第22話 募る不安

 優希ゆうきが実に物騒な空気で送り出してくれた後。私がセミナーハウスの裏手へ案内すると、伊月いつき先輩は枝ぶりが見事な太い桜の木を見上げた。


賀茂かもさんの友達が言ってたのって、この木?」

「はい。今は誰もいないですけど、授業をさぼりに来る人もいるみたいです。教室や廊下から見えませんから」


 そう生徒間での用途を説明し、私は使ったことないですけど、と念のため、私は弁明した。

 園芸部が整えた花壇の向こう、普段はあんまり使われないセミナーハウスの影が下りる立派な桜の木。見つけたときは絶対ここ花見スポットだよと思ったそこが、色々な用途に使われるスポットだ。

 ……うん、ほんと、ここってこそこそし放題なんだよね。セミナーハウスの裏で、木の枝が校舎からの視線を遮ってしまう。先生たちの目に届きにくいし。子供は詳しいことを聞いちゃいけない一昨年の一件以降、不定期で用務員さんが見回っているらしいけど、それで怒られた人の話は聞いたことがないから、多分見つかる心配はないと思う。

 まあ、そんなことは置いといて。


「話っていうのは……親戚さんのことですか?」

「うん。昨日、義孝よしたかが家に来てさ。俺に喧嘩売るついでに『茨木しき書店』へ行ったって言ってたから……店長が追い払ったそうだけど、あいつに何もされなかった?」


 尋ねられ、私は目を瞬かせた。


「はい、何もなかったですよ。ちょっと話が長引いただけで……」

「つまりは絡まれたんだろ? ごめん、あいつ、人の話を聞かない奴なんだ」


 伊月先輩は額に手を当て、横を向いてため息をついた。

 ああ、これきっと、転校前はさぞ親戚さんに振り回されていたのだろうな。想像できる。先日のあれといい、それだけでは説明がつかない仲の悪さのような気がしなくもないけど、一因であるのは間違いない。

 それで、と私に向き直って伊月先輩は話題を変えた。


「あいつ、君に何の話をしてきたの?」

「え、と……先輩がどこにいるのか聞かれて……それから『夢硝子ゆめがらす』へ案内してくれって頼まれたんですけど……」

「……! それで教えたの? ……本当に何もされなかった?」

「は、はい、何もされてないですよ」


 真剣な様子に気圧されながらも、私は首を振った。


「それに私、『夢硝子』への行き方も教えなかったんです。先輩に言うのもあれですけど、その、あんまり偉そうだったから腹が立っちゃったんで」

「あいつとまともに話をして、腹が立たないほうがすごいよ、逆に」


 はあああ、と伊月先輩は長い息を吐く。心底安心したといったふうだ。でも――――

 ……伊月先輩は、どういう意味で安心したのだろう。単に、私のことを心配したからなのか。……『夢硝子』への行き方を教えなかったこと――――静さんに会わせなかったことに対して、なのかな。

 もし、そうだったら…………。


「……今回は店長が助けてくれたからよかったけど、あいつはしつこいから、また君のところへ来ると思う。あいつ、目的のためなら手段を選ばないところがあるし……君に暴力を振るうかもしれない」

「まさかそんな、それはないんじゃ……」

「やるよ、あいつは」


 顔をひきつらせる私に、伊月先輩はきっぱりと言った。


「だから、少しでもやばいと思ったらあいつの言うことを聞いたほうがいい。君が言うことを聞いてるうちは、危害を加えないはずだから」

「はあ……」


 伊月先輩はそう繰り返し危険を主張するけれど、私は曖昧な答えと表情しか返せなかった。だって、そんなに危険な人に見えなかったんだもの。や、昨日はさすがにやばいかもと思いはしたけどさ。そこまで危険視する必要があるのかな。


「……親戚さん、何か、そういうやばいことやらかしたんですか」


 疑問が募り、気づけば私は問いを口にしていた。

 その途端。伊月先輩の表情と雰囲気が変わった。しまった、とでも言うかのように大きく揺らいで、それを落ちつけようと無理やり抑えつけたものになる。一瞬逸れた視線と仕草は、私の質問が的確だったことの何よりの証拠になった。

 視線をさまよわせた後、観念したように伊月先輩はああ、と頷いた。


「……新聞沙汰にはならなかったけど、あいつ、ちょっと前に問題起こしてさ。そのせいで怪我人も出てね……俺がここへ転校してきたのも、まあ、そのあおりみたいな感じなんだ」

「……!」

「あいつが賀茂さんに目をつけてるなら、あいつが何をやらかすかわからない。俺が止めても聞くような奴じゃないし……だから、心配なんだ」


 伊月先輩はそう、言葉どおりの色を顔に浮かべた。


「義孝は腹が立つ奴だけど、あれでも俺の親戚なんだ。俺は、あいつにまた誰かを傷つけてほしくない。……君があいつに傷つけられるのも、嫌なんだ」


 そうして伊月先輩の顔はゆがみ、心配の色はさらに深まった。だからあの人には関わらないほうがいい、と言外に訴えかけてくる。

 ……ずるい。ただでさえ伊月先輩のお願いは断れないのに、こんな顔されて見つめられて、首を振ることなんてできるわけがない。そんな反則技、使わないでくださいよ。


「……わかりました。あの人が近づいてきても、逃げるようにします」

「うん、そうしたほうがいい」


 眉を下げて私が了承すると、伊月先輩はほっとしたふうで頷いた。本気で会わせたくないらしい。……親戚さん、一体何をやらかしたんだろう。怪我人が出るほどって……。


「でも、なんで伊月先輩の親戚さん、私に『夢硝子』へ案内させたがってるんでしょう。自分で行けばいいのに。それに……資料館の鬼の大太刀も……」

「……」

「……伊月先輩、あの、もしかして、先輩の親戚さんは…………」

「……」


 古物専門の泥棒なんじゃないだろうか。尋ねずにいられずそう問いかけてみると、伊月先輩は気まずそうに顔を逸らした。私たちのあいだに居心地の悪い沈黙が下りる。

 だから私は、あの人が大太刀を盗んだのだと確信する。いや、してしまった。


「やばいですよ伊月先輩! 早く郷土資料館に返さないと……!」

「わかってる。でも、あいつがあの大太刀を今泊ってる『鬼灯ほおずき』とか、わかりやすいところに隠しておくはずがない。第一、証拠がないし……聞いてもしらばくれられるだけだよ」

「でも、あれは神社がずっと守ってきた、地域の大切な宝物なんですよ。鬼に守られた土地なんだ、だから農作物も人も山の獣の被害に遭わないんだって、今でもうちのおじいちゃんやおばあちゃんみたいに考えてる人はいるんです。そんな人たちにとって、あの大太刀は山の鬼が残していった守り刀みたいなものなんです」


 顔を俯きがちにしてゆっくりと首を振る伊月先輩に、私はそう言い募った。

 この地域で生まれ育って、お父さんやおじいちゃん、おばあちゃんたちを見てきたから知っている。あれは、鬼祭りや鬼の子孫を名乗る人たち、神社と同じように、山の鬼の伝説を象徴するもの。私にとってお気に入りの刀というだけじゃない。山の鬼の伝説と共に生きてきた人たちすべてにとって、大切なものだ。


『山の鬼さんの刀を盗むなんて、なんちゅう罰当たりな。そのうち山の鬼さんらに食われてもうてもしゃあないわ』


 大太刀が盗まれたと話を知ったときの、おじいちゃんとおばあちゃんの憤った顔と言葉が脳裏に響く。

 ああそうだ。人間に刀をあげたことなんてもう忘れてしまっているかもしれないけど、覚えているならきっと、山の鬼は怒るに決まっている。

 山の鬼が下りてきて、食べられてしまうよ――――――――

 ……うん、そうだ。山の鬼がいるかどうかはともかく、鬼の大太刀は取り戻さないといけない。関わるなと伊月先輩に言われても、こればかりは聞けない。

 私は、この地区で生まれ育った子供なのだから。

 わかってる、と伊月先輩は繰り返した。


「どうにかして、俺があの大太刀を取り返すよ。あの大太刀がこの地区にとって大切なものだってことは、俺もわかってるつもりだから。義孝が大人しく渡してくれるとは思えないけど……」

「わ、私も協力します! 何ができるかわからないですけど、一人より二人のほうがいいと思いますし。大太刀は絶対に取り返さないと」

「ありがとう。でも、俺一人でなんとかするよ。身内の不始末は、身内でどうにかしないとね」


 そう、にこりと無理やりなふうで微笑んだ伊月先輩は、緩く首を振ると何故か苦しそうな顔をした。


「……さっきも言ったけど、俺は、君に危険な目に遭ってほしくないんだ」

「……!」

「君は何もしなくていい。……………………何も知らなくていいんだ」


 そう、ささやくように、私の頭の中に刷り込むように。伊月先輩が紡いだ声は、いつもより少し低かった。瞳は揺れ、形の良い眉は寄っていて。そのすべてが、伊月先輩が何がとても悩んでいることを私に教えてくれる。


「伊月先輩……?」

「義孝には近づかないで、賀茂さん」


 戸惑う私に、伊月先輩は繰り返した。その様子は優しく穏やかではあるけれど、私に命令するような強さがどこかある。重圧、と言えばいいのかな。親戚さんが『茨木書店』で私にしたのと、少しだけ似ている。

 なんでだろう。全然様子が違うのに、鬼祭りの夜に見た伊月先輩の立ち姿が重なる。祭りの喧騒のただ中にあって周囲と切り離されたような、あの弱々しい背中と横顔。

 どうして――――――――?

 不安と疑問が胸の中に積もっていく。けれど私はそれをどうすることもできず、伊月先輩にぎこちなく頷いてみせることしかできなかった。

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