第5話 真実(トゥルース)


 時刻は午後10時50分。パーティーの後片付けはほとんど終わり、部屋の片隅にはゴミ袋が並ぶ。父は雑巾とバケツを持って病室を後にし、母は食器やグラスを丁寧に箱に詰めている。


 ベッドの脇に立ち無言で宙に目をやるシャール。

 彼は私のファイナルアンサーを待っている。


 答えは決まっていた。


 希望がない状態でいたずらに生きることがどれほど辛いことなのかは、容易に想像がつく。そして、私が死んだように生きるのを見るのは、父や母にとってもとても辛いことだから。


 もともとイヴの夜に死を選択することが私の運命だったのかもしれない。やり残したことがないと言えば嘘になる。ただ、あの事件は私でなくても解決することはできる。「伴陽子の使命は終わった」。そう神様が判断したのかもしれない。イベントで奇跡が起きなかったということは、私は「選ばれた存在」ではなかったのだろう。そんな風に考えたら、少し心が軽くなった気がした。


「陽子さん、それが君の答えだと理解してもいい? もしそうなら、11時ちょうどにイベントを終了するけど」


『そうね……それが私のファイナルアンサーよ』


 その瞬間、シャールは満面の笑みを浮かべる。それは今まで見た中で一番うれしそうな顔だった。なぜなら、それまで笑っていなかった彼の目が笑っているように見えたから。


『11時まであと10分……ねぇ、シャール。聞きたいことが2つあるんだけどいい? 疑問が残ったままあの世へ行っても成仏できそうもないから』


「いいよ。言ってみて」


 シャールは私の申し出を二つ返事で了承する。


『1つめは、私があの世へ行ったら、この世のことはわからないの? 私の大切な人がどんな状態にあるのか、姿を見たり声を聞いたりすることはできないの? 私は死んだ後も大切な人のことをずっと見守っていたいの』


 視界に母の顔が入る。事実を知った今となっては、一見普通に見える、その表情がとても悲しいものに思える。


『2つめは、イベントをクリアした人が何人ぐらいいるのか教えて欲しいの。私はクリアできなかったけれど、もしたくさんの人が「選ばれた存在」になっていたら、それはとても素晴らしいことだと思うから。主催者のあなたに敬意を表したい。挑戦して良かって思えるしね。だから、本当のところを聞かせて。私に気を遣って嘘をつくのは無しよ』


 疑問をシャールへぶつけたとき、突然胸が締め付けられるような圧迫感を覚えた。あたりに邪悪で禍々まがまがしい何かが漂っている。それは温泉地で硫黄混じりの噴煙が立ち上るように、シャールの方から湧き上がっている。


 スーツの内ポケットに右手を突っ込み何かを取り出すような仕草をするシャール。私の目に何かのシルエットが映る。それは長さが2メートル以上はある、棒状のもの。常識で考えれば内ポケットに収まる代物ではない。先端の円弧状のやいばがクリスマスツリーのライトを浴びて不気味な輝きを放つ。それが「死神の鎌」であることは容易に想像がついた。


 笑みを浮かべて両手で鎌を握り締めるシャール。その笑顔は今まで見せていた、さわやかなものとは程遠いもの。まるで人の死を喜び人の不幸をあざけるような、残酷でみにくいものに感じられた。


「あはははは! 何かと思えば、そんなどうでもいいようなことかよ。何? 『嘘をつくな』だって? 失礼なこと言うなよ。僕は嘘なんかついたことないしこれからもつくことはない。人間の分際で僕に意見するなんて3000年早いよ……時間もないことだし手短に答えてやるとするか」


 さげすむような眼差しと馬鹿にするような口調。シャールの態度が明らかに変わった。


「あの世へ行った人間は、この世から隔絶された状態に置かれる。この世で起きていることなんか一切わからない。どうせ二度と戻れないんだから、見たり聞いたりするのはかえってもどかしいだけだろ? 思うんだけど、人間ってのはつくづくおかしな生き物だ。自分が『思いやること』で誰かを幸せにしたり『祈ること』で願いが叶うなんて本気で思ってるんだから。おめでたいにも程があるよ。運命は予め決められていて、変えられるものではないのにね」


 唾を吐きかけるように言葉を吐き捨てるシャール。

 一言一言に悪意が感じられる。


「それから、イベントに参加した奴らがどうなったかって? 取るに足らない連中のことなんかいちいち覚えていないよ。ただ、『第2の道』を選択して自分の身体へ戻った連中はすべてあの世へ行った。イベントの途中で死を選択したのもいたし、イベント終了後、自殺したのもいた。どいつも死期が少し伸びただけで、決して良い死に方はしなかった。


『1つ目の道』を選択した連中のことはよくわからない。魂がどこへ飛ばされたのか把握していないから。ただ、1つ言えることは『これまで以上の苦しみに見舞われてる』ってことさ。考えても見ろよ。意識のない身体がまともであるわけがないじゃないか。虫けら同然の身体に入って苦しみながら絶命するのが落ちさ。そんなわけだから、イベント参加者は、例外なく大きな絶望を味わってあの世へ行ってるってことさ」


 大演説を終えてヤレヤレといった表情を見せるシャール。

 やいばに息を吹きかけると自慢の鎌をハンカチで丹念に磨く。


 その瞬間、私の中でくすぶっていた違和感が憤りへと変わる。

 私は思わずシャールに詰め寄った。


『あなたの話では、イベントをクリアした人はひとりも出ていない。にもかかわらず、あなたはイベントを続けている。当初、あなたはイベントの趣旨を「死なせるのが忍びない者の命を長らえるため」だと言った。ただ、あなたが命を長らえさせた人間はいない。言い換えれば、イベントは人間を救済するものになっていない。参加者に大きな希望を抱かせておいて、絶望の淵に突き落としているようにしか見えない。あなたは「結果的にそうなった」と片づけるのかもしれないけれど、私はどうしても納得がいかない。シャール! 私に納得のいく説明をしなさい!』


 鎌を磨いていたシャールの手がピタリと止まる。


 邪悪な気配が何倍にも膨れ上がった。空気が重い。呼吸が苦しい。まるで私の周りだけ空気が薄くなったようだ。これはシャールの仕業に間違いない。人ひとりの生命を消し去ることなど彼にとっては造作もないこと。モミの木の半分を一瞬で枯れ木に変えたシーンが頭に浮かぶ。


「僕に命令って……何様だい?」


 シャールは恐ろしい形相で私をにらみつけた。


『普段の君は『法』という名のよろいで守られているのかもしれない。ただ、今の君は『この国に居てこの国に在らず』。君を守る鎧なんかどこにも存在しない。例えるなら、極寒の地で薄っぺらい氷の上に裸で立っているようなものだ。少しでも動けば氷が割れて冷たい水の中に落ち凍え死ぬ。そのまま立っていてもいずれは凍え死ぬ。僕の言っていることがわかるかい? 今の君は何もできないってことさ。最弱な存在だってことさ」


 顔を私の鼻先まで近づけると、シャールはさらにまくし立てる。


「確かにイベントには二面性がある。もともと僕たち死神の仕事は、生き物の魂をあの世へ送り込むこと。その理由は、あの世が魂に内在するエネルギーにより支えられているから。さっきも言ったが、人間の魂には格差がある。ほとんどは二束三文だが、中には桁違いに価値が高い、レアなものが混じっている。そんな魂の持ち主が死線を彷徨さまようとき、死神の本領が発揮される。それは、価値の高い魂は『絶望』を味わうことでそのエネルギーが何倍にも膨れ上がる性質があるからさ。そうだな……君たちが豚や牛を食べるとき、生まれたばかりの子豚や仔牛は食べないだろ? 手間暇かけてじっくり育ててベストの状態になったときに美味しく頂く。それと同じさ。畜生を極上の状態にもっていくのがイベントの目的ってわけさ」


『……私たちをだましただけじゃない……もともと助ける気なんかないくせに……選ばれた存在だなんて上手いこと言って……命をもてあそぶなんて……酷い! 酷過ぎる!』


 私の心を怒りと悲しみが覆い尽くす。「ポーカーフェイスなのに人一倍熱い女」。昔からよく言われたが、今の私はまさにそんな状態に他ならない。


「おいおい、バカも休み休みに言えよ。話をちゃんと聞いてたのか? 君は優秀そうに見えて実はバカなんだな。もう一度言う。イベントには二面性がある。僕たち死神のニーズを満たすものであり、君たち人間のニーズを満たすものでもある。双方にとってプラスとなる画期的なシステムだ。人間にとってどこがプラスなのかって? よく考えて見ろよ。生死の境を彷徨さまよう人間が生き長らえるチャンスが与えられるんだぜ。死神の姿が見える人間なんかいない? どうしてそう決めつけられる? 確かに死神の存在を認識できる者が現れる確率は低い。高額の宝くじが当たるよりもずっと低い。ただ、ゼロではない。その証拠に、君は人間なのに僕のことが見えてるじゃないか。それに、僕はイベントに際して特殊能力は一切使っていない。もちろん不正も働いていない。ルールに従って厳正に執行している……被害者面するのも大概にしろよ」


 見下すような目で私を睨みつけると、シャールは自慢の鎌を片手で軽々と振り回して見せた。


 時刻はあと数分で午後11時。私に残された時間はあとわずか。

 シャールの言うとおり、今の私は「極寒の地で震えるだけの女」。イベントの真の目的がわかったところでどうすることもできない。


 でも、こんなときにどうして「あの人」の顔が浮かんだのだろう。

 6年前に離れ離れになって、それから一度も会っていないし思い出したこともないのに。


 もしかしたら、私は、彼のことを忘れるために、ずっと我武者羅がむしゃらにがんばってきたのかもしれない。無意識のうちに彼のことを忘れるすべを体得し実践に移していたのかもしれない。そうだ。そうに違いない。今の私はあらゆるしがらみから解放されたことで見えなかったものが見えてきたのだ。


『……潤一郎、もう一度あなたに会いたい。そして、6年前、あなたに言った酷いことを謝りたい。でも、気づくのが遅過ぎた。あなたは遠い辺境の地で医療活動に従事している。連絡先はおろか生きているかどうかさえわからない。全てにおいてあなたは私にとって「遠い存在」……私は馬鹿だ。大馬鹿だ。今になってこんな大事なことに気づくなんて……ごめんなさい。ごめんなさい。潤一郎』


 私の気持ちを置き去りにして時間は刻々と過ぎていく。


 時計の針が11時を指す。

 シャールの鎌が私の目の前に突きつけられ、ゆっくりと天井の方へ振り上げられる。


『さようなら。お父さん、お母さん……潤一郎』


 死を覚悟した私に死神の鎌が勢いよく振り下ろされる。

 が、それは私の喉のあたりでピタリと止まった。


 邪悪な笑みを浮かべるシャール。


西郷さいごう……潤一郎じゅんいちろう……確かに君の言う彼だ。人間の分際で神が決めた運命に逆らうと言うのか? 自分が現れることで彼女の悲しみが一層深いものになることも知らずに……でも、俄然がぜん面白くなってきた。イベントのフィナーレが盛り上がりそうだ……陽子さん、もうすぐここに彼がやってくる。これは僕も予想していなかった事態だ。君たちに時間をあげよう。彼が病室に入ってから出ていくまでの間、君の魂に対して『執行猶予』を適用する」


 もしかしたらシャールがからかっているのかもしれない。ただ、それでもよかった。偽者でも何でも潤一郎に会うことができるのだから。彼に会えるのなら、私はどんな過酷かこくな運命でも受け入れられる気がした。


 つづく

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