第20話 三人寄れば・一
小学校の頃から一体どれだけ聞かされているかわからないチャイムが、子守唄のように眠い英語の授業の終わりと昼休憩を告げる。やっと授業から解放された私と
山の麓にあるこの学校の裏庭には、園芸部が毎日世話している花壇がある。季節の七草を中心に日本古来の草花が何種類も植えられていて、今は薄い青紫の竜胆や淡い赤紫の藤袴が見頃だ。表の庭のような華やかさがないからか、他の生徒がやって来ることはあまりない。地味でまったりした空気が流れるこの庭は、私のお気に入りなのだった。
「……ちょっと
自分で作ったお弁当を食べていると、毎日昼までに完売する食堂の焼きそばパンにかぶりつく里彩が胡乱な顔で私を見つめ、そんなことを言った。
あはは、やっぱりわかるよね。朝からテンションが上がってないのは自覚しているだけに、私は苦笑するしかなかった。
「そんなにひどい顔、してる?」
「してるよ。少なくても、私が学校に来て教室入ったときからずっと。ねえ優希? あんたたちもそう思うでしょ?」
里彩が問いかけると、優希はうんと頷いた。一方、里彩が言うところの『あんたたち』――――私の周りで寛いでいる虎猫や黒猫たちは寝そべったまま、耳を動かして反応するだけだ。なんというか、ほっといてよー、な感じ。今日はいい天気で日陰でも適度な気温だから、眠いのだろうな。一緒に寝たいなあ。
「何か、悩んでるの?」
「う、ん、悩んでるというか……」
お手製玉子サンドウィッチの最後の一切れを一口で食べ終えた優希に尋ねられ、私は言葉を濁した。
昨日からずっと、
そして、鬼の大太刀が盗まれたこと。
そうしたことがふとした折にぐるぐると頭の中でよみがえるたびに、浮上しかけた気持ちはずんと沈んでしまうのだ。考えすぎだと自分に言い聞かせても、上手くいかない。気にせず日常を楽しむなんてできなかった。
けどいつもの愚痴みたいに、里彩や優希に打ち明けることはできない。これは簡単に誰かに言っていいことじゃないことくらいは、私でもわかる。
私が言いにくそうにしているからか、優希は首を傾けた。
「私たちに言えないこと?」
「まさかそんなことないでしょ優希。どうせ、伊月先輩と何かあったから落ち込んでるに決まってるって」
「でもこのあいだ、梓は伊月先輩とデートしてたよ? ちらっと見ただけだけど楽しそうだったし……あれからすぐ何かあったとは思えないけどなあ」
「デート? ちょっと梓、あんた伊月先輩とデートしたの?」
ちょっ、声大きいって! 優希が疑問を口にした途端、手をひらひらさせていた里彩が声を裏返らせるものだから私は慌てた。いくら人が来ないと言ってもここは教室に近いのだから、誰かに聞かれるかもしれないのに。伊月先輩狙いの女子に聞かれたらと思うと怖い。
女子高生三人で恋バナとなれば、何が起こるかなんてわかりきったこと。鬼祭りのときのように、里彩はにやにや、もとい生き生きしだした。
「どこ行ったの? 隣町の遊園地? 水族館? 映画館もありだよね。今ちょうど、漫画原作の恋愛ものやってるし」
「うーん、でも里彩、多分どれもないと思うよ。伊月先輩が持ってた袋、遊園地とか水族館とか、映画館の袋の色じゃなかったもの」
「そうなの? じゃあどこよ梓、もしかして、植物園か神社とかいうおち?」
あんたならありうるよね、と里彩は付け加える。さすが二人とも。隣町のお出かけスポットの情報も私の嗜好も、ばっちり把握済みだ。
さあ吐け、という二種類の笑顔の圧力に、私は顔を引きつらせた。ああ、言った後の二人の顔が想像できるよ。
私が二人の視線に耐えていられる時間は、とても短かった。
「…………郷土資料館」
「はあ!? 先輩との記念すべき初デートが郷土資料館? 映画館でもカフェでもなくて? ありえない!」
目を逸らしてぼそりと告白すると、予想どおり、里彩は叫んだ。まあそりゃそうだよね、どう考えても課外授業で行くようなところだもの。高校生のデート先じゃない。
優希も、不思議そうな顔をしていた。
「どうして郷土資料館にしたの? 遊園地とか賑やかなところは嫌だったなら、隣町の植物園にでも行けばよかったのに。あそこは最近、ドイツの食べ物フェスとかバードショーとか、色々とイベントをするようになって人気だって聞いたよ?」
「伊月先輩は、民話とか伝説とかが好きだから。鬼祭りのときも、用事で練り歩きも芝居も見られなかったから残念がってたの。それで、建て替えた郷土資料館なら鬼祭りの資料が展示されてますよって言ったら、すごく行きたそうにしてて……」
「だからって、郷土資料館とかありえないでしょー……」
何やってんの、とばかりに里彩は額に手を当てて頭を振る。真っ当な女子高生の意見に、私はもう笑うしかない。いや、これは反論できないでしょ。楽しかったし、どきどきしたけどさ。
「でも、それならどうして? 楽しかったんでしょう?」
「うん、まあデートは楽しかったんだけど……」
優希に促され、私は目をさまよわせる。ええ、そりゃあ楽しかったですとも。デートそのものは。
ここまできたら、もう言ってしまおうかな…………。
悩んで、私は口を開いた。
「……郷土資料館へ行った後、『夢硝子』へ行こうとしたの。でも途中で、伊月先輩の親戚だっていう人に会って……」
「もしかして、その人と喧嘩腰になって、結局お流れ?」
「ううん、一応行きはしたんだよ。でも後味悪かったし、昨日もバイト先にその人が来て、ちょっと色々あって。それで、なんか気になっちゃって……」
里彩の推測に私は頷き、そう補足して締めくくる。ちょうどお弁当も食べ終わって、私は蓋を閉めた。
このくらいならいいよね、多分。……うん、伊月先輩の親戚さんが鬼の大太刀や『夢硝子』に興味を持っていたことは、こんな時期なんだからきっと言わないほうがいい。親戚さんが鬼の大太刀を盗んだっていう証拠はないんだし。
でもそれならさ、と里彩はすぐ口を開いた。
「あんたが悩んでもどうしようもなくない? 伊月先輩だって、あんたに首突っ込んでほしくないだろうし。バイトで会っても、いつもと同じでいればいいって。伊月先輩の元カノ絡みで何かあったとしても、今ここにいないんだし!」
焼きそばパンを食べ終えた里彩の、満面の笑みによる太鼓判である。しかも、右手の親指をぐっと突き出すおまけ付きだ。
私は眉をひそめた。私の周りにいた猫たちも、顔を上げてうるさいなあとでも言いたそうだ。
「里彩、なんでそんな話になるの?」
「だって、その親戚さんはわざわざ都会からこの地区へ、伊月先輩を探しに来たんでしょ? てことは、何か重大な用があるはず! それに伊月先輩、転校する前は彼女いたけど転校前に別れたみたいなこと言ってたって高橋先輩から聞いたし! そっちの線もありえるでしょ!?」
「……里彩、妄想しすぎ。どうせ、最近はまってる漫画の影響でしょ?
「ご、ごめん。つい……」
一人で勝手にテンションを上げていく里彩に、優希がきつーいクールダウンを促した。あ、この表情。一応にこにこしてはいるけど、呆れているときのやつだ。まーた始まった、とでも心の中で言ってそう。
でも、と里彩は優希に反論した。
「真面目な話、伊月先輩って六月くらいに転校してきたから、夏休みに入るまでは二年のあいだで、色々言われてたみたいなんだよ。前いた学校で問題起こしたから転校してきたんじゃないかとか、親が問題ありじゃないかとかさ」
「え、そうなの?」
「実際、親と一緒に引っ越してきたんじゃないっぽいよ? 部活の先輩に、伊月先輩の家の近くに住んでる人がいるんだけどさ。伊月先輩の家、伊月先輩以外が出入りしてるのを周りに住んでる人は見たことないんだって。親の転勤とかじゃない理由があっての転校なのは、間違いないよ」
目を瞬かせる私に里彩は頷き、そう結論づけた。
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