第16話 不穏な再会
建物の影を選んで歩き、私は口を開いた。
「九月に入っても、やっぱり暑いですね。日焼けしそう……」
「でも風は涼しくなってきたから、先月と比べたら随分ましだよ。一応旧暦じゃ秋だしね」
と、
確かに、日差しこそ変わらず極悪なくらいきついものの、風が熱っぽくなることは随分少なくなってはいるような気がする。蝉の鳴き声も多少は小さくなり、代わりに夜は鈴虫が鳴くようになった。田んぼのお米も、早いところは収穫を始めている。目に見えなくても、なんて百人一首じゃ歌っていたけど、秋は目に見える形でも確かに訪れてはいるのだ。
…………ああ、うちもそろそろ収穫かな。今年も手伝わされるんだろうなあ。まあ、足の怪我はもうとっくに治っているし、出荷しない分は家で食べるんだし、いいんだけどね。新米はスーパーで買うのよりおいしいし。あ、大橋さん家の柿、今年はもらえるかな。
そんなふうに談笑しながら人気のない商店街の脇道を歩き、もう少しで大通りというところだった。
人目を引く男の人が、大通りのほうから脇道に姿を現した。
多分、私たちより年上。適度に焼けた肌に切れ長の目、ごく薄い色と厚さの唇。爽やかな伊月先輩とはまた違った方向の、とんでもない美形だ。おまけに均整がとれた体つきで、浅葱色のポロシャツから出る二の腕は筋肉質ときている。ついさっきまで歩いていた大通りでは、さぞや道行く女性の目を引いていたに違いない。こんな美形が住んでいれば噂にならないはずがないから、きっと物好きな観光客だろう。
…………あれ?
なんだろ。伊月先輩、アスリート系男子さんを睨んでない? 雰囲気が不穏になってきているような…………。
私が空気の変化を感じ取るのと、伊月先輩が私を自分の背で隠すのと、男の人が私たちの行く手を遮るように立ち止まるのはほとんど同時だった。
男の人が綺麗だけど何かたくらんでそうな笑みを唇に刷くのが一瞬見え、私は何故だかいらっとした。
「よう、
「……なんでお前がここにいるんだよ」
「来るに決まってるだろ。俺はお前の親代わりだし、ここには用があるんだから」
伊月先輩が警戒心があらわな声で返すと、何を言っているとばかり、よく通る低い声で男の人は返す。勝手に頭の中に入ってくる、聞いていてなんだか落ち着く声音だ。
……って、親代わり? ということは、この人がさっき伊月先輩が言っていた、伝説とかについての蘊蓄を先輩に教えた親戚さん?
どこか面白がっている声が明かした関係に、私は目を白黒させた。
だって、保護者にしては若すぎだもの。せいぜい歳の近い従兄くらいにしか見えない。四十代の渋くてかっこいいおじさんを想像していただけに、このギャップはかなり衝撃だ。
私が親戚さんの年齢について疑問に思っているあいだにも、二人の話は続けられていく。
「どうせお前のことだから、まだ探してるんだろ? 呑気にデートしてるのは気分転換か? 行き詰ってるなら、一緒に探そうじゃないか」
「前にも言っただろ。もう、お前の協力なんてしない。俺の顔見るだけで充分だろ? 俺のことはほっといて、さっさとどこかへ行けよ」
数歩分の足音をさせながらどこか楽しそうに男の人――親戚さんが言うのに対し、伊月先輩はどこまでも硬く冷たい声で突き放す。全身からも緊張した空気が放たれていて、親戚さんを強く警戒していることがわかる。
えーと、ちょっと待って、何この展開。
伊月先輩、なんで親代わりの人に喧嘩腰なの? しかも先輩、親代わりの人と同居してなかったの? ってことは今、一人暮らし?
「でも、まだ見つけられてないんだろ? だから」
「っだから嫌だって言ってるだろ!」
どこか宥めるような響きさえある声を、とうとう怒声が遮った。自分に向けられたものではないというのに、私は思わずびくりと身体を震わせる。
伊月先輩が本気で怒っているのが、一瞬にして変質した場の空気でわかる。肌や喉がピリピリして痛い。激しい鼓動が、私の呼吸をしづらくさせる。
親戚さんは、わざとらしく息を吐いた。
「相変わらず短気だな、お前。でもいいのか? 後ろの子、お前に怯えてるんじゃないのか?」
「っ」
「今日俺がお前を見つけたのは偶然で、女を連れてるから、顔を見るついでに邪魔してやろうと思っただけだ。あんまり楽しそうだったもんだからな。お前との話は、また今度にするさ」
肩をびくりと揺らした伊月先輩にそんな言葉をかけて、親戚さんは靴音を響かせた。ほんの数歩で、伊月先輩の横を通り過ぎようとする。
そうして私は、伊月先輩の身体で隠れていた親戚さんをもう一度見ることになった。やっぱりかっこいい横顔を、私は不安で眉をひそめたまま見上げる。
――――――――でもそれは、彼もまた私を見る機会を得たということ。
横を通り過ぎる直前、突然親戚さんは目を驚愕で見開いた。立ち止まり、私を見下ろす。
「まさか……」
そう呟くや、親戚さんは私に手を伸ばしてきた。
は? ちょっと何!?
けど、呆然としている私に親戚さんの手が触れる前に、伊月先輩が親戚さんの手を払いのけた。次は目を丸くする親戚さんを、燃えるような目で睨みつける。
「……この子に構うな」
「はいはい、わかったよ」
まるで気の強い子供の相手でもしている大人みたいに、親戚さんは肩をすくめてみせた。その仕草と表情は伊月先輩の反感を買ってばかりだけど、それらだけなら、先輩の保護者に見えなくもない。あくまでも、そうかな、程度だけど。
伊月先輩の乱暴な反応を気に留めた様子もなく、親戚さんは改めて私を見下ろした。
「じゃあ、さようなら」
「……」
笑みを浮かべて挨拶し、親戚さんは私の挨拶を待たずに去っていく。本当にもう私たちに用はないのか、振り返りもしない。
彼の姿が完全に見えなくなって、私と伊月先輩の緊張は解けた。場の空気から、緩々と怒りの気配が薄れていく。
けれど、まとう荒々しい空気も、親戚さんが去っていったほうを見る目の鋭さも消えてはいない。感情が先輩の心の中で逆巻いているのは明らかで、声をかけていいものか迷う。
私が戸惑っていると、不意に伊月先輩の目がふっと和らいだ。まとう空気も、一応は普段のものに変わる。
「……ごめん、変なのに巻き込んで。それに怖がらせて」
「い、いえ……」
目を伏せ、申し訳なさそうに言う伊月先輩に、私は首を振ってみせた。
確かに、怖いとは思った。二人の空気は険悪だったし、伊月先輩が本気で怒っているのがわかったから。もしあのまま親戚さんが退かなければ、伊月先輩はきっと、この場でだって親戚さんと喧嘩していた。
けれどそれ以上に私は、困惑していたのだ。今も、二人がどうしてこれほど仲が悪いのか、何の会話をしていたかのほうが気になっている。もちろん、二人の多分秘密にしておきたい会話を聞いてしまったという居心地の悪さもあるのだけど。
それに、親戚さんのあの反応。春に店長と初めて会ったときも、あんなふうに店長は私を見て驚いていたような…………。
「…………あの人、伊月先輩の親戚さんなんですか」
「……ああ。伊月
おそるおそる私が尋ねてみると、端的に伊月先輩は説明してくれる。声はまだ刺々しく、あまり話したくないみたい。
変なの。色んなことを教えてくれた人だって言ったときは、こんなに嫌っているような感じじゃなかったのに。むしろ、結構懐いているっぽかったよね? なのに今は全然そう思えない。
はあ、と伊月先輩は嫌な気持ちを吐き出すかのように深く重いため息をつく。そうしてようやく、私のほうを見てくれた。
「行こう、
「は、はい」
私の答えを聞くまでもなく、伊月先輩は歩きだす。私は慌てて答え、先輩について行った。
そうして私たちは、女性客しかいない『
けれどそんな場所で光を浴びてきらきら輝く商品を見ていても、私は喉に何か引っかかっているような、胸に重苦しいものが沈んでいるような気分だった。――――多分、一応は穏やかな表情の伊月先輩も。
親戚さんは、何かを探しているようだった。それは伊月先輩と同じもので、だから一緒に探そう、嫌だもう組まないという話の流れになっていた。そう考えると、あの会話に納得がいく。
でも一体、二人は何を探しているのだろう。
伊月先輩が探しているもの。今のところ思い浮かぶのは、三つ。
この地区の鬼伝説。
鬼伝説にまつわる道具。風習。
そしてこの店、ガラス細工屋『夢硝子』。――――もしかして……女店主さん?
私は手のひらサイズの犬や猫の置き物を見るふりをしながら、別の棚で雄々しい虎や狼の置き物を見ている伊月先輩にちらりと視線を向けた。
伊月先輩はさっきまで『夢硝子』の女店主さんと話をしていたけど、特別盛り上がった様子もなく、純粋に商品や硝子について話をしているみたいだった。それも、そんなに長く話し込んでなかったし。芸能人もびっくりなとんでもない美男美女ってところ以外は本当に普通の、粋な女店主とお客さんの構図だった。
なら、民話? 特に、鬼が使っていたという伝承を持つ、あの大太刀。伊月先輩も興味持ってたし。
……まさか、違うよね。
首を振り、思い浮かんだ考えを私は打ち消す。そう、そんなこと、あるわけがないよ。
伊月先輩は鬼伝説にまつわる何かを探すために引っ越してきたなんて、そんなこと――――――――
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