第2話 選別(イベント)


「何から話そうか……じゃあ、まず人間の魂の話をしよう」


 目に入りそうな、赤と緑の前髪を無造作にかきあげると、シャールは陽気な口調で話し始めた。


「陽子さんの国ジャパンの法律では、人はみな平等でその命も等しく大切なものとされている。それでいいよね?」


『憲法第11条に規定されている基本的人権のことね』


 私の言葉にシャールは大袈裟おおげさに首を縦に振る。


「ザッツ・ライト! これでも法律のプロに会うってことで少しは勉強してきたんだ。一夜漬けなのは内緒だけどね。で、僕たち死神が管轄する世界、いわゆる『あの世』では人は平等でもなければ生命いのちもピンキリなんだ。つまり、人間Aの魂はものすごく価値があるけど、人間Bの魂は二束三文なんてことは当たり前。その格差たるや、格差社会なんて言われる、君たちの世界の比じゃないよ。ピンとキリでは、1億倍、いや、1兆倍ぐらい差がある。何が言いたいかっていうと、生命を断つだけが死神の仕事じゃないってこと。生命を長らえることも僕たちの仕事なんだ……『そんな話聞いたことない』って顔してるね。それは人間の認識不足さ。もともと死神のイメージは、実際に僕たちを観察して作られたものじゃない。民間伝承なんてものは概して悪い部分ばかりがクローズアップして伝わるものさ」


 シャールは「困ったもんだ」と言わんばかりに、再び肩をすぼめて両手を左右に広げるポーズをとる。


「陽子さん、僕の言いたいこと、何となく見えてこない? 『キリ』は掃いて捨てるほどいるけど『ピン』はそうじゃない。10年に1度出るか出ないかだよ。もし『ピン』の魂をもつ人間が生死の境を彷徨さまよっていたら、僕は助けてあげたいと思うんだ。いや、死神の能力全開で是が非でも助けるよ」


 相変わらず陽気に話すシャール。しかし、そんな彼の口調とは裏腹に、背中に冷たいものが走る。話の流れから「ピンの魂を持つ人間」というのは私のことだ。そうだとしたら、私は今、生死の境を彷徨さまよっているということになる。状況はよくわからない。ただ、ひとつ言えるのは、今は彼の話を聞くことを何よりも優先しなければいけないということだ。


「エクセレント! さすがは陽子さん。僕の言いたいことをしっかり理解してくれたようだね。言いづらいけど、そういうことなんだ。陽子さんは今、死の淵に立っている。最後の記憶は裁判所からオフィスへ戻る途中の風景。つまり、そこでが起きたんだ」


『何かって……なに?』


 恐る恐る聞き返す私。そんな私の目をじっと見つめるシャール。そのとき私は気づいた。にこやかな表情を浮かべているにもかかわらず彼の目は笑っていないことに。


「裁判所からの帰り道、君はビジネスマンの集団に混じって歩いていた。周りにいたのは、ネクタイを締めてお堅いスーツを着た、ごく普通のビジネスマンばかり。ただ、君の後ろにいた、黒ぶちの眼鏡をかけた、若い男が突然カバンの中からを取り出した。名前はなんて言うのかわからないけど、小型のハンマーとナイフがいっしょになったような道具。男はいきなり君の後頭部をハンマーで殴りつけた。1回、2回、3回……君は途中で気を失った。しかし、それだけでは終わらなかった。彼はうつ伏せに倒れた君の上に馬乗りになると、刃渡り10センチのナイフを君の身体に突き刺した。すぐに警察官が駆けつけ男を取り押さえたけど、あたりは血の海と化していた」


 身体の震えが止まらなかった。シャールの言っていることが作り話だとは思えなかったから。今の私の身体は何ともない。血など一滴たりとも流れていない。しかし、今私がいるのは明らかに非現実的な空間。これが夢なら何の問題もない。ただ、夢ではない可能性の方が高い。


「ソーリー! ベリー・ソーリー! すっかり怖がらせちゃったみたいだ。女の子を怖がらせるなんて僕は男として最低だよ。本当にごめん! でも、安心して。陽子さんは今、死神のジャッジを受けているんだ。もし『キリ』の人間だったら、ジャッジは1秒で終わってとっくにあの世行きさ。ただ、陽子さんはそうじゃない。なんだよ」


『それって……私が「選ばれた存在」だってこと? 死なずに済むってことなの?』


 わらをもつかむ思いでシャールの服の袖をつかむ私。

 すると、彼は右手の親指を立てて白い歯を見せて笑う。


「オフコース! 陽子さんは選ばれた存在さ。あんなチンピラ風情に刺されてジ・エンドなんてあり得ないよ。僕はいつだって君の味方さ」


『じゃあ、助けてくれるのね? ありがとう! ありがとう。シャール!』


「ジャスタ・モーメント。ちょっと待って。僕の話はまだ終わっちゃいないよ」


 安堵あんどの気持ちをあらわにする私の目の前で、シャールは右手の人差し指を左右に揺らす。


「君が『ピン』なら助ける。でも、今の君は『ピン候補』に過ぎない。10年に1人の逸材だってことを示して欲しい。具体的には、僕の主催する『イベント』に参加してもらいたい」


『イベント?』


「そう、イベントだよ。今日はクリスマスイヴだから『クリスマス・イベント』なんてネーミングがピッタリだね。もちろんイベントへの不参加もOKだよ。ただ、その場合は即あの世行きさ。失うものは何もないんだから、チャレンジするのが賢明な選択だと思うよ」


 そんなに甘くはなかった。私は選ばれた存在には違いないが、それはあくまで「候補」に過ぎない。助かるためには、彼の言うイベントに参加して「選ばれた存在」であることを証明しなければならない。イベントの内容がどんなものかはわからない。ただ、いくら過去を悔んでも現状は何も変わらない。輝かしい未来も開かれることはない。そう考えれば、チャンスが与えられたことを喜ぶべきなのかもしれない。


「ベリー・グッド! そうこなくっちゃ。じゃあ、イベントのルールを説明するよ。参加するかどうかの最終判断は説明を聞いてからでいいからね」


 さわやかに笑うシャール。ただ、その目は相変わらず笑っていない。


「陽子さんには、次の『2つの道』から好きな方を選択してもらう。『1つ目』は、現世で意識不明になって回復の見込みのない人間の身体に、陽子さんの意識を送り込んで新しい人生を送る道。意識を送り込む先はランダムだから、希望を聞くことはできない。もしかしたら人間以外の動物になるかもしれない。ただ、君が『選ばれた存在』であればハッピーになれるはずさ。


『2つ目』は、君の身体に戻ってリハビリを行いながら生きる道。ただ、今の状態を見る限り、回復する可能性はほとんどゼロだ。でもね、もし君が『選ばれた存在』なら奇跡が起こっても何ら不思議はない。つまり、こういうこと。普通に考えれば、死神である僕の存在を感じとれる人間はいない。姿も見えなければ、声も聞こえない。ただ、君が崇高な魂の持ち主なら、僕の存在を他の誰かに悟らせることができると思うんだ。これから僕はへ行く。もしイヴが終わるまでに『僕の存在を感じとれる者』が現れたら、君の身体を元通りにしてあげる。あっ、その顔は疑ってる? 大丈夫さ。さっき僕が瀕死のモミの木を蘇生したのを見ただろ?」


 視線を天井に向けると、シャールは両手を頭の後ろに組んで口を真一文字に結ぶ。室内に静寂が戻ったことで、微かに流れるクリスマスソングが聞こえる。


『私は検事としてやり残したことがある。特に今携わっている事件の犯人は許すことができない。私の手で追い詰めてやりたい。今この世を去ったら絶対に後悔する。それから、私のことを愛してくれている大切な人……お父さんとお母さんがいる。もし私がいなくなったら2人は悲しむ。病気になってしまうかもしれない。そんな親不孝は絶対にしたくない……ここまで言えばわかるでしょ?』


「ファイナル・アンサー?」


 シャールが私の顔色をうかがうように言う。


『私は自分の身体に戻る。そして、選ばれた存在であるかどうかを見極める。シャール、それが私のファイナルアンサーよ!』


 睨みつけるような眼差しの私に、シャールはゆっくりと顔を近づける。

 そして、私の耳元で何かの呪文を唱えるように言った。


「グッド・ラック。陽子さん」


 意識が朦朧もうろうとなった。

 ただ、それはまばたきをするくらいの一瞬の出来事。


 私の目に白い天井が映る。


 そこがさっきまでいた部屋でないことは、天井の色からだけでなく周りの雰囲気からも明らかだった。静かな室内には日常のノイズが流れ、窓からは暖かな日の光が差し込む。夢の世界から現実の世界へ戻ってきたことを実感した私は胸を撫で下ろした。


 しかし、次の瞬間、それが夢ではなかったことを実感する。


 身体が動かない。いや「動かすことができない」といった方が正しい。ベッドに横たわる私の身体から無数の管のようなものが伸び、それはベッドの脇で無機質な電子音を奏でる機器につながっている。ここが病院の一室であることはすぐに理解できた。周囲の音は微かに聞こえている。そして、視界にあるものもぼんやりと見えている。しかし、自分の意思により手足を動かすことはもちろん、首を傾けたり口を開くことさえままならない。眼球の動きやまぶたまばたきは私の意思によるものではない。麻酔をかけられたときのように、身体が自分のものではない感覚がある。私のショックは計り知れないものだった。一度は現実として受け入れた。ただ、心のどこかで夢であることを願っていたから。


 すると、それが現実であることを決定付ける出来事が訪れる。


「グッド・モーニング!と言っても、もう午後2時なんだけどね。陽子さん、 何だか顔色が優れないみたいだけど……大丈夫?」


 声の主の姿は見えなかった。

 ただ、その声を聞いて姿が浮かんでこないはずなどなかった。


 つづく

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