第21話 三人寄れば・二

 私は、顔を少しだけ俯かせた。

 伊月いつき先輩が一人暮らしなのはこのあいだのことで知ったところだけど、転校してきた理由はそういえば、考えたことなかった。都会からこんな田舎になんて珍しいとは思ったけど、最近はそういう家族連れがないわけじゃないもの。優希ゆうきも家族で都会から移住してきた子だし。特に気にしたことなかった。……ここ最近は、気になって仕方ないけど。

 ………っていうか伊月先輩、彼女いたんだ。初耳。

 でも、先輩はあんなにかっこよくて優しくて、頼りになるのだもの。勉強もできるし、聞いた話じゃスポーツも得意らしいし。誰かと付き合ったことがあっても、不思議じゃないよね。

 元カノさんって、どんな人だったのかな。……少なくても、私みたいに平凡な子じゃないよね、きっと。

 私が自分の推測に勝手に傷ついている一方で、クリーム色に若葉色のラインが走るランチボックスを片づけた優希は、半眼になった。


「……里彩りさあずさが落ち込んでるのに、追い打ちかけてどうするのよ」

「別にいいじゃん、もう消えた噂だし。こないだの鬼祭りで見た感じ、いい人っぽいし。先輩自身には問題ないなら、噂なんて気にしなくていいでしょ?」

「なら尚更、教えなくてもいいじゃない。梓は伊月先輩のこと好きなんだよ? ただでさえ先輩の親戚さんが来たことで悩んでるみたいなのに、先輩の噂とか、前に付き合ってた人がいるかどうかとか聞いたら、余計なことまで考えちゃうに決まってるじゃない。里彩ならわかるでしょう?」


 それに、と優希は言葉を続ける。


「伊月先輩だって、梓のこと嫌ってるわけじゃないだろうから、全部嘘でも自分の悪い噂なんて聞かれたくないでしょうし。私たちが変なこと教えて梓が疑心暗鬼になったりしたら、余計に問題をこじれさせちゃうかもしれないよ? 疑心暗鬼って怖いんだから」

「……」


 優希の淡々とした容赦ない指摘に、里彩は黙りこんだ。視線をあちこちにさまよわせ、しゅんとなる。

 き、きつい……優希の毒舌はいつものことだけど、ここまできついのは久しぶりだ。男子でも大人でも、これは心が折れるでしょう。

 さすがに可哀想になって、私は口を挟んだ。


「優希、私は平気だよ。初めて聞いたことばっかりだったけど、伊月先輩に悪い噂が流れたのは、意地悪な人が適当なことを言ったからに違いないもん。だから、すぐに消えたんでしょう?」


 優希を宥め、私は最後に里彩に問う。里彩はうん、と小さく頷いた。


「梓、ごめん。ちょっと調子に乗りすぎたかも」

「ううん里彩、謝らなくていいよ。私、伊月先輩に元カノがいたとか、変な噂があったくらいで落ち込んだりしないし。ただ、びっくりしたというか何というか……」


 私は苦笑して首を緩々と振った。

 もちろん、伊月先輩のことを悪く言う人がいることは嫌だ。けれど今はそれより、自分が先輩のことを知らないという事実を突きつけられたことのほうが、悔しくて悲しかった。先輩の住所や引っ越してくる前のことなんて、私、知らない。彼女がいたことも、噂話のことも今初めて知ったばかりだ。つい数日前に知ったばかりの先輩の一人暮らしを、里彩がとうに知っていたことも私を複雑な気持ちにさせる。

 伊月先輩とバイトで一緒なのは私だけで、好きなものもメールアドレスも教えてもらっていて、気の合う子だって思ってもらっているのに。それなのに――――――――ああ、嫌だ。もやもやする。

 それに――――――――

 私の沈黙は、それ以上先に続くことはなかった。だって、寝そべっていた猫たちが急に起きだし、一点を睨みつけて毛を逆立たせたから。まるで、危険なものの到来を察知したかのように。


賀茂かもさん」


 え?


「伊月先輩?」


 え、嘘!?

 建物の影から現れた話題の人物――伊月先輩を見て、私は目を丸くした。いやそりゃ噂をすればって言うけど……なんで?

 って、疑問に思っている場合じゃない。猫たちを宥めなきゃ。


「皆、大丈夫だよ。伊月先輩は悪い人じゃな……え、あ、皆!?」


 え、逃げた?

 私が優しく声をかけたのに、猫たちはものすごい速さでばらばらに逃げてしまった。それでも伊月先輩がいるほうを選ばないあたり、本気で敵と認識していたんだろう。もう姿も見えない。

 動物に嫌われているって、山での転落事故のときに伊月先輩は言っていたけど、あれ、本当だったんだ。でも、ここまではっきりと警戒されている人、初めて見るかも。普通の人が近づいても、あそこまで怯えないよ。

 そんな猫を見送った伊月先輩は、私たちのところまで来ると、黒猫ちゃんが逃げたほうへ目をやって残念そうに息をついた。


「賀茂さんがいるなら、なんとか留まってくれると思ったんだけどな……ごめん、お昼の邪魔をして」

「い、いえ全然!」


 ええちっとも! むしろナイスタイミングです。


「伊月先輩、どうしたんですか?」

「うん……ちょっと賀茂さんと話したいことがあるんだけど、彼女を連れて行ってもいいかな?」


 と、伊月先輩は里彩と優希を一瞥すると、申し訳なさそうに小首を傾けた。

 話したいこと? ってもしかして……。

 思い当たってどきりとする私が答えるより早く、里彩がどうぞどうぞ! と満面の笑みで両手を合わせた。


「持ってってください! そうだ、梓。荷物は教室へ持ってっとくから」

「先輩、二人きりで話すなら、あっちのほうがいいですよ。セミナーハウスの影になってて、いい感じに人目につきにくいんです。校舎からの音もあんまり聞こえないですし」


 里彩に続き、優希も花壇の奥のほうを指差して伊月先輩を誘導する。にやにや顔と上品な笑顔。どちらもたっぷりと含みがある。というか、それしかない。

 でもねえ……。噂が頭をよぎり、私は里彩と優希に色々と物申したくなった。

 だってセミナーハウスの裏手って、確かに授業をさぼるのにちょうどいいけど、あんまりよろしくない噂の場所なんだもの。一昨年の秋くらいに、当時の二年生が年上の彼氏とこっそり年齢制限にひっかかることをしていたのをたまたま生活指導の先生が発見したっていう…………もちろんその二年生は即刻親を呼び出されて、あっという間に地区中の噂になったんだよね…………。

 いやまあ、だからって伊月先輩がそんなことするわけがないんだけどさ。でもいざ自分が男の人と二人きりで行くとなるとねえ…………。

 引っ越して三ヶ月程度の伊月先輩に教える人は誰もいなかったのか、先輩は優希が示した場所に驚くそぶりも見せず、ありがとうと笑いかけるばかりだ。ああ、逃げ道が塞がれていく……先輩の友達さん、私の黒歴史を教えるくらいなら、こっちのほうを教えてあげてくださいよ……。


「あ、そうだ伊月先輩」


 喜ぶべきなのか微妙な親友たちの気遣いに心の中でツッコミをいれながら、どんなものを目にしてもおかしくない場所へ行こうとしたところで、不意に優希が伊月先輩を呼び止めた。あれ、何か言い忘れ? 私も伊月先輩も振り返る。

 その、笑顔。笑っているのは形だけで、迫力がある、言うことを聞かせようとする空気。

 中学以来の親友が見せた、今まで見たことのない表情に私は息を飲んだ。里彩もぎょっとして、隣の優希を見ている。


「梓を泣かせたら、許さないですから。覚えておいてくださいね?」


 声も表情と同じで、笑みを含んでいるようでいて少しも笑っていない。それだけに、余計優希の意思が際立って感じられる。ろくでもない場所へ行く私たちをからかっているとは到底思えない。

 ……あの、優希さん? 伊月先輩はいい人ですよ? というか、さっきから進んで私と伊月先輩を二人きりにさせようとしてましたよね? なのになんで、そんな怖い顔なんでしょうか。


「……………………肝に銘じておくよ」


 おろおろする私の隣で、優希の迫力に応じるように伊月先輩はとても真剣な顔で頷く。そして、私の手を引いて歩きだした。

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