死神に選ばれた女
RAY
第0話 方向(ベクトル)
「困っている人がいたら……助けてやるのが当たり前だよな……」
学生でごった返す、ランチタイムの学食で、彼が
なぜなら、こういった展開は私たちの間ではよくあることだったから。
『潤一郎、またいつもの妄想? 相変わらず想像力が豊かね。医学部の学生なんか辞めて小説家にでもなったら?』
レモンティーのストローを
「それはいいかもな。まだ医者になると決めたわけじゃないし。お前がそう言うなら才能があるのかもしれない。陽子の人を見る目は確かだからな」
ラガーシャツを
『それで? 私の考えを言えばいいの? でも、問いが漠然としてるから昼休み中に答えは出ないかもよ。あなたが期待するような答えは』
「そうか……じゃあ、もう少し具体的に話そう。出題の意図も含めて」
彼は大盛りのカレーライスのために用意した、2杯目の水を一気に飲み乾す。
「今も世界のどこかで困っている人がいる。でも、俺たちはその存在に気づいていない。もし気づいていたら何かできることがあるはずだ。俺は神様じゃないから、そんな人をわざわざ探して何かするようなことは考えていない。ただ、その存在を知ってしまったら、何か行動を起こすと思う」
『潤一郎の性格なら黙っていられないでしょうね。今に始まったことじゃないけれど。何もしないことでかえってストレスが溜まりそうね』
彼は口を真一文字に結んで大きく
「そのとおり。でも、黙っていられないのは陽子も同じだろ? 見た目はポーカーフェイスでも内面は人一倍熱いお前のことだから、見て見ぬ振りなんかできないよな? お前ならどんな行動を起こす?」
『抽象的でよくわからないけれど……まずは、困っている人の置かれた状況を確認する。例えば、同じような状況に陥っている人が何人かいたとしても、置かれている環境が異なれば救済手段も全く違うものになるから。国が違えば統治体制や法律も異なる。それが宗教や思想の色が濃いところだったら私たちの常識が常識でなくなることだってある。だから、ルールや慣習を把握したうえで慎重に対策を考えるわ』
視線をテーブルに落とすと、彼は何度も首を縦に振る。そして、
「さすがは陽子。素晴らしい答えだ。テストだったら、そうだな……95点はもらえるな」
『100点じゃないんだ。マイナス5点は何なの? もしかしたら、あなたの答えを基準に減点されたってこと……? ぜひ教えて欲しいわ。模範解答を。でも、私が納得できるものにしてね。客観的かつ論理的なものじゃなかったら、ランチの余興はおしまいにするから』
きつめの口調の私をなだめるように、彼は笑顔を見せる。
「相変わらず完璧主義者だな。でも、この手の問題は数学みたいに正解が1つに決まるものじゃない。言い換えれば、出題者の考え方ひとつで100点にも0点にもなる。俺の答えか? そうだな……まず、困っている人がどこにいるかを調べる。次に、行けそうなところだったら行ってみる。そして、自分に何ができるか考えてみる。あとはできることを精一杯やる。そんなところだ。どうだ? 納得できたか?」
『潤一郎、それが模範回答だとしたら、高得点をもらった方が恥ずかしいわ。だって、あと少しで客観的でもなければ論理的でもない模範解答にたどり着くんだから』
ポーカーフェイスの私だったが、内心腹立たしさを覚えずにはいられなかった。納得のいかない解答に対して。そして、真剣に耳を傾けた自分自身に対して。
「どうやら納得していないようだな。少し説明が足りなかったか?」
『足りないなんていうレベルじゃないわ。事象の背景を全く調べることなく、見ず知らずの環境へ飛び込んで行くなんてどうかしてる。状況を踏まえて、必要としているものを押さえて、リスクを洗い出して、対応できる準備をして、そこで初めてSOSが発せられた場所へ赴くのがセオリーよ。あなたはそんな流れを全く無視してる。とりあえず行ってみるなんて
納得できないことに対しては歯に衣着せぬ言葉で徹底的に追究するのが私のスタイル。そして、一言一句をしっかり受け止め持論を展開するのが潤一郎のスタイル。このときも、いつもと変わらぬ笑顔で彼はゆっくりと話し始めた。
「わかった。1分で説明する。単純なことだ。陽子のやり方では時間がかかり過ぎる。『状況を分析してリスクを最小限に抑える方法を見出していざ現地へ行ったら手遅れだった』。そんなことにもなりかねない。それに、困っている人っていうのは、まずは自分を助けてくれる誰かの存在を実感したいと思うんだよ。実感することで『がんばろう』という気持ちが生まれるんだ。そこからだ。俺たちが具体的に手を貸すのは。まず行ってみて、そこで考えて、足りないものがあればフォローすればいい。それが俺の考えだ」
『それは希望的観測ね。現実は小説の世界と違って思いどおりにことは運ばない。そして、残酷な結末を用意する。だから、世間では殺人事件が無くならない。何の罪もない誰かが愛する人を失う。小説の世界ならそれはない。死んだと思っていた人が
席を立とうとする私に、彼は変わらぬ笑顔で答える。
「現実に対する認識の違いってやつか。俺とお前とでは考え方が180度違うってことだな。これまでも議論するたびに衝突してきたから何となくわかる」
『じゃあ、行くから』
ゼミの資料をそそくさとカバンに詰め込むと、私は彼に背を向けた。
「でもな、ベクトルは同じ方向を向いてるんだよ。俺たち……だから、衝突しながら2年以上もこうして腐れ縁を続けてこれた。ベクトルの向きが同じっていうのは、見ている方向が同じなだけじゃない。『お互いのことが見えてる』ってことだ。少なくとも俺はお前のことが見えてる。いつも。はっきりと」
背中越しに声が聞えたが、私は振り返ることなくその場を後にした。
それはゼミの時間が迫っていたからではない。彼と同じことを考えている自分を悟られたくなかったから。そして、ポーカーフェイスが崩れかけているのを見られたくなかったから。
『バカ……』
足早に教室へ向かいながら心の中で
それが誰に向けられた言葉なのか自分でもよくわからないまま。
その日のゼミの内容はほとんど憶えていない。
その後、私たちはそれぞれの課程を修了してそれぞれの道へと進んだ。
潤一郎は医者に、私は検事になった。
最後に会ったのは、私がまだ司法修習生だった頃。かれこれ6年前のことだ。
つづく
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