第9話 邂逅(エンカウンター)

 病室に再び静寂が訪れる。

 すると、その瞬間ときを待っていたかのように、シャールは立ち上がって大きな拍手を始めた。


「ブラボー! ナイススピーチ! クリスマスイヴにふさわしい、お涙頂戴のストーリーだ。しかも語り手が上手いときてる。以前総理大臣を務めた、何とかっていう男が聞いたら『感動した!』なんて言っただろうよ。西郷潤一郎……NGOでしがない医師なんかやらせておくのはもったいない。舞台俳優にでもなったらどうだい? ただし、三文芝居専門だけどね」


 皮肉を込めた言葉を吐きだすシャール。間髪を容れず、肩をすぼめて両手を左右に広げる、得意のポーズをとる。


「それはさておき、熱血ドクター『西郷潤一郎』とミラクル・ガール『サラ・オースティン』か……興味深いゲストの登場でイベントもラストになって盛り上がってきたじゃないか。でも、2人に僕の姿は見えるのかな?……あっ、ごめん! サラは『めくら姫』だった。それじゃあ、見えないよな。僕の姿は……それに、潤一郎はさっきからこっちを見てるのに、僕のことなんか全く見えていない様子だ。待てよ……もしかしたら、陽子さんの隣にキムタク似のナイスガイがいるから、わざと無視しているのかもしれない。僕も罪づくりな男だね。おや、彼がこっちに来るよ。僕をぶん殴るつもりかな?」


 人を小馬鹿にした態度をとるシャール。そんな彼の前を通って潤一郎がベッドの脇に立つ。そして、昔と変わらない笑顔で私の顔を覗き込む。


「陽子、ただいま。それから、メリークリスマス。約束どおり帰って来たよ。お前は『二度と顔を見せるな』って言ったけどな。ののしってもらっても構わない。あの頃みたいに……今わかったことがあるよ。それは、お前はどんなときでも輝いているってことだ。今も輝きは失われていない。噂通りの敏腕美人検事だ……心配するな。絶対に大丈夫だ。


そうだ。お前に謝らないといけないな。これまで6年間、音信不通で済まなかった。何を言っても言い訳になるが、いろいろあって日本に戻ることができなかった。でも、お前のことを忘れたことは1日だってない。お前の活躍は雑誌やインターネットでいつも見ていた。だから、俺もがんばれたんだ。サラがこうして元気になれたのも、俺の中にお前の存在があったからだと思ってる。本当にありがとう。陽子にはいくら感謝してもしきれない。だから、今度は……今度は……俺が……お前を……」


 顔の上に一粒のしずくが落ちた。潤一郎は私に背を向けると、シャツの袖で目のあたりをぬぐった。しかし、いくら拭ってもキリがなかった。彼が見せた初めての涙だった。


 潤一郎のすぐ横で、シャールが我関せずといった様子でクリスマスソングを口ずさむ。

 やはり潤一郎にもシャールの存在を認識することはできなかった。


 でも、これで良かった。謝ることはできなかったが、こうして最後に会えたのだから。それに、会えないときも私のことを大切に思ってくれていたのがわかったのだから。潤一郎と出会えて私は本当に幸せだった。


★★

「潤一郎……? どこ……?」


 不意に英語を話す子供の声が聞えた。サラが目を覚ましたようだ。肩まで伸びたサラサラのブロンドの髪。透き通るような白い肌。ダークブルーの大きな瞳。まるでフランス人形のように整った顔立ち。目が見えない彼女は不安げな様子で潤一郎の存在を確認する。


 サラの声が聞こえるや否や潤一郎は普段の表情を取り戻す。そして、彼女の元へと飛んで行く。今潤一郎を必要としているのは私ではない。サラでありサラの国の子供たちだ。


「サラ、目が覚めたのか? 俺はここだ。ここにいるよ」


 潤一郎はサラの両手をしっかりと握りしめる。


「ここは潤一郎が話してくれた、陽子の病院? もしそうなら、陽子はいる?」


「ああ、陽子の病室だ。陽子と彼女の両親がいる」


 今の状況をこと細かに説明する潤一郎。すると、サラは父と母に丁寧に挨拶をする。


「潤一郎、陽子のところへ連れて行って」


「わかった。ぜひ陽子に会ってやってくれ」


 車いすを押してベッドに近づく潤一郎。その様子を横目で見ながら、相変わらずクリスマスソングを口ずさむシャール。2人はシャールの前を通ったが、その表情や態度に変化はなかった。サラにもシャールの存在は認識できなかったようだ。


「はじめまして。わたしは『サラ・オースティン』。あんたのことは潤一郎からイヤと言うほど聞いてる。だから、初対面とは思えない……ねぇ、顔に触ってもいい?」


 潤一郎が両親の方を向くと2人は笑顔で頷く。取り付けられた機器に気をつけながら、彼はサラの手を私の顔へと導く。小さな両の手が私の顔に触れる。生まれて間もない子猫や子犬をなでるような、優しいタッチ。少しくすぐったいが、とても温かい。感覚が鈍ってはいるものの私はサラを感じることができた。


「陽子、あんたは潤一郎から聞いていたとおりの人だった。会えてうれしいよ」


 子供らしい笑顔を浮かべるサラ。潤一郎は小さく頷くと彼女の頭を優しく撫でる。


『これで良かったんだ……これで……』


 私は心の中で小さく呟いた。


「君の白馬の王子様には失望したよ。僕の存在なんかこれっぽちも感じ取れなかった。『王子様』というより『めくら姫の付き人』だね。そもそも、奇跡なんていうのは人間が創作したフィクションの中でしか起こり得ないものさ。要は、現実は厳しいってこと。釈迦に説法だったかな? 検事としていくつも修羅場をくぐりぬけてきた君には……さて、そろそろゲストも引き上げるだろう。イベントもフィナーレだ」


 内ポケットから死神の鎌を取り出すと、シャールはそれを念入りに磨き始める。


★★★

「12時か……サラ、そろそろ帰ろう。今日は講演やらなんやらで疲れただろ?」


 潤一郎は腰をかがめて車いすのストッパーをはずす。


「ちょっと待って」


 間髪を容れずサラが言う。


「どうした? サラ」


「潤一郎に聞いて欲しいことがあるの」


「今じゃなければダメなのか?」


「うん。お願い」


 サラの言葉にゆっくり頷くと、潤一郎は車いすのストッパーを元に戻す。


「今日のわたしのスピーチ……どうだった?」


「何かと思ったらそんなことか。お世辞抜きに素晴らしかった。参加者全員がスタンディングオベーションをしていた。拍手と歓声がいつまでも鳴りやまなかったのは鳥肌ものだったよ。今のお前は世界のアイドルだ」


「じゃあ、陽子と同じぐらいすごかった?」


 サラの唐突な質問に戸惑いを見せる潤一郎。


「そうだな……残念ながら、まだまだだ。陽子のレベルに達するには、お前でも10年はかかるだろうな」


「今は完敗ってことね……じゃあ、10年後にわたしのスピーチを陽子に聞かせて、そこでギャフンと言わせる。陽子には少なくともあと10年は生きてもらわないとね」


 潤一郎の手厳しいジャッジに答えるサラ。彼女は私の容体を知っていながら奥歯にものが挟まったような言い方をした。


「サラ、怒ったのか? 勘違いしないで欲しい。今日のスピーチは8歳のものとは思えないぐらい素晴らしいものだった。大人でも聴衆の心を動かすようなスピーチができる者はほとんどいない。俺の言い方が悪かったなら謝る。お前のことは誇りに思ってるよ」


 すかさず潤一郎が言葉をかける。


「わかってる。怒ってなんかいないよ」


 口角をあげて笑うサラ。その表情から怒っている様子は感じられない。


「潤一郎、あんたには感謝してる。いくら感謝してもしきれないぐらい感謝してる。ダメになりそうなわたしを、自分を犠牲にしてまで助けようとしてくれた……はっきり言って、あんたはバカ。でも、あんたにはいつも笑っていて欲しい。わたしがいないところでも笑顔でいて欲しい。そのためには陽子がいないとダメ。陽子がいなくなったら絶対にダメだ……潤一郎、これから何があっても冷静に受け止めて。わたしのことを信じて見守っていて」


 サラの様子が明らかにおかしい。それは潤一郎も気づいていた。


「サラ、お前が何を言っているのかわからない。わかるように言ってくれ」


「あんたってホントにバカね。わたしが『信じて』って言ってるんだから、つべこべ言わずに言うことを聞くの……お願い。潤一郎」


 サラの言葉に鬼気迫るものがある。

 少し間が開いて、潤一郎はゆっくりと首を縦に振る。


「わかった。お前を信じる。何があってもお前のことを信じるよ」


 サラはホッとした表情を浮かべる。


「いつだったか言ってくれたよね? 『お前にしかできないことがある』って……あんたの言うとおりだったよ。今がなんだ……今度はわたしがあんたを助ける番。わたしが陽子を助ける!」


 サラは思い詰めたような表情で天井を見上げると、大きく深呼吸をする。

 そして、はっきりとした口調でゆっくりと呟いた。


「いるんでしょ? シャール。このイベント、あんたの負けよ」


 つづく

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