第19話 探す人
最近、私はものすごく運がいい。
だって、
だから、その反動なのかな、この状況は。
そう、私は今日も今日とて『
それで、店長が午前中に虫干しした本を書棚へ入れ戻し、荷台に載せていた本をひとまずしまい終えて。からからと店の扉に取り付けられた鈴が鳴るのを聞いて、私は口を開こうとした。――――そう、開こうとしたのだ。
本棚の上のほうの角に取り付けられた鏡に映ったのが、見たことのないお客さんだけじゃなく、伊月先輩の親戚さんだと気づいた瞬間に閉じてしまったけど。
で、それから私は今に至るまで、親戚さんが店内のどこにいるのか意識し続けている。もちろん、他のお客さんがいるからレジへ向かっているのを見たら清算はしているのだけど、親戚さんに見つからないか気が気じゃない。どうか、と願ってばかりだ。
「怪しすぎるよね、これ……」
本の整理と称して一人かくれんぼを決行しながら、私は呟いた。
伊月先輩と親戚さんの仲について私は関係ないのだから、気にしなくていいとは思うのだ。人をからかうのが好きそうだけど怖い人ではなさそうだし、本を探しに来ているようだし。何より、仕事はちゃんとしなきゃいけない。
でも、なんとなく顔を合わせづらい。その一言に尽きる。伊月先輩は敵意を隠してなかったし、親戚さんはどうも私にも矛先を向けてそうな気がするし。このあいだ顔を合わせたときの、意味ありげな表情が忘れられない。
親戚さんが清算をしにレジへ来たら、顔を合わせざるをえないとわかっているのだけれど……はあ、こういうときこそ、雪消がいてくれたら心強いんだけどなあ……。
そんなわけで、毅然とした態度でいられない自分の臆病さに、私は呆れのため息をついていたのだけど。
「ああ、こんなところにいたんだ」
「!?」
やばっ見つかった!?
本棚の影からひょいと出てきた顔に、私はぎょっとした。思わず飛びずさったものだから、本棚にびたりと肩をぶつけてしまう。
そんな私の反応が面白かったのか、無駄にいい顔――――伊月先輩の親戚さんは口の端を上げると、そのまま書棚の影から出てきた。
「あんた、俺がこの店に入ったときから逃げ回ってたよな? ばればれなんだけど」
「い、いいえまさかそんな」
無理やり笑みを浮かべて私はごまかしてみるけれど、もちろん嘘だとわからないはずもなく、ふうん、と信じてなさそうな顔で親戚さんは鼻を鳴らす。うわあ、やっぱり自白にしかなっていない。
一人勝手に焦る私の一体何がツボだったのか、親戚さんは面白そうな顔をして、今度は私を眺め回した。ちょっとちょっと、私、珍獣じゃないんですけど。観察しないでください。
私の非難の視線を受けてか、親戚さんはさっさと話題を変えた。
「あんた、名前は? 俺は伊月
「…………
「賀茂、ねえ……」
私が渋々姓だけ名乗ると、親戚さんは両腕を組んだ。探る目で私を見下ろす。
名前も言えと催促されているような気がしてならないのだけど、私は彼を見返して沈黙を守った。危険はあまり感じられないとはいえ、名前を言うのは無理だ。義理もない。
どうしてこんなときに限って、店長がいないのだろう。伊月先輩は今日のシフトじゃないし、いたとしてもこのあいだの反応を見る限り、親戚さん絡みで伊月先輩を頼るときっとまずいことになるだろうから頼るのはきっとやばい。こうなったら他のお客さん、今すぐレジに来てください。一割引きしますから。
「ここに来たということは、本を探しに来たんですよね? どんな本をお探しでしょう?」
「案内は要らない、自分で探す。ところで、司はいないのか? ここで働いてるはずなんだけど」
「……伊月先輩なら、いません。先輩に何か用なら、別の日にしたほうがいいですよ」
「ああ、いないんだ。まあそうだよな、俺が彼女に話しかけてるのに、まだ殴りかかってこないし」
「! ち、違います、私と先輩は付き合ってなんかないです」
うんうん、と何度も頷いて妙な納得をする親戚さんに、私はぶんぶんと首を振り、小声で否定した。あれ、最近似たようなことをした気がする。
だからか、親戚さんの反応も似たようなものだった。芸能人も裸足で逃げだす美形が、意外そうな色になる。
「あんたたち、付き合ってないのか? デートしてたのに?」
「あれは、先輩に道案内してくれって頼まれたからです。もういいですか? 仕事がありますから」
失礼します、と小さく頭を下げ、私は親戚さんから逃げようとした。これ以上この人の相手をしていると、うっかり怒鳴ってしまいそうな気がする。
――――のだけど。
「もうちょっと話に付き合えよ」
私の目の前を、贅肉のない腕が遮った。見上げれば、薄い笑みを浮かべて親戚さんは私を見下ろしている。芸能人やモデルも裸足で逃げだすに違いない、人間離れしたかっこいい顔。
……えーと、私、これ、体勢としてまずくない?
私は思わず後ずさった。けど、このまま逃げても捕まりそうな気がする。それに、騒ぐと他のお客さんの邪魔になってしまう。
「あいつがあんたに道案内させてたのって、あの簪を売ってる店? それとも鬼の大太刀があるとこ?」
「……!」
「なるほど、どっちかが正解なわけだ。あるいは両方? まあどっちにしろ、司に案内したんだから、俺にもその簪を売ってる店へ案内してくれないか? 俺も彼女には用があるんだ」
言葉を失う私を見た親戚さんは、そう笑みを深めた。
けどその声音と表情には、命令に等しい響きと空気が感じられた。私が言うことを聞くと思っているに違いない、高圧的な態度。一言でいうなら、偉そう。あるいは俺様。
何これ。いくら年上だとしても、ほとんど初対面の女の子にこの態度はない。顔の良さなんて、こんな性格じゃ台無しだ。
かちんときた私は、感情そのままに親戚さんを睨みつけてやった。
「私に聞かなくても、駅前の地図を見れば郷土資料館の場所はわかりますよ。あの簪を売ってた店も、商店街の周りを歩けば見つかりますし。近くのお店の人に聞けばすぐわかります」
「……それで見つからなかったから、頼んでるんだってわからないのか?」
余裕がにじんでいた親戚さんの声と表情に、苛立ちが生まれた。感情は空気に溶けて不穏なものにする。肌がぴりぴりと震える。
あれ? これは、体勢以外でもまずいんじゃないだろうか。
私の感覚は変化を捉え、今になって危険だと訴え始めた。でも、対抗策は浮かんでこない。護身術なんて知らないのに、どうしろっていうの。
私が一歩後ずさると、親戚さんも距離を詰めてくる。それどころか、顔さえ近づけてくるのだ。
「もう一度聞くけど……あの簪を売ってる店に案内してくれないか?」
「……」
どうしよう。親戚さんから目を逸らせないまま、私は親戚さんから逃げる方法を必死で考えた。教えたくないのだけど、それでは退いてくれないに違いない。まずい、ほんとにいい方法がないよ……。
そのときだった。
「……そのくらいにしておけ」
「っ」
唐突に、深く低い声が横から親戚さんを止めた。
はっとして私がそちらを見ると、外出していたはずの店長が両腕を組み、親戚さんを睨みつけていた。普段は無愛想極まりない無表情が、このときばかりはわずかに怒りをまとっている。
強面のかすかな怒りの気配を受けてか、親戚さんも顔を緊張させた。それでも一見すると余裕そうに見える笑みを浮かべ、私から身体を離すと店長に向き直る。
「外出中と聞いていたんですが、いらっしゃったんですか」
「……どうやってここへ入った」
「普通に、その出入口からですよ。知り合いに案内してもらったんです」
肩をすくめ、親戚さんはふてぶてしい態度で答えた。うわあ、私に向けて言われたわけじゃないのに、なんかいらっとするよ。なにこの人、人を不愉快にする天才?
「……その本の清算をしてやるから、さっさと帰れ」
「…………わかりましたよ」
親戚さん以上の強い響きで、店長が親戚さんに命令する。それで私は、親戚さんが古めかしい色をした和綴じの本を持っていることに気づいた。
あ、あの本を口実にレジへ逃げればよかったんだ。あっちのほうの書棚には他のお客さんもいたから、逃げていれば、親戚さんも強くは迫れなかったかもしれない。今更ながら、逃げ道があったことに気づく。
親戚さんはどこか悔しそうに唇を噛みしめると、ため息をついた。やりとりを見ているだけの私を振り返る。
「……今日のところはこれで諦めるけど、今度はないから」
そんなおそろしい捨て台詞を私に投げると、親戚さんは店長の横を通り抜けてレジのほうへ行ってしまった。
ちょっと待って、何今の。私はもう二度と会いたくないんですけど。
その背に怒りを投げていると、心配そうな視線を寄越してくれた店長は親戚さんの監視をするためか、無言で去っていく。
二人の姿が見えなくなり、私はようやく親戚さんと不穏な空気から解放される。無意識のうちに、長い息が漏れた。
翌朝。夜中から大ニュースが地区中を駆け巡っていたことを、私は早起きで近所の人たちと井戸端会議が好きなおばあちゃんとおじいちゃんから聞いて知った。
郷土資料館から、地区の宝と言っていい鬼の大太刀が盗まれたのだ。
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