第23話 可愛い子・一

 今日はバイトがない上に、里彩りさ優希ゆうきも部活だ。ということで、私はさっさと学校を出た。

 田んぼの横を通り抜け、商店街も抜け。『夢硝子ゆめがらす』の前まで来て、私は眉をひそめた。


「あれ……? 閉まってる?」


 引き戸が閉まっているだけでなく、店内に光を採り入れる窓に生成り色のカーテンが下りている。けれど引き戸には『CLOSED』の札はかけられてなくて、一見すると営業中なのかどうかわからない。

 確か、平日のこの時間は営業中だったような気がするのだけど。急に休みになったのかな。


「……」


 少し悩んで、私は取っ手に手をかけた。横へ力を込めると引き戸はあっさり横へとすべり、店内があらわになる。

 あれ、鍵なし……?

 おそるおそる中へ入ってみれば、店内はいつもと変わらず、たくさんのガラス細工が棚に所狭しと並びられている。違うのは、カーテンが閉まっていて外の光が入ってこないことと、座敷のガラス障子が閉められていることくらいだ。

 うわ、今日も無防備営業ですかしずかさん。いくら呑気で親切な人が多い地区だと言っても、観光客が来る商店街の近くなんです。そろそろ用心したほうがいいんじゃないでしょうか。


「静さん……?」


 念のため、と座敷に近づいてつま先立ちして、ガラス障子の向こうを覗いてみる。すると、静さんはガラス障子に背を向けるようにして横になっているのが見えた。座敷の端には、絵付けがされたガラス細工が大小問わず、ずらりと並んでいる。

 絵付けの作業に疲れて一眠り、といったところだろうか。私が店に入っても起きないところからすると、かなり疲れているのかもしれない。

 柔らかな朱鷺色の単が際立たせている、真っ白で豊かな胸元やおみ足が覗く美女のしどけない寝姿は、女の私でも目の置きどころに困る魅力に満ちあふれていた。ただ眠っているだけなのに色っぽくて、悩殺って言葉がぴったりくる。うんこれ、いっそ凶器じゃないだろうか。

 踵を床につけてくるりと扉を向き、私は悩んだ。

 どうしよう。帰ったほうがいいんだろうけど、このまま放っておいていいのかな。常識も理性もない男の人が来たりしたら、静さんが大変なことになるよね。でも、店員でもない私が勝手にお店の戸の鍵を閉めたりしていいのかなあ……。

 どうしようか私が決めかねていると、座敷から不意に、畳を擦る音が聞こえた。続いて、深い息をつく音が聞こえる。さらに小さなあくび。…………その声もやばいですって、静さん。

 ガラス障子に細い腕が見え、ごそごそ音がしてしばらくした後。がらがらと音をたて、ガラス障子は開かれた。


「おや、あずさかい」

「す、すみません。また勝手にお邪魔しちゃって……」


 寝起きの気だるさを漂わせた顔で笑む静さんに、私は慌てて頭を下げる。したたる色香の破壊力はすさまじく、同性だというのに胸が高鳴ってしまう。駄目だ私、そっちの方向に行っちゃいけない。

「いいさ、いい加減起きなきゃいけなかったからね」

 初めて会った日のように私をあっさり許すと、静さんはゆっくりと身体を起こした。また小さくあくびをして腕を伸ばし、頭を振る。


「このあいだのグラスを取りに来たんだろう? 奥にしまってあるんでね、ちょいと待っておくれ」


 さらにそう言って、立ち上がった静さんは座敷から下りると店の明かりをつけ、店の奥に行ってしまう。とんでもない色香が視界から消えて、私は心底ほっとして息をついた。いやまあ目の保養だよ、保養なんだけどね……!

 一人残された私は手持無沙汰になり、座敷に座ると、新聞紙の上に置かれた品々に目を向けた。

 私が絵付けをさせてもらったときとは違って、今日並んでいるのは置物の類ばかりだ。虎に熊に鶴に龍。身体や目に濃淡様々な色を施されたその姿はどれも生き生きとしていて、外側の商品棚に置かれた龍同様、今にも動きだしそうな躍動感と迫力がある。

 こうして見ると、絵付けはただの道具でしかなかったものに命を吹き込む作業なのかもしれない、と思える。まっさらな美に、生命の力を与える作業。まるで神様みたいだ。

 職人になるにはとても大変だというけれど、こんなに素敵なものを自分の手で造ることができるのは心躍ることに違いない。美人なだけでなく、そんな才能を持つ静さんはほんとにすごい人だ。


「待たせたね」


 そのすごい人はその言葉と共に、店の奥から再び姿を現した。両手には、私が絵付けをしたグラスとお茶を入れたグラスが二つ乗る盆を持っている。月や紅葉、秋の草花が描かれた季節に相応しいグラスだ。幾何学文様の彫刻がされた盆も、艶と深みを帯びた胡桃色で、部分によって濃淡があり、これまた私の好みにぴたりと合っている。

 私の隣に腰を下ろすと、静さんは黄色い小菊を散らしたコースターを添えて、琥珀みたいに綺麗な色の飲み物が揺れるグラスを私に差し出した。細部までガラス細工店らしい小道具の数々だ。

 飲み物を一口飲んでみると、紅茶や甜茶とは違ったほのかな甘味が私の喉を通っていく。あ、これコーン茶かな。緑茶の苦みも嫌いじゃないけど、麦茶とかこういうのみたいにほどよく甘いのも好きなんだよね。

 半分くらい一気に飲んで乾いた喉を潤した私は、先日絵付けしたグラスを手にとった。

 日を置いてから改めて見てみると、自分で描いたのに違うように見える。この座敷で描いたのは、ほんの数日前だというのに。家紋を入れてあるからか、まるで特別にあつらえたものみたい。なんだか照れくさくも感じる。

 帰ったらおじいちゃんたちに見せよう。これを敬老の日のプレゼントにすれば喜ぶかも。ああでも、それなら二つ作らないとおばあちゃんが一人占めするかな。

 そんなことを考えながら、私は新聞紙を一枚もらってグラスを包み、鞄にしまった。それから私は静さんに向き直る。


「あの、ところで静さん」

「ん? どうしたんだい」

「ここ数日、変なことが身の周りに起きたりしてませんか? その、行き帰りに誰かに尾行されてるとか」

「いや、ないねえ。いきなりなんなんだい?」


 答えてくれた静さんだが、眉をひそめて不思議そうだ。まあ、当然のことだけど。

 伊月いつき先輩、ごめんなさい。私は心の中で謝って、静さんに昨日、『茨木しき書店』であったこと――――私が伊月先輩の親戚さんに、あの簪を買った店へ連れて行くよう脅されたことを話した。

 私がここへ来たのは、絵付けしたグラスをもらうためだけじゃない。静さんに昨日『茨木書店』であったことを話すためでもある。だって親戚さんは、静さんに会おうとしているんだもの。店長が話しているかもしれないけど、昨日起きたばかりのことだしあの無口な店長のことだから、もしかしたら話していないかもしれない。注意を促すくらいはしたほうがいいに決まっている。

 話を聞き終えた静さんは、一つ大きく頷いた。


「その話なら、あきらから聞いてるよ。妙なのがあたしを狙ってるかもしれないから、気をつけろってね」

「そうなんですか……静さんは、何か心当たりありますか? 多分あの人、私が買った簪を見て、この店へ行ったことがわかったんだと思うんですけど……」

「さてねえ。若い男に追っかけられるのは悪い気はしないけど、心当たりとなるとね。このご時世、ささいな理由で人を追いかけ回す輩は少なくないからねえ」


 肩をすくめた静さんは、それより、と心配そうな顔を私に向けた。


「あんたの話からすると、あんたも危険なんじゃないのかい? 脅されたんだろ?」

「ええまあ、そうですけど……」


 私は首を傾け、曖昧に笑った。

 心配してくれる人たちには申し訳ないけど、当の私はそれほど危険だとは思ってなかったりする。喉元過ぎれば、というか。危険な人だと伊月先輩から言われているけど、迫られて、まずいなあと思っただけ。だからつい、曖昧な返事になってしまう。

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