第1話 死神(デス)

 瞳に真っ赤な天井が映る。


 まばゆい光に右手をかざしながらゆっくり身体を起こすと、自分が緑色のソファに腰掛けているのがわかった。


 窓も扉もない小さな部屋。フローリングの床には2人掛けのソファと子供の背丈ぐらいのクリスマスツリー。壁は鮮やかな緑色で床は天井と同じ赤色。かすかに流れているのはどこかで聞いたことのある、陽気なクリスマスソング。


 見ず知らずの状況に置かれていることに戸惑いを隠せなかった。


『ここは……どこ?  どうしてこんなところに?』


 いぶかしそうな顔で部屋の中を見渡しながら心の中でつぶやく私。

 すると、間髪を容れず、背後から「声」が返ってくる。


「ハロー!ナイス・トゥ・ミーチュー! マイルームへようこそ!」


 慌てて振り返ると壁際に声の主とおぼしき男が立っていた。

 180センチはある細身の身体に上下黒色のスーツ。端正な顔立ちにさわやかな笑顔。ゴシックファッションなのに髪の毛は赤色と緑色のクリスマスカラーに染められている。


 突然の出来事に私は口をぽかんと開けて目を丸くする。


「ソーリー! 驚かせてごめん。僕の名前はシャール。シャール・ソネット。仕事はDEATHです……あっ、シャレじゃないからね。『死神』と言った方がわかりやすいかな。見た目は若く見えるかもしれないけど、これでも3000年生きてるんだ。紀元前生まれってヤツだね。そうだ! 大事なこと言うのを忘れてた! 『キムタクに似てる』なんてよく言われるんだ……えっ? そんなこと聞いてない?」


 目の前にいる男は自分のことを「死神」だと言った。そして、永遠に話が終わらないのではないかと思うぐらい饒舌じょうぜつに話し続けた。


 ただ、私は真顔で自分のことを死神などと言うやからのことを信じるつもりはない。検事という職業柄、これまで神や悪魔を名乗って奇行を繰り返す犯罪者を五万と見てきたから。そのほとんどは、責任能力の欠如を理由に自ら犯した罪を免れようとする、不届きな連中。弁護士の入れ知恵により俳優顔負けの演技をする者も少なくない。ちょうど今担当している事件がそれに当たる。詐欺・拉致・傷害・殺人の容疑で、ある宗教団体を起訴したところ、胡散うさん臭い弁護団が何とかのひとつ覚えみたいにそんな主張を繰り返す。


「人間に化けた悪魔を根絶やしにするよう神から啓示があったのだ!」


 焦点の合っていない目つきでそんな言葉を発する連中がいる。ただ、そんな三文芝居にだまされる私ではない。人をあやめておいて心神喪失を主張することで全てが許されるなら検察は要らない。言い換えれば、この国は法治国家でありながら無法地帯となる。社会に巣食う、人の姿をした悪魔を見極め断罪する行為は、神から啓示を受けた連中の役目ではなく、社会正義の実現を生業なりわいとする私たちが行うことだ。


★★

 男の言葉を聞いた瞬間、頭の中を様々な思いが駆け巡る。

 結果として、この状況を夢だと考えるのが理に適っていると思った。


 私の最後の記憶が裁判所での公判を終えてオフィスに向かって歩いているシーンだったから。今自分が置かれている状況との接点が全く見出せなかったから。不謹慎ではあるが、日頃の疲れから資料の整理でもしているうちにパソコンの前で転寝うたたねでもしているのだろう。


「アンビリーバブル! この状況が信じられないのはわかるけど、僕の存在まで夢で片付けちゃうなんてひどいな。『夢で逢えたら』なんて響きはグッドだけど、寂しい限りだよ。じゃあ説明するけど、陽子さんは公判を終えて自分のオフィスに戻る途中でマイルームに立ち寄ったんだ……いや、僕が『連れてきた』と言った方が正しいかもね」


 笑顔で淡々と話す、シャールという男。

 まるで私の心の中を覗きながら話しているようだった。


「東京地方検察庁刑事部検事『ばん 陽子ようこ』。美人で切れ者の若手のホープ。父親は大阪高等検察庁の元検事長でその正義感は父親譲り。自分の信念に基づいて行動するタイプで、こうだと決めたら無茶な行動も辞さない怖いもの知らず。法治国家では『常に法の加護がある』なんて信じてるみたいだけど、それはちょっと危ない思想だね。まだ29歳なんだから、もう少し自分を大切にした方がいいよ。そうだ! パソコンの前で転寝うたたねするのは健康上バッド! ただ、これは紛れもない現実さ。君は職業柄疑り深いのかもしれないけど『夢のような現実が存在すること』もまた現実なのさ。それから、念のために言っておくよ。キムタクがドラマで検事の役を演じたことがあったけど、僕とは関係がないからね」


 シャールは私が心に思い浮かべたことを全て把握していた。


『これが現実? そんなわけがない。死神なんているわけがない。それはフィクションの世界の存在。人の弱い心が生み出した空想の産物……何かトリックがある。そうよ! 絶対にそう!』


 何度も首を横に振りながら、自分が見ているものを否定しようとした。すると、シャールはアメリカ人が困ったときに見せる、肩をすぼめて両手を左右に広げるポーズをとる。


「陽子さん、人間の中には、死神の仕事を『大きなかまを使って生き物の生命にピリオドを打つこと』だなんて思っている者も多い。でも、正確にはそれだけじゃない。生死の境を彷徨さまよっている者の行き先を判断するのも僕たち死神の役目なんだ。医者が『今夜が峠です』なんて告げることがあるけど、そのとき死神が近くにいて生か死かを決めてるんだ……じゃあ、実演してあげる。このモミの木は健全な状態だ。ただ、僕が生命エネルギーを『吸い取る』とどうなるか……しっかり見ててね」


 ゆっくり立ちあがると、シャールは自分の右手をモミの木の上にかざす。不意にモミの木の右半分に黄色い光の粒が浮かびあがる。それは見る見る間に彼の右手に吸い込まれていく。次の瞬間、モミの木の右半分が茶褐色に変色し枯れたような状態になる。ただ、左半分は鮮やかな緑色のまま。モミの木はクリスマスの場に相応ふさわしくない、奇妙なものへと変貌した。


「アンダースタン? 今モミの木の右半分は瀕死の状態さ。でも、枯れてしまったわけじゃない。まだ生命エネルギーがちょっぴり残っているからね。ただ、このまま放っておいたら枯れてしまう。さぁ、お立ち会い! ここで僕が生命エネルギーを『注入する』とどうなるか? 1度しかやらないからよく見ててね」


 シャールは勿体もったいつけたような言い方をすると、今度は自分の左手をモミの木の上に翳す。左手がぼんやりとした黄色い光を放つ。次の瞬間、その光は無数の小さな粒に分かれモミの木に雨のように降り注いだ。


『あっ!』


 思わず大きな声が出た。茶褐色に変色していた右半分が見る見る間に緑色へと変わっていく。口を両手で押さえる私。


「信じてくれた? もし陽子さんが信じてくれるなら、ここに来てもらった理由を説明するけど」


 死神の存在を100%信じたわけではない。現実主義者の私は相変わらず心のどこかで疑っている。ただ、目の前でシャールが見せた「生命を操作する能力ちから」はトリックだとは思えなかった。夢だと割り切ることは容易たやすい。しかし、100%夢だと確信する、客観的かつ論理的な根拠がない。


『信じるしかないみたいね。死神の存在を』


 私がつぶやいた瞬間、シャールは大きな拍手をしながら私の隣に腰を下ろす。


「信じてくれて良かったよ。だって、陽子さんは『選ばれた存在』なんだから。確率から言えば、10年に1人ってところかな……あっ、ごめん! 僕の言っていることよくわからないよね? じゃあ、順を追って説明するよ」


 足を組んで身体を少し私の方へ傾けると、シャールはゆっくりと話し始めた。


 つづく

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