第6話 祭りの夜・三

 と、私が一人で勝手に落ち込んだり自分で自分を慰めたりしていると、不意に伊月いつき先輩が口を開いた。


「ところでそれ、百貨店で買った浴衣? センスいいね。似合ってるよ」

「……! あ、ありがとうございます……」


 褒められた途端、顔が耳まで真っ赤になったのがわかった。嬉しくて恥ずかしくて、顔を合わせられない。叫びたい。けれど俯けなくて、目を逸らすのが精いっぱいだ。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、伊月先輩は私の頭に視線を移した。


「それに、その簪も綺麗だね。どこで買ったの?」

「あ、最近できたガラス細工のお店で買ったんです。商店街の小路にある、『夢硝子ゆめがらす』ってお店で……」

「へえ……商店街はいつも通ってるけど、気づかなかったな。まあ、用があるとき以外は通りすぎるだけだから、大通りから外れたところの店なんて気づかなくて当然か。引っ越してきたときにあちこち歩いたけど、それからはあの辺りの散策なんてしてないし」

「私も、百貨店へ行く前の日に気づいたとこですよ。おもちゃ屋さんが閉まってからずっとシャッターが下りたままで、新しいお店の噂もなかったですから、いつの間にかお店が開いててびっくりしました。伊月先輩が知らなくても当然だと思いますよ」


 目を瞬かせる伊月先輩に、私はそう頷いてみせた。


「そういえばさっき、君のお父さんを見かけたよ。同僚っぽい人たちと一緒だったけど……法被着てたってことは、お祭りで何か仕事?」

「あ、それ多分、地域文化保存の会の人たちですよ。神社の宮司さんの弟さんが主宰していて、こういうお祭りのときとかに演奏したり、お芝居をやったりしてるんです。父は今日、お芝居の篠笛を担当してましたから、その帰りだったんだと思います」

「へえ、賀茂かもさんのお父さん、篠笛やってるんだ。それは是非聞いてみたいな。興味はあるんだけど、ちゃんと習ってる人の生演奏は聞いたことないんだよなあ」

「別に、プロじゃないですよ。一応、音楽の授業とか部活とか、和楽器教室とかで講師として呼ばれたりはしてますけど」


 親のことを褒められるというか、良く言われるのは照れくさい。それをごまかしたくて、私はへらりと笑って手を振った。だって、小さい頃ならともかくこの歳じゃ、ねえ。


「それでも充分すごいと思うけど。もしかして、賀茂さんも篠笛習ってたりする?」

「いえ、やってませんよ。保存の会の人に、勧められはしましたけど……」


 そう言いかけたところで、人ごみの中に一瞬、里彩りさらしき人の姿が見えて私は言葉を途切れさせた。すぐ人影に消えてしまったけれど、再び現れる。――――やっぱり里彩と優希だ。


「里彩! 優希ゆうき!」


 私が声を張り上げると、二人も気づいて私のほうを見た。通りを挟んだ反対側の小路から、人ごみを横断してこちらへやって来る。


「ごめんなさい。ジュースを買いに行こうとしたら、知らない男の人に絡まれちゃって。それで里彩が助けに来てくれて……あ」


 私のところへやって来るなり謝ってきた優希は、言葉の途中で私の隣に気づき、目を軽く見開いた。里彩も当然と言うべきか、へえと片方の眉を上げている。

 まずい。無意識のうちに、私は伊月先輩と繋いでいた手を放した。浴衣の裾をぎゅっと握りしめる。

 一瞬だけ手元を見て、すぐに伊月先輩は里彩と優希に愛想良く笑みを浮かべた。


「こんばんは。賀茂さんの学校の友達?」

「はい。伊月先輩ですよね? 話は梓から聞いてますよ~」

「り、里彩っ」


 にやにやしながら里彩が言うものだから、私は赤くなりっぱなしだ。優希も両手を合わせて呑気に笑っているけど、だからと言って私は心を落ちつけたりできない。お願い、変なこと言わないで二人とも。


「どんなふうに言われてるのかな? いい方向だといいんだけど」

「その点は大丈夫ですよ。ね、優希」

「うん。大丈夫ですよ」


 里彩に続き、優希もにっこりと伊月先輩に笑ってみせる。ええ、まったく。悪いことなんて私、一言も言ってませんよ。好きな人の悪口なんて、あるわけがないもの。


「じゃあ、俺はこれで帰るよ。賀茂さん、またバイトでね」


 言って、伊月先輩は私の頭の頭を撫でて微笑んだ。優しい手つきは、簪を揺らしても私の髪型を崩さない。私の手を握ってくれていた手のぬくもりが、今度は私の髪の上をすべっていく。

 ……な、なんか恥ずかしいな。バイト中でもたまにしてくれるんだけど、友達がいる前でされると、余計に。

 そして、これに目をつけない二人じゃないんだよね……。


「梓、伊月先輩と随分仲良いんだね~」

「手も握ってたもんねえ。聞いてたのとは随分違うよね。実は付き合ってたりする?」


 伊月先輩が人ごみの中に消えていった後。当然と言うべきか、里彩と優希の口からこぼれたのはそんなからかいと確認の言葉たちだった。

 そしてこれももちろん、私はぶんぶん首を振った。だったらどんなに幸せか!


「つ、付き合ってないよ! あれは、はぐれたらいけないから握ってくれただけで……頭を撫でたのも、多分妹か何かみたいな感覚だよ、きっと」

「そうかなあ、それにしては仲良いですよ~な雰囲気だったけど。ねえ里彩」

「うんうん。梓はいつも自分のこと普通とか言うけど、普通に可愛いし。お似合いの二人って感じだった」


 ああもう羨ましい、と里彩は口を尖らせた。今度は絶対東先輩をデートに誘うんだから! と息巻いている。

 でも私は、それに乗っかって話を逸らすなんてできなかった。

 私と伊月先輩は、ただ手を繋いで歩いただけだ。特別な話だってしなかった。

 里彩と優希は可愛いって言ってくれるけど二人ほどじゃないし、勉強の成績だって普通だし、伊月先輩を楽しくさせるような気の利いた話だってできない。伊月先輩と私は、全然釣り合ってないって思う。

 けど、お似合いの恋人同士みたいだったって……。

 それが嬉しくて、恥ずかしかった。

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