はまた別の事象の原因となる。それだけの意味しかないって。

 誰でも知っている当たり前の言葉は、すっと心に沁み込んでいく。言葉の意味のすべてが理解できたわけじゃないけど、とにかく何も気にしないで努力すればいいんだって思えてくる。なんだか不思議。魔法みたい。

 けれど――――――――


「……静さんは、伊月先輩と知り合いなんですか?」

「……はあ? いきなり何を言ってるんだい?」


 私がおそるおそる質問してみると、そんな頓狂な声が返ってきた。ありえない、と言わんばかりの響きだ。


「だ、だって、因果とか、返ってくるとか、伊月先輩みたいなこと言うから……」


 抱きしめられているから、静さんの顔を見ることはできない。けれど私は恥ずかしいのやらなんやらで、消え入りそうな声を出すのがせいいっぱいだった。

 案の定、静さんの声に深い笑みが混じった。


「ああ、もしかしてやきもち焼いてたのかい? やっぱりあんたは可愛いねえ」

「し、静さん……!」

「やきもちなんか焼かなくたっていいんだよ。私は陽で充分だし、あの坊やだって会ったばかりの私にその気があるわけないだろう?」

「静さん、痛いです……!」


 ますます強い力で抱きしめられ、私はとうとう悲鳴をあげた。静さんはああごめんよと言って、力を緩めてくれる。


「……ほんとに、会ったばかりなんですか?」

「ほんとだよ。あんたがあの坊やと一緒に来たときに顔を見たけど、話をしたのはそのグラスの絵付けをした日が初めてさ。あきらから話は聞いてたけど、私は陽の店には行かないからね」


 私がなんとか顔を上げると、静さんはにっこりと笑って断言する。

 私は全身で息を吐いた。

 よかった。知り合いじゃないんだ。それなら、伊月先輩がここへ来たがっていたのは私の頭の簪を見て、行ってみようと思ったからだけだよね。

 こうして、悩みが一つ解決したのはよかったのだけど。

 何故か静さんになかなか放してはもらえず。『夢硝子ゆめがらす』を出た頃には、私は疲労困憊していた。

 ……敬老の日のプレゼント、百貨店で何か買ったほうがいいかも。

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