第4話 希望(ホープ)

「レディース・アーンド・ジェントルメン! ここで本日の『スペシャル・ゲスト』の登場だ! とっておきの人物がやって来るぞ。彼なら僕の姿が見えるんじゃないか? いや、きっと見えるはずさ。なにせ彼は……お~っと! ネタバレは禁止さ。では、ゲストさん、どうぞ!」


 勿体もったいつけたような言い方をするシャール。

 すると、それがまるで何かの合図であるかのように誰かがドアをノックする。


「コンバンハ。伴サン」


 父がドアを開けると、そこには、首から十字架をぶら下げ黒い詰襟つめえりの服を身にまとった男性が立っていた。彼の名前は「イグナティウス・ベローチェ」。スペイン人の神父で父の古くからの友人。彼の家族とは互いの家で何度か食事をしたことがある。教会のミサが終わって駆けつけてくれたようだ。


『シャールの言うとおりかも。聖職に付いているベローチェさんなら死神の存在を感じ取ることができるかもしれない……いいえ、彼ならきっとできる。この病室の中の異変を少しでも感じ取ってくれたらイベントは終わる。そして、私は自由を手に入れることができる……そういう理解でいいわね? シャール』


「ザッツ・ライト! そのとおりさ。彼が僕の存在にちょっとでも気づけば、そこで陽子さんには『シャール賞』が贈呈されるよ」


 私の問い掛けにシャールは間髪を容れず答える。


 イベントの終了まで3時間余り。誰かが病室を訪れる可能性は残されてはいるが、彼ほど期待できる者がいるとは思えない。


「よ~し! こうなったら出血大サービスだ! 中立の立場の僕がこんなことしちゃいけないのかもしれないけど……彼の近くに立って僕の存在をアピールしよう。乞うご期待!」


 大きな声で一席ぶつシャール。神父は私のベッドへ聖水を数滴振り撒くと、聖書を広げてその一文を朗読し始める。シャールが聖書を覗きこむ。眉間みけんにしわを寄せて首を横に振る仕草を見せる。


『ベローチェさん! 死神が隣にいるの! 早く気付いて! 顔をシャールの方に向けて少し怪訝けげんな表情をしてもらえばいいの! ベローチェさん、お願い!』


 私の中で、祈りにも似た、悲痛な叫び声が繰り返される。しかし、そんな声を尻目に聖書の朗読が続く。神父の肩を揉んだり自分のあごを彼の肩に乗せるような仕草をするシャール。身体には触れていないが、息がかかりそうな距離まで近づいている。


『ベローチェさん! 左肩よ! 左を向いて! お願い!』


 私の心の叫びがピークに達したとき「アーメン」という言葉とともに朗読が終わる。すると、不意に神父が自分の左肩の方へ視線を送る。まさにシャールが立っているあたりだ。


「ベローチェ神父、はじめまして。シャール・ソネットと申します。どうかお見知り置きを。見た目は若く見えますが、よわい3000歳を重ねています。特技はヒップホップダンス。よくキムタクに似ていると言われます。好きな女性のタイプは、プライドが高くて、正義感が強くて、聡明で、それでいて優しくて、実は弱い部分を持った人。ちょうど陽子さんのような人です……」


 神父の視線が自分の方へ向けられたことで自己紹介を始めるシャール。しかし、彼の話を気にも留めず、神父は窓際の方へと歩いて行く。そして、真っ暗な夜空を見上げて改めて胸の前で十字を切る。


 神父にはシャールの姿は見えていなかった。その存在を全く感じとっていなかった。

 その後、彼はクリスマスの講和を行ったが、呆然自失ぼうぜんじしつの私には何ひとつ耳に入らなかった。


★★

 神父が病室を後にしたのは午後10時を少し回った頃。面会時間はとっくに終わりイベント終了まで2時間を切っていた。父と母が片付けを始めているところを見ると招待客は神父で最後だったのだろう。この後、病室を訪れる者は誰もいないと考えるべきだ。


 悲しいというより悔しい。今までどんなに厳しい状況に置かれても、何とか乗り越えてきた。もちろん「自分ひとりで何でもできる」などとおごるつもりはない。ただ、自分が無力であることを認めなければならないのが何よりも悔しい。


「残念だったね。陽子さん」


 ベッドの脇でシャールが申し訳なさそうに言う。神父が病室を訪れたとき、あれだけ盛り上げておきながら結果が伴わなかったのだから、それも当然だろう。


「でも、まだイベントは続いてる。希望は最後まで捨てないで。僕も応援するから……ところで、陽子さんの耳に入れておきたいことがあるんだけど……」


 不意にシャールの顔つきが神妙なものへと変わる。そんな彼を見るのは初めてだった。よほど重要なことなのだろうか。


「今日のパーティーのことだけど、君の両親はたくさんの人を招いて盛大に行った。それはなぜだかわかるかい?」


 想定外の質問だった。「拍子抜けした」というのが正直なところだった。病院で寝たきりになっている私を不憫に思い元気づけようとしてくれた――それが理由ではないか。


「簡単に言えばそうだけど、もう少し言うと、主治医から二人に『あること』が告げられたからなんだ」


『……あること?』


「二人は、君が来年のクリスマスを迎えられるかどうかわからないといった趣旨の説明を受けた。つまり、『ここ数ヶ月で君の病状が悪化する可能性が高い』と言われた。そのことは、今日ここを訪れた人には事前に知らされていた。だから、みんなわざわざ時間を割いて来てくれたんだ。彼らの笑顔を見たとき君が感じた違和感はそこから来ているんだよ」


 今私に話し掛けているのは、さっきまでおどけた様子でヒップホップダンスを踊っていた、あのシャールなのだろうか。とても同一人物とは思えない。話を茶化すような素振りなど全くなく、私に悲しいまでの真剣な眼差しを向けている。


 神父がシャールの存在を感じ取れなかった瞬間、全身に何かがし掛かったような重圧を感じたが、その重みがさらに増したような気がした。回復する見込みがほとんどないことはシャールから聞いてはいたが、まさか死期がそこまで迫っているとは思わなかった。突然の余命宣告はあまりにもショッキングだった。


「陽子さん、ゴメン。言えなかったんだ。君が今の仕事に対して、そして、生きることに対して強い情熱を傾けているのが痛いほどわかったから。君には何としても奇跡を起こしてもらいたかった。だから、本来中立でいなければならない僕も少し君寄りの行動をとらせてもらった。ただ、これまで奇跡は起きなかった。おそらく、この病室を訪れる人はもう誰もいない」


 考える気力が失せた私には細かいことはわからなかった。ただ、自分が八方塞がりの状態で絶望の淵に立っていることは理解できた。いつ命が尽きるかわからない状態で、父と母の偽りの笑みを目の当たりにしながら生きていかなければならない。そして、深い悲しみと大きな絶望感にさいなまれながら、静かにふたりの元を去って行く。こんな悲しい未来が待っているのであれば、最初から希望など持つべきではなかった。すぐにあの世へ旅立った方がどれだけ楽だっただろう。これから私が味わう、生き地獄を思うと気が狂いそうだ。


「陽子さん、それが本心なら僕が君を救ってあげてもいいよ」


 シャールの顔に再び笑顔が戻る。赤と緑のクリスマスカラーの髪をかきあげると、彼は穏やかな口調で続ける。


「あと15分で時刻は午後11時になる。イベントの残り時間はあと1時間。イベント終了までに君が終了宣言をしてくれたら、すぐに君をあの世へ送ることができる。それは『イベント運営規則第157条(イベントの途中中止)』に規定されている事項だ。そうすれば、君は、自分の命がいつ尽きるかわからないという恐怖におびえることもないし、ご両親の偽りの笑顔を目の当たりにして生かされることもない。確かに君が死ぬことはご両親にとって辛いことかもしれない。ただ、二人ともそのことは覚悟している。逆に、君の不憫ふびんな姿を目の当たりにする方が何倍、いや、何十倍も辛いんじゃないかな……陽子さん、君が決めるんだ。君の命なんだから」


 ――君が決めるんだ。君の命なんだから――


 頭の中でシャールの言葉が何度も繰り返される。

 それはとても短くとても重い言葉。


 私は決めなければならない。

 ここで死ぬか。それとも、死んだように生かされるかを。


 つづく

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