第8話 距離(ディスタンス)

「……あんたさ、バカのひとつ覚えみたいに青臭い話してるんじゃないわよ。毎日同じような話ばかりして、ウザイったらありゃしない」


 昏睡状態から目覚めて半年が経ったある日、サラが潤一郎の問い掛けに初めて口を開く。


「……何だ。ちゃんとしゃべれるじゃないか。耳も聞こえてるみたいだし安心したよ」


「当たり前でしょ。あんたが勝手に心配してただけよ。バカじゃないの」


「ごめん。何を言ってもずっと反応がなかったから……」


「ふん。こんな死にぞこないを心配するなんて、あんたもとんだ物好きね。ホントのバカかもしれないわ」


 サラの口から次々に飛び出す、憎まれ口のような言葉。潤一郎は安堵あんどの胸を撫で下ろすと、込み上げてくる涙を何度もぬぐった。サラに気づかれないように。



 この半年間、潤一郎はほとんどの時間をサラとともに過ごした。彼女が目覚めてから眠りにつくまでじっと見守り、タイミングを見て話しかけ、何とかコミュニケーションを取ろうとした。しかし、彼女が心に受けたダメージは思いのほか大きく、堅い殻に閉じこもるようにすべてを拒絶した。ベッドに横たわる彼女はわざと潤一郎に背を向けた。そして、何を言っても無視し続けた。なすすべがないとはこのことだった。普通の人であれば、きっと1週間も経たないうちに根を上げただろう。


 しかし、潤一郎は諦めなかった。精神的な疲れはピークに達していたが、サラの前ではそんな素振りは微塵みじんも見せなかった。笑顔を絶やさず努めて明るく振る舞った。そして、毎日のように自分の学生時代の話を繰り返し聞かせた。不思議なことに、当時上手く言えなかった言葉や素直になれなかった気持ちもサラの前では話すことができた。


 初めは何の反応も示さなかったサラだったが、いつからか彼の話に耳を傾けるようになる。背中を向けて何も言わないのは相変わらずだったが、日々彼女と接している者であれば、その変化に気づかない者はいなかった。



「あんたさ、自分の目が見えなくなったらどうする? 寝ても覚めても目の前には真っ暗な闇が広がってる。そこは独りぼっちの世界。それに、足もなければ身体のあちこちも思うように動かない。まるで壊れた人形。こんなの生きてるって言える? 死んでるのと同じじゃない? いっそのこと死んじゃった方がマシだと思わない?」


 つらい胸の内を自虐的な言葉にするサラ。一歩前進したものの精神的に不安定な状態は変わらない。対応次第ではふりだしに戻ってもおかしくなかった。


「それは辛いよな。自分が同じ目に遭ってみないとその人の気持ちなんかわからないし、どんな言葉をかけても慰めにしかならない。優しい言葉もかえって残酷に感じることだってあるしな」


「よくわかってるじゃない。ぼろ雑巾みたいなわたしはいつも煙たがられる存在よ。この世界のどこにも居場所なんてないわ。つまり、生きている価値なんかこれっぽちもないってこと。あんたさ、どうしてわたしを助けたの? おかげでわたしは死ぬよりも辛い目に遭ってるの……はっきり言って迷惑なの……あんたのやったことは……偽善で残酷なことなのよ!」


 サラは頭からシーツをかぶって小刻みに身体を震わせる。病室にすすり泣くような声が響く。心に溜めこんでいたものが溢れ出た瞬間だった。


 少し間が空いて潤一郎はいつもの笑顔を浮かべる。


「サラ、俺はお前の気持ちを100%理解できるなんて思っちゃいない。それに、残念だけど、お前の心の痛みや悲しみを実感することもできない。でも、お前の痛みを少しでも感じたいと思うし理解したいと思ってる。そして、お前のことをたくさん知りたいと思ってる」


 サラの泣き声が小さくなる。

 潤一郎の話に耳を傾けているのがわかる。


「ぼろ雑巾みたいだって? そんなこと言うヤツがいたら俺が許さない。煙たがられる? そんなヤツには近づかなければいい。こちらから願い下げだ。居場所がない? そんなことはない。お前の人生は可能性に満ちている。狭い病室がお前の居場所じゃない。生きている価値がない? そんなこと誰が決めた? 神様にでも言われたのか? お前はたくさんの人の役に立つ。お前にしかできないことがきっとある。死ぬより辛い目に遭ってる? 悲しいこと言うなよ。お前がこのまま死んでしまうことが俺には死ぬよりも辛いことなんだ……俺のこと偽善だとののしってもいい。俺のやっていることを残酷だと憎んでもいい。でもな、俺はお前に生きて欲しい……お前に元気になって欲しい……お願いだ! いっしょに生きてくれ!」


 あたりは水を打ったように静まり返る。心臓の鼓動さえお互いの耳に届いているような錯覚に陥る。そんな状況がしばらく続く。静寂を破ったのはサラの一言だった。


「……バカね。ホントにバカなんだから。こんなバカ見たことない。これからもお目にかかることなんてないわ。あんたみたいな大バカには……あんたのこと……ずっとののしってやる……一生憎んでやる……あんたの名前……絶対に忘れないんだから……潤一郎……潤一郎……潤一郎!」


 サラは大粒の涙を流しながら大声で泣いた。そんなサラを強く抱きしめると、潤一郎は何度もうなずきながら優しく語りかけた。


「サラ、大丈夫だ。お前にはいつも俺がついてる。絶対にひとりになんかしない。約束する……ありがとう……本当にありがとう……」


★★

「そのときからです。まるで人が変わったように、サラが精力的にリハビリに取り組むようになったのは。どんなに辛いことでも弱音を吐くことなく、いつも笑顔でがんばってくれました。その甲斐あって外出はもちろん長時間の移動も可能になりました。ただし、俺がそばにいることが条件です。俺がいないとサラは精神的に不安定になります。それは彼女が俺を信頼してくれているあかしだと思っています」


 サラの寝顔を見ながらうれしそうに話す潤一郎。

 心の中で私はずっと涙していた。


「今日クリスマスイヴにWMSの年次総会が日本支部で開催されましたが、その中でサラのことを紹介しました。彼女のことを広くアピールすることは、テロに屈しない平和な世界を構築するという観点から大きな意義があります。総会の目玉と言っても過言ではありません。その様子はテレビやインターネットを介してライブ中継されました。多くの国や企業が事前広報に協力してくれたこともあって、総会は過去に例を見ないほどの盛り上がりを見せ、大成功のうちに幕を閉じました。そして、俺たちは今日の夜の便でT国へ戻る予定でした」


 誇らしげに語る潤一郎の言葉に、父と母は何度も相槌あいづちを打つ。潤一郎は全くと言っていいほど変わっていなかった。確かに、彼を取り巻く環境は言葉では言い表せないほど過酷かこくなもの。しかし、そんな状況に置かれながら、弱音を吐くことなく自分のミッションを確実にやり遂げた。真っ直ぐな気持ちがサラの心を動かし、そして、その熱い思いは世界中に伝わったに違いない。昔から潤一郎は言っていた。「あれこれ考える前に、まずは自分のできることをやってみるんだ」と。


「ところで、潤一郎くん。なぜ君はここに来ることになったんだい? 総会が終わって今日の夜の便で日本を発つんじゃなかったのかい?」


 父が首を傾げながら言った。

 まさにそれは私が知りたかったことに他ならない。


「それが……不思議なんです。総会が開かれた東京都心は晴れているのに、成田空港のあたりは昼過ぎから類を見ない大雪に見舞われ夕方から滑走路が閉鎖されてしまったんです。今夜の便はすべて欠航で、出発は明日の夕方に延期になりました。そんなわけで、俺とサラは日本支部の計らいで『ホテルエンパイア』に宿泊することになったんです。ホテルへ行ってロビーで宿泊の手続きをしていたところ、ラグビー同好会でいっしょだった、医学部の後輩に会ったんです。彼は今ここK大付属病院の医師として勤務していて、自分が所属する学界の総会に出席するためエンパイアを訪れたとのことでした。そのとき、聞かされたんです。陽子のことを」


 潤一郎の顔から笑顔が消える。


「彼の言っていることがとても信じられませんでした。少し前、人づてに聞いた話では、陽子の検事としての活躍は目覚しく、テレビの討論会に出席したり『敏腕美人検事』として雑誌に掲載されたり、本業の検事以上の活躍をしているとのことでした。そんな話を聞いて俺はすっかり安心していました。それと、申し訳ありませんが、陽子の容態も詳しく聞かせてもらいました……俺は、今ここに来なければ一生後悔すると思いました。サラに事情を説明して納得してもらいました。もちろんK大病院の優秀な医師が全力で治療に当たっているのですから、俺の出る幕なんてないことはわかっています。ただ、俺は6年前に約束をした。陽子がピンチになったら必ず駆けつけると。そして、必ずあいつの力になると」


 つづく

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