第12話 鬼の話・一

 ――――というのが、八月終わりの鬼祭りで催される、仮装行列やお芝居の元ネタだ。


「うん、郷土史の本で読んだけど、ほんとにここ、鬼の村だったんだね」


 壁に掛けられた解説板を一通り読んで、伊月いつき先輩はそう、小声で納得の言葉をこぼした。

 昨日リニューアルオープンしたばかりの郷土資料館の、展示室の一つ。横に長い部屋のあちこちに、お面だの衣装だの、昔のお祭りの様子を表現した模型だのといった資料が展示されている。隅にはレプリカに触れることができるコーナーが設けられ、壁にはお祭りについて色々書かれたボードが掛けられていた。まるでテレビで見た、都会の新しい博物館みたいだ。私が小学校の遠足で行ったときの古臭い印象は、どこにもない。

 そんな綺麗な建物になって間もないからか、展示室には私たち以外にも来館者がそれなりに訪れていた。盛況とは言えないけれど、さっき出て行った人たちと合わせると、田舎の資料館にしては来ているほうなんじゃないかな。貸し切り状態だった小学校の遠足のときの記憶があるから、この人の入りにはちょっと驚く。

 そうですね、と私は同意した。


「この地区で一番古い旅館は『鬼灯ほおずき』で、ブランド米の名前も『鬼の宴』ってもろに鬼がつく名前ですし。神社の宮司さんと『鬼灯』の当主さんも、その従者になった赤鬼と青鬼の子孫だって言い伝えがありますしね。だからこの地区は昔から、節分の前の日に山の鬼を神社に招く行事をして、当日には『福は内、鬼も内』って言うんですよ。秋の収穫の神事でも、神社を通して山の鬼に『今年も貴方たちのおかげで獣に田畑を荒らされず、無事に収穫できました』って報告するんですよね。うちでやるならわしも、似たような感じです」

「へえ……そういう行事をやってるんだ。鬼の子孫がいる他の地域とは、少し違うね」

「鬼の子孫がいるような地域って、他にもあるんですか?」


 私が首を傾けると、ああ、と伊月先輩は頷いた。


「延暦寺の雑用の他、天皇の輿や棺の運び手だった京都の八瀬地域なんかがそうだね。八瀬童子といって、地域の人たちは天台宗の開祖の最澄に仕えた鬼の末裔、という伝承があるんだ。和歌山県の中津川っていう熊野古道が通る地域にも、鬼の子孫を名乗る家々があるそうだよ」

「へえ、うちの地区みたいなのが他にもあるんですね。鬼って大体悪者扱いですし、もっとうちの地区は特殊だと思ってました」


 何しろ、地区でやる毎年の節分じゃ『鬼は内、福も内』と言いながら豆を撒くのに、テレビをつければ『鬼は外、福は内』と言って鬼を閉め出しているのだ。不思議以外の何物でもない。でも物の分別がつく歳になれば、それが世間では当たり前で、私たちこそ特殊なんだってわかってくる。そして、改めてここが田舎であることを認識するのだ。

 充分特殊だよ、と伊月先輩は小さく笑った。


「鬼にゆかりがあるとか鬼の名がつく領主だった時代があるとかで、節分のときに鬼に豆を投げない地域や寺はあっても、前日から迎え入れる地域は他に聞かないからね。でも鬼は前に話した送り狼みたいに、上手く手なずければ悪さはしなかったなんて昔話もあるんだよ。上のお姉さん二人を食べた鬼だけど、ご飯をあげたら自分は食べられずに済んだ、とかね。怖いけど善い行いをすればちゃんと相応の報いをくれる人ならざるもの……って考えた地域も、あるにはあるんだよ」


 解説板に視線を落としながら、伊月先輩は鬼にまつわる話を披露してくれる。立て板に水とはまさにこのこと。よどみがない。銀のチェーンに通されたシルバーリングが際立つ、白と黒を基調にした格好は、いまどきのかっこいい若者そのものなのに。

 ほんと、伊月先輩がおじいちゃんや保存の会の人と話をしたら、すごいことになりそうだなあ。絶対話が合う。それに、ここの学芸員さんとも。学芸員のバイトなんてあったら、きっと即応募しただろうなあ。

 そう考えると、伊月先輩と縁があったのってすごく運が良かったんだよね、私。私か伊月先輩のどっちかが別のバイトをしていたら、学校が同じでも顔を合わせることはきっとなかったもの。山で伊月先輩に助けてもらっても、私はその後、遠くから見つめることしかできなかった。こんなふうにデートなんて、ありえない。

 縁。そういえば――――――――


「伊月先輩、『鬼灯』にはもう行きました?」

「ああ、もちろん行ったよ。でも、郷土史の本に載ってないような特別な話はなかったんだよなあ。郷土史の本の編纂のときに、家に伝わってるものはあらかた話したみたいで。神社の宝物殿も、特に興味を惹かれるものはなかったし」


 だから手詰まりだったんだよねえ、と伊月先輩は腕を組む。どうやら、私が言わずともがっつり調査済みだったようだ。役場の人に話を聞きに行っていても驚くまい。

 そう私が思っていると、伊月先輩はさてと、と室内を見回した。


「昔の映像は……あれかな」


 呟いた伊月先輩の視線の先には、畳一畳分はある大きな模型と、その前に設置されたモニターがあった。静止している画面にはいくつかのボタンが表示されてあるから、それを押せば今の祭りの様子が映しだされるのだろう。お金をかけているなあ。


「みたいですね。見てみます?」

「うん。賀茂かもさんは好きなところへ行ってなよ。俺、ここにいるから」


 そう私に促すと、伊月先輩はうきうきした様子でモニターのほうへ行ってしまった。よほど、鬼祭りを見てみたかったらしい。

 ……年上の男の人に対する形容ではないのだけど、伊月先輩、なんか可愛い。いつもは爽やかで今どきの若者って感じだからか、余計にギャップを感じるというか。小さい子みたい。

 これは邪魔しちゃいけないだろう。私は声を出さずに小さく笑うと、久しぶりに展示品をじっくり鑑賞することにした。

 お面、衣装、採り物、和楽器。今は使われていない品々は、色褪せていたり黒ずんでいたりしているけど、だからこそ経てきた時間の重みを感じるものばかりだった。古い物の良し悪しなんて私にはさっぱりだけど、色艶や手触りで表現されている時間は何物にも代えがたいというのは理解できる。築何十年じゃ済まない我が家をはじめとするこの地区の古い物は、その典型例だもの。時間の積み重ねなんて、今すぐぱっとできるものじゃない。

 だからこそ、展示ケースに入れられていない二匹の赤鬼と青鬼の像がレプリカだというのにはびっくりした。ぱっと見た感じ、隣で展示ケースに入れられている本物と、何から何まで瓜二つだったもの。複製だなんて全然わからない。現代の最先端技術、おそるべし。

 うーん、これじゃあれもレプリカになってたりするのかな。正直、この木の彫像よりあれのほうがお値段的に高そうな気がするし。資料としての価値は、こっちのほうが高いのかもしれないけど。

 でもあれ、本物で見たいんだよねえ…………。


 そんな一抹の不安を抱きつつ、私は展示品を見て回る。気は急いているのだけど、せっかく来ているのだから、ざっとだけでも見ておきたいし。何より、急いだところで伊月先輩の歩みは遅いに決まっている。むしろ……ああやっぱり、ジオラマのところで止まったままだ。

 それなりにゆっくりと室内の展示品を見て回っているうちに、さっきまで来館者が何人も足を止めていたガラスケースの前まで、私は足を進めていた。

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