第10話 規則(ルール)

「いるんでしょ? シャール。このイベント、あんたの負けよ」


 予想だにしなかったサラの一言。私は驚きを隠せなかった。

 ただ、驚きを通り越して大きなショックを受けた者もいた。


 あたりに鈍い金属音が響く。それは死神の鎌が床に落ちた音。

 荒い息遣いとともに、シャールはその場に呆然ぼうぜんと立ち尽くす。


「……なぜ僕の名前を……イベントが開かれていることまで……あり得ない……あるはずがない……あってはいけない……シ~~~~~~~ット! 畜生! 畜生! 畜生! 畜生! 畜生! こんなクソガキに僕のことがわかってたまるかよ!」


 やり場のない怒りに身体を震わせながら、シャールは血走った眼でサラの背中をにらみつけた。


「こいつは目が見えない。僕の姿が見えているわけじゃない。声が聞こえているのか? いや、僕の声にこいつは全く反応しなかった。じゃあ、どうしてわかった? 触覚? それとも嗅覚? いや、違う。こいつは僕に触れていないし、においで僕を認識するなんてまず不可能だ。ということは……第六感? 聖職者でさえ全く悟ることができなかった僕の存在を第六感で悟ったというのか? しかも、イベントが行われていることまで……どうなってやがる……」


 状況が理解できずパニックに陥るシャール。

 すると、サラは病室をぐるっと見渡す。


「シャール、久しぶり。わたしのこと憶えてない? 1年と少し前にあんたのイベントに参加したの。記憶がところどころ欠けていて名前は思い出せないけど、当時のわたしは不治の病に侵されて余命がほとんどなかった。しかも、毎日激痛に苦しんでた。そんなときだった。あんたがイベントのことを話してくれたのは……結局、わたしは自分の身体を捨てる道を選んだ。その結果が今のわたし――サラ・オースティンよ」


 何とサラはイベント経験者だった。私が「第2の道」を選択して自分の身体に戻ったのに対し、彼女は「第1の道」を選んで他人サラの身体に入っていた。もともとのサラは回復する見込みがなかったと言うことだろう。


 不意に何かを思い出したような顔をするシャール。


「……お前だったのか……何百万人に1人なんて言われる難病にかかった、アメリカ人の小娘……IQが高く7歳で大学に入学していた……まさかそんな死に損ないの身体で生きてたとは……とっくにくたばってあの世でエネルギーになったとばかり思ってた……」


 シャールは力なくその場に座り込むと視線を床に落とす。


 以前サラはシャールからイベントの説明を受けていた。それなら死神やイベントの存在を知っていてもおかしくはない。ただ、今イベントが行われていることをどうやって知ったのだろう? シャールの言うように、第六感という特殊能力が備わっているのだろうか?


「シャール、わたしは目が見えない。でも、あんたがいることはわかってる。今すぐ陽子の身体を治すの。事件が起きる前の元気な彼女にね。それがイベントのルールだったはずよ。ルールは絶対――そう言ったのは誰でもないあんた自身なんだからね」


 最後の最後に奇跡が起きるとは思ってもみなかった。私を救ってくれたのはサラ。ただ、彼女がここへ来たのはいくつもの事象が複雑に絡み合った結果。その中には、潤一郎の真っ直ぐな思いや自らを犠牲にした行為も含まれている。彼は約束を守ってくれた。私のピンチに駆け付けて私の力になるという約束を。


『シャール、サラちゃんはあなたの存在に気付いた。約束よ。私の身体を元に戻して』


 そんな心の声に呼応するように、うなだれていたシャールはゆっくりと顔を上げる。その瞬間、背筋に冷たいものが走った。なぜなら、そこには満面の笑みを浮かべた死神シャールの姿があったから。決して私が助かることを喜んでいる顔ではない。かと言って、悔しがっている様子もない。


 その顔には見覚えがあった。

 

 私をあの世へ送り込めることが決まって、死神の鎌を丹念に磨いていたときのそれにとてもよく似ていた。


「サラ、モチのロンさ。ルールは絶対だ。ルール破りは死神の職権を剥奪はくだつされることにもなりかねない。『イベント運営規則』は法治国家における憲法と同じぐらい重いものだからね。じゃあ、今からその解釈を教えてあげるよ。論理的かつ客観的にね。それで白黒つけようじゃないか……ただ、僕の声はサラには聞えない。だから、代わりに陽子さんが聞くんだ。法律のプロとしてね!」


 思いも寄らないリアクションが返ってきた。シャールには落ち込んでいる様子など微塵みじんも感じられない。その口調から少し前の彼に戻ったと言ってもいい。今やイベントにおける彼の敗北は濃厚だ。にもかかわらず、勝ち誇ったような態度をとっている。しかも、これから私とルールの解釈を争うことで、イベントの結論を導き出そうとしている。


 この病室は、じきに「疑似法廷バトルフィールド」と化す。

 そして、死神シャールと私による、命をかけた「法廷闘争バトル」が始まる。


★★

「シャール、何やってるの? 早く陽子の身体を元に戻しなさい! あと10分で日付が変わるわ。それまで待ってあげる。時間になっても何も起こらなかったら、あんたには『うそつきシャール』のレッテルを貼ってやる。世界中でスピーチをするたびにその話をしてやるんだから。あんたは嘘つきの死神として語り草になるわ。聞こえない振りしたってダメだからね!」


 私の身体に何の変化も起こらないことで業を煮やしたのか、サラが攻撃的な態度をとる。


「めくら姫は元気がいいね。でも、いくら子供でも目上の者にそんな態度をとるのはいただけないな。どうやらが必要みたいだ。10分後には口がきけなくなっているかもしれないよ……陽子さんみたいにね」


 不敵な笑みを浮かべて思わせぶりな言葉を吐くシャール。それが何を意味しているのかはわからない。ただ、目の上のたんこぶであるサラを良く思っていないのは確かだ。そのことは、今から始まる法廷闘争バトルの結果が私だけでなくサラの運命にも大きく関わってくることを意味する。ここは絶対に負けるわけにはいかない。


「陽子さん、改めてイベントの基本的なルールをおさらいしよう。君が元の状態に戻る要件として、第三者が僕の存在に気づくことが必要だ。それについては、運営規則第33条の規定に『死神の存在を五感で察知すること』と、第33条の2の規定に『前項の規定に拠るもの以外で死神の存在を察知すること。なお、それは執行者が認めたものであること』と定められている。つまり、見るとか聞くとか以外の特殊能力のたぐいも認められているということだ。ここまではOKかな?」


『大丈夫よ。日本の法令にも似たような条文はあるから……サラちゃんは「五感以外の方法」であなたの存在に気付いた。だから、第33条の2の前段に規定する要件を満たしていることになる。あとは、後段の形式的な要件を満たすだけ。状況がこれだけはっきりしているのに、あなたがそれを認めないとしたら、執行者として常軌を逸していると考えざるを得ない。結果として、執行者としての職務を全うする能力が欠けているあなたは、罷免ひめんされるべきよ。仮に罷免条項がなかったとしたら、ルール自体に欠陥があるってこと。ジャッジを下す者が使い物にならなければ罷免されるのは、法制度の基本中の基本よ』


「なるほど。そう来たか……やっぱり本職は違うね。まるで裁判の当事者になったみたいでワクワクするよ。『イベントもいいけど法廷闘争バトルもね』って感じかな。じゃあ、執行者であるボクから尋問しよう。サラが死神の存在を認識している理由を、論理的かつ客観的に説明してくれないか?」


 シャールの言動から殺気は感じられない。ただ、この法廷闘争バトルは一発勝負。先進国の刑事裁判のように控訴や上告といった、上級裁判所への不服申し立ての制度は存在しない。私が言葉に詰まった瞬間、運命は決まる。そういう意味では、今も極寒の地で薄氷の上に立っていることに変わりはない。しかも、そこには私だけでなくサラもいる。


『サラちゃんの言葉が事実を物語っている。彼女はあなたが今イベントを行っていると言った。そして、実際にイベントは行われている。彼女の主張は、通常人では知り得ない事実を的確に指摘している。よって、手段はどうあれ彼女が死神の存在を認識していることに疑う余地はない。以上よ』


「陽子さん、君の論理は破綻はたんしている。それとも、わかっていて僕をめようとしているのかい? でも、そうはいかないよ。言わなかったかい? 君に会う前にこの国の法律を勉強してきたって。『一夜漬け』って言ったけど、僕の1日は君たちの数年に当たる。僕の頭の中には法制度の基礎がインプットされているってことさ」


 シャールは得意げな顔でクリスマスカラーに染まった前髪を無造作にかきあげる。


『じゃあ、私があなたに尋問する。どこが論理破たんしているのか、具体的な説明を求めるわ』


「検事の雰囲気が漂っているね。じゃあ、順を追って説明しよう。まず、サラは僕がどこにいるのかわかっていない。僕が彼女のすぐ後ろにいるにもかかわらず、僕に話しかけるとき、部屋中を見渡しているのがその証拠さ。つまり、『イベントが行われている』と言ったのはさ」


 横目でサラを見ると、シャールは鼻で笑うような仕草を見せる。


「サラは過去にイベントに参加したことでその大まかなルールはわかっている。そのうえで、陽子さんが助からないことも聞かされた。さらに、ここに来ることになった経緯いきさつだとは思わなかった……なぜか空港周辺だけ悪天候に見舞われ飛行機が飛ばなかった。なぜかホテルのロビーで潤一郎が大学の同級生と出会った。そして、なぜか陽子さんの病状を知ることができた……そんな一連の流れを経験したことで、サラは『自分が見えない何かに導かれているのではないか?』と考えたわけさ。利口な彼女はこう思った。『優秀な陽子さんのことだから、自分と同じように死神に選ばれて今がイベントの真っ最中なのではないか? もしそうなら、自分が死神の存在を認識したと言えば、彼女は助かる。ダメ元でやってみよう』とね。

 ただ、今のサラには動揺が見られる。99%勝てる状況であるにもかかわらずだ。それはなぜか? 『イベントなど行われていないのではないか』。そう思い始めているからさ。虚勢を張ったような言動は不安の裏返しだ。サラの言動は具体性を欠いている。僕の位置を示す行為がなければ、サラが僕の存在を認識したとは認められないね」


 言われてみればそのとおりだ。サラは一度もシャールの方を向いて話をしていない。彼女が自分の経験からハッタリをかましている可能性は否定できない。ただ、現段階ではどちらに転んでもおかしくはない。巻き返しは十分可能だ。


『シャール、1分でいいから私にサラちゃんと話をさせて。裁判でいう証人尋問をやらせて欲しいの。そうすれば、彼女の真意が確認できるから』


「それはダメだ。運営規則にそんな行為は認められていない。それに君はおかしな入れ知恵をしかねない」


『そう言うと思ったわ。じゃあ、こういうのはどう? あなたが執行者としてサラちゃんに直接聞くの。執行者と言えば、裁判官も同然。裁判官にはあやふやな事項を確認する義務もあれば、特別な調査権もある。だから、あなたの権限で彼女に証人尋問をするの。もちろんあなたに不利にならない言い方で聞いてもらって構わない。それならいいでしょ?』


 私の提案に少し考える素振りを見せるシャール。

 しかし、次の瞬間、彼は大きな声をあげて笑い始めた。


「あはははは! 実によく考えたね。君はかなりの策士だ。『窮鼠猫を噛む』とはよく言ったものだ。僕がガードを解いてサラに話しかければ、彼女は僕の声を聞くことができる。言い換えれば、する。その瞬間、イベントは君の勝ちだ。それを狙っているんだろう? 1つ目の提案は2つ目の提案の布石だ。危ない、危ない。さすがは敏腕美人検事さんだ」


 つづく

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