第6話 別離(メモリーズ)
★
私が法学部に入学したとき、潤一郎は医学部の3年生。
父が検事だったことで私が法曹界を目指したように、父親が医師だったことが彼を医学の道へと向かわせた。ただ、いつも彼の言葉の端々には医者になることに対する疑念が見え隠れしていた。
180センチの身長に胸板の厚いがっちりとした体格。付属高校でラグビーをしていたことで大学でもラグビー同好会に所属していた。
初めて潤一郎に会ったのは、私が大学に入学して間もない頃。確か付属高校出身の友人に連れられてラグビーの試合を見に行ったとき。ラグビーを生で観るのは初めてだったが、大声を上げて突進する彼の姿にくぎ付けになったのを憶えている。目立っているというだけでなく、その圧倒的な存在感に目を奪われた。素人の私がノーサイドの笛が鳴るまでゲームに集中していたのは、一にも二にも彼の存在感があったからに他ならない。
思い返すと、そのプレーはチームを勝利に導くことを目的とした、緻密に計算されたものだった。あるときは切り込み隊長としてチーム全体を
それが私たちの出会いだったことを考えると、潤一郎は私にとって特別な存在だったのかもしれない。そうでなければ、
ただ、私たちの関係は微妙だった。
付き合っていたわけではないが、いつも昼食はいっしょに食べていたし、定期的にふたりで飲みに行ったりもした。いつの間にかそれが当たり前のこととなっていて違和感はなかった。しかし、気持ちを告げられたこともなければ、交際を申し込まれたこともない。もちろん、男と女の関係になったことなどあり得ない。
顔を合わせれば他愛もない話が熱い議論に発展する。知らない人が見たら、それは
要するに私たちは似たもの同士だった。
曲がったことが大嫌いで理に適わないことを押し通そうとするのが許せない、正義感の塊。権力を持つ者が持たない者を
★★
『潤一郎、話って何? 模擬裁判の準備があるからあまり時間がないの。手短にお願いね……どうしたの? 神妙な顔して。身体の具合でも悪いの?』
「いや、そういうわけじゃない」
昼休みに潤一郎から電話があり「仕事が終わったら話をしたい」とのことだった。その日は時間がとれないことを告げたが、彼からどうしてもという申し出があり、結局30分だけお茶をすることにした。
『何かあったなら遠慮せずに言って。私とあなたの間で隠し事はなしよ』
「陽子に聞いてもらいたいことがある。ただ、陽子に言ってもどうにもならないことかもしれない」
視線を手元に落として奥歯に物が挟まったような言い方をする潤一郎。
やはりいつもの彼とはどこか違う。
『今日のあなた、本当に変だよ。いつもなら人目を
「わかった。話すよ」
顔を上げて私の目をじっと見つめると、潤一郎はゆっくりと話し始めた。
「NGO組織で『ワールド・メディカル・サプライ(WMS)』って知ってるか?」
『うん。世界で医療が満足に行えない国に対して医療技術やサービスを供給している機関でしょ? 欧米や日本ではバックアップしている企業も結構あって、先進国の中には補助金を出している国も多いよね。その活動は世界的にも高く評価されていて「国連以上」なんて声も聞こえる超NGO。法曹界でも「WMSの力がこれ以上巨大になったら彼らを取り締まる独自のスキームが必要」なんて話してるよ。半分冗談だけどね。潤一郎の病院でもWMSのことが話題になってるの?』
「……WMSの派遣で中央アジアのT国へ行こうと思ってる」
潤一郎がポツリと言った一言に思わず耳を疑った。
『T国って……最近まで内戦が続いてた、中央アジアの国だよね? 報道では数万人の人が亡くなったなんて言われてる。実際はその何倍もの人が処刑されたとも噂されてる。新政府ができて国連の監視団は引き上げたけれど、あれは「形だけの終戦」だよ……潤一郎、そんなところに行っちゃダメ。絶対に行っちゃダメだよ。死にに行くようなものだよ。どうしてあなたがそんな危険なところへ行かなければいけないの? 病院の命令? そんなの断っちゃいなよ』
「さすがは陽子。よく知ってるな。でも、これは誰の命令でもない。俺が自分で決めたことだ」
想定外の言葉に驚きを隠せなかった。
『潤一郎……自分が何を言ってるのかわかってるの? 正気の
思わず語気を荒らげた。とにかく潤一郎に考えを改めてもらいたかった。
「お前の言うことは相変わらず理に適ってる。反論するのが難しいよ。お前が検事になれば、日本の悪人どもがびびって犯罪が減るだろうな。でも、陽子……ろくな司法制度がなくて、罪もない人が無実の罪で投獄されたり命を奪わたりするような国があったとしたら、お前は見て見ぬ振りができるのか?」
『何を言うかと思ったら……論点をすり替えるような
感情を顔に出すことはほとんどない私だったが、このときだけは違った。彼を見る私の目は、獲物を狙う野生動物のように鋭かったのではないか。
「わかった。俺を納得させることができたら諦めよう」
そんな私に動じることなく、潤一郎は冷静に言う。
『約束したわよ。これはあなたと私の間で成立した、
「わかってる。俺が今までお前に嘘をついたことがあるか?」
私は心の中で自分にプレッシャーをかける。
「ここは死んでも負けるわけにはいかない」と。
『法制度というのは国によって千差万別。その国の政治、文化、歴史、宗教、その他いろいろな要素によって整備される。一国の法制度を変えるということは、政治体制を変えるということにつながる。つまり、武力による侵略行為がなければ制度を抜本的に変えることは不可能に近い。NGOはもちろん国連レベルでも実現は無理。「できない」という結果が見えているものに命を投げ出すのはナンセンス極まりない。仮に、国家に敵対する団体からSOSが来たとしても、それは国としての総意ではない。耳を傾け行動に移すことは国家自治の観点から好ましくない』
「なるほど……じゃあ、質問を変えよう。陽子の
『ど、どうしてそう言う結論になるのよ! そもそも、あなたが行くことで何人の人が助かると思ってるの? もしかしたら、行ったその日にテロに遭って1人も助けられないかもしれないじゃない! それに……その仕事はあなたじゃなくてもできる。あなたがやるべきことじゃないわ!』
「お前らしくないな。どうしてそんな『可能性』の話を持ち出す。現にここ半年テロは発生していない。なぜお前は『初日にテロが起きる』なんていう脅し文句を持ち出す? それに『俺じゃなくてもできる』なんて、それこそ論点のすり替えじゃないか? 俺は、俺ができることを、俺自身がやりたいんだ。俺がやってはいけない理由があるなら説明してくれないか」
言葉に詰まった。潤一郎の言葉に重みが感じられる。いつもとどこか雰囲気が違う。ただ、ここは負けられない。どんな手を使ってでも勝たなければならない。
『じゃあ……私はどうなるの? 残された私はどうなるのよ? あなた、私と離れ離れになることを何とも思わないの? 昔学食で言ったよね? 「困っている人がいたら、とりあえず駆けつけることが大切だ」って。でも、T国なんかに行ったら、私が困っていてもどうしようもないじゃない!』
「ごめん。それは……」
『言い訳なんか聞きたくない! いつもそばにいてくれたのは単なる気まぐれだったの? 刺激的な議論ができる人なら誰でもよかったの? 私は違う。これからも潤一郎にそばにいて欲しい。困ったときに力を貸して欲しい。あなたがいたから私はこれまでがんばって来れたの!』
自分の言っていることが論理的でもなければ客観的でもないことはわかっていた。感情的な言葉を並べて潤一郎の心情に訴えかけようとしている、ズルイ自分にも気づいていた。ただ、ここは絶対に譲れなかった。
しかし、それは潤一郎も同じだった。
「ごめん。でも、やっと見つけたんだ。自分のやりたいこと……俺、子供たちの元気な姿が見たいんだ。世界中の子供たちに幸せでいて欲しいんだ。日本の子供のほとんどは恵まれた環境で暮らしている。でも、T国の状況は日本とは雲泥の差だ。WMSの情報では毎日数百人が栄養失調と疫病で亡くなっているらしい。確かに俺一人が現地に行ってどうにかなるものじゃない。ただ、WMSのバックアップがあって同じ
不意に潤一郎の顔にいつもの笑みが浮かぶ。
「陽子、お前にはお前の使命がある。司法試験に合格したのは、神様が『悪を懲らしめる』という使命をお前に与えたんだ。お前は大きな期待に応えなければいけない……ただ、俺にも俺の使命があったんだ。大層な期待はされていないが、お前に負けないように期待に応えたいと思う……困ったことがあったらすぐに連絡してくれ。いつでも帰ってくる。お前のためなら絶対に帰ってくる。そして、お前の力になる。約束する」
『何があっても連絡なんかしない! これからは、他人の力なんか一切借りない! すべて自分の力で解決してやる!」
潤一郎の言葉を
荒い息遣いと激しい鼓動まで店の隅々まで響き渡っているような気がした。
『今、私にはわかったことがある……頼れるのは自分だけだってこと……あなたなんか大嫌い! 二度と私の前に現れないで! 今すぐT国でもどこへでも行けばいいわ!』
早足にその場を後にする私。潤一郎が何か言いながら追い駆けてくる。私は無視して歩き続けた。
それが潤一郎と交わした、最後の言葉。6年経っても忘れることのできない、私の捨て台詞。捨てたのか捨てられたのかは、いまだによくわからない。
★★★
静まり返った病院の廊下から足音が聞こえる。
それは私の病室の前で止まった。シャールの鋭い眼差しが扉の方へと向けられる。
「おいでなすったようだ。君の『白馬の王子様』の力、特と見せてもらうよ」
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます